温故知新 ~サヌキとアワのサトリ~

相似象のサヌキとアワの紹介です。

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『ミを入れる』 生き方の実行について 46

 カタカムナ人のオサは、自分たちの開発した生命発生カタカムナ物理サトリ子孫に伝えるために、
カタカムナ文献
を造って、「アシアトウアン」(少数者)を鍛え教え、一般多数者には、
「アシアトウアン」から、人々の実際の生活・環境に即して教え導くことにしたのである。

 何故なら多数者というものは、自力でカタカムナ文献(生命発生カタカムナ物理サトリ)を理解
して実行しうる能力は無いものだからである。

 民族の文化の度は、「アシアトウアン」則ち、少数者の質と数によって決まるものである。

 昭和の敗戦以前の日本の文化は曲がりなりにも、このようにして伝えられたもので
あったのである。






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  1. 2014/11/30(日) 14:44:15|
  2. 『ミをいれる』 生き方の実行について

『ミを入れる』 生き方の実行について 45

 カタカムナ人は、この自分たちの開発したサトリを人々が実行し、子孫に伝達するために、
「アシアトウアン」のサトリ考えていたのである。
(「アシアトウアン」という上古代語は、『生命発生の物理カタカムナ』を知り、自分の生命力(感受アワ性とサヌキ)を
鍛えてそれを実行しうる人、という意味である。)






  1. 2014/11/29(土) 14:34:24|
  2. 『ミをいれる』 生き方の実行について

『ミを入れる』 生き方の実行について 44

 「人間脳」の進化した我々現代人は、(現代科学の知識の程度ではなく、)
この自分たちの生命発生の物理カタカムナを正しく知り、自分の感受アワ性とサヌキの生命力』を
マットウに鍛えて健康で長寿の生存を全うし、
次々と生まれてくる子供に、自分たちの
知った生命発生の物理カタカムナ』を教えて、子供の固有振動の基礎をしっかりと育て、子供は
養育された「生物脳」のアマナによって自分の感受アワ性を鍛え続け「人間サヌキ脳」(の神経細胞)を
どんどん開発して、教えられた『生命発生の物理カタカムナ』を、(「人間脳」で記憶するだけでなく、)
自分の生命力感受アワ性とサヌキによってマットウに身につけて成人し、健康で長寿の生存
全うする。そしてまた、次の子供に、自分の知った生命発生の物理カタカムナと、生命力感受アワ性とサヌキ
鍛える「ミを入れる」スベを教えて育てる・・・・・・。このような生き方・育て方を、実際に実行オコナヒ
続けなければ、「人間脳」の進化した人類は、マトモに生命を持続して、人間の文化・文明の
社会を造る
ことは出来ないものである。






  1. 2014/11/28(金) 14:02:34|
  2. 『ミをいれる』 生き方の実行について

『ミを入れる』 生き方の実行について 43

 しかし、このことが、マトモに出来る為には、もう大人になってしまった現代人の
親の程度の能力では不可能である。

 『生命の発生』といっても、現代人の考えているような「生命」という特定のものが
あるわけでは無い。

 生命力感受アワ判断サヌキ・行為力である』といっても、「感受性」とか「脳」という
特定のものが最初から存在するのでは無い。

 我々の「生命」が、何から、いかにして「発生」するのか?我々の「感受アワ性」が、
いかにして「判断行為」を出すのか?






  1. 2014/11/27(木) 14:33:50|
  2. 『ミをいれる』 生き方の実行について

『ミを入れる』 生き方の実行について 42

 そして『ワタシのココロ(生物脳のアマナ)には、ワタシが赤ん坊の頃から見たり聞いたり
したがいっぱいつまっていること。そして今、ワタシが何かを見たり聞いたりすればその
「ミ」がワタシのココロに入り、そこから新しい「」 が生まれて(カムからワけられて)、
ワタシの新しいイノチ になり、ワタシは食べたり歩いたりして生きていられること。』このような
オホきなカムの存在チカラ実感○○を、「人間脳」の知識として記憶させるのでは無く、「人間脳」を教えキタエ
るよりも前から、その場・その場の子供の「生物脳」の感受アワ性を鍛えて(則ち「生物脳」の
アマナココロ「ミ」を入れて)その生命力アワを蓄積して、子供の一生の固有振動の基礎に、子供の
ワカル程度のコトバづかいで教え、植え込むことが、肉体カラダに必要な食べるもの・着るもの・
快い入浴・睡眠を与えることと共に、日本人の子供にとって最も必要な、大事な育て方である。







  1. 2014/11/26(水) 14:15:32|
  2. 『ミをいれる』 生き方の実行について

『ミを入れる』 生き方の実行について 41

 だんだん成長してくると、動物のもたぬ「人間脳」も発達してくるので、ミを入れずに慌てて
駆け出して転んだり、何かを落として壊したり、何か失敗することが起きてくる。その時は
『あ、「ミを入れ」なかったからョ、まずかったネ。いつも、何にでも、「ミを入れ」てやるのヨ』と
教えることである。  

 そして、子供がどんどんコトバを覚え、自分から判断・行為を出すようになれば、
その発達のレベルに応じて、「ミ」というコトバの意味、「ミを入れる」ということの意味を、
則ち、『ワタシのイノチは、父の「ミ」と母の「ミ」が一緒になって生まれた新しい「ミ」であること。
「ミ」はワタシの一番小さなイノチのタマであること。イノチのチカラには、「ミ」のココロアワ
アタマのサヌキがあること。』則ち、日本語の四十八語の思念に示されるカム・アマ・フトタマ
ミ・ミコト・フトマニの潜象物理カタカムナ意味ココロを、則ち、自分たちを始め、自分の目の前の木や花や
鳥や虫や、山や川や海や空や、月や星や太陽や・・・そのすべてのモノのオクにあって、
そのすべてのモノを生み、生かしているオホきな「カム」の存在の感受○○を、則ち、「ワタシ」
「ワレ」というコトバは『ワタシのイノチは、その大きなカムのワからヒトリダチして出たものタシ
というイミであり、『ワタシのイノチのココロもアタマも、その大きなカムのワからワケられ
たものである』というイミであること。






  1. 2014/11/25(火) 13:29:06|
  2. 『ミをいれる』 生き方の実行について

『ミを入れる』 生き方の実行について 40

 実際の育て方としては、この新生児から三歳児期ミツゴの間に、子供が動物性のままに
「ミを入れて」好・嫌の判断行為をしているトキをみつけて、『まあうまく「ミを入れ」てるネ』
とか、『あなたは「「ミを入れる」のが上手ネ』という風に、「ミを入れる」というコトバをそのまま
使って、『こういう風にすることが「ミを入れる」ことなのだ』と、本能的な感受で覚えワカラセさせる
(「生物アワ脳」のアマナを養いヤシナヒ育てる
)ことである。

 三歳児期の子供に「ミを入れる」ということコトバを教えてわからせることは出来ないが、今、
自分が感受しているこの状態が「ミを入れる」ことだというその「感受」を、意識に出して
ワカル
ことは可能である。(一回「ミを入れ」れば、一つ感受アワ性を鍛え蓄積ヤシナヒしたことになる。)






  1. 2014/11/24(月) 12:49:12|
  2. 『ミをいれる』 生き方の実行について

『ミを入れる』 生き方の実行について 39

 新生児・三歳児期ミツゴの子供は、動物と同じで、本能的に「ミを入れ」て生きているから、
例えば、見たものが好きなもの(生命によくないもの)、または、もう満腹で不必要なもの)の
トキは、ガンとして口を閉じ、いくら食べさせようとしても、首を振り手足をもがいて拒むものである。

 (それ故、この時期に、本当に栄養的にも、品質的にも身によいものを、適量食べさせる
ことを実行して育てれば(「生物脳」の生命アマナの固有振動の基礎植え付けインプットておけば
『育てやすい子』になり)、その子は一生、自分の健康な食生活を保ちうる性来ナリの人になれる
のである。)






  1. 2014/11/23(日) 12:37:03|
  2. 『ミをいれる』 生き方の実行について

『ミを入れる』 生き方の実行について 38

 人間の子供は、現代人のように、「人間サヌキ脳」の開発・鍛錬の教育をする前に、胎児や
新生児・三歳児の頃から、「生物脳」の鍛錬、則ち「ミ」を入れて感受アワ性を養う生き方の
実際のスベを、四十八の日本語の習得と同時に、教えて「ミ」につけさせるべきものである。

 一生の固有振動の基礎○○○○○○○を、このように養い育てれば、将来のものごとの判断・行為が、
おのずから方向性をもつものとなるから、従来の現代文明の教育のように、「人間サヌキ脳」の
欲望の能力を野放図に発達(増長)
させ、その為の弊害を生じてから、宗教・道徳・法律等で、
それを反省させ抑圧し、禁止・懲罰するという現代人のやり方(生き方)よりも、はるかに
容易やさしくで無駄や弊害がなく、能率よく、子供にとっても、親(大人)にとっても、その方が楽で、
幸福度の高いものである。






  1. 2014/11/22(土) 12:15:52|
  2. 『ミをいれる』 生き方の実行について

『ミを入れる』 生き方の実行について 37

 まことに、「ミを入れる」ということは、何ら特別のことでは無かった。最も「アタリマエ」の
天然自然カムアマの「マノスベシ」を、人間が実行して生きるスベが、『何をするにも「ミを入れて」生きる』
ことだったのである。

 三十年、一生懸命のオモヒで勉強してきた「カタカムナの潜象物理サトリ」と、「ミを入れる」というスベが、
このトキ(渡辺ユリコの死)、ようやく、そしてはじめて、筆者の「アマナ」の中で、ハッキリと、
結びついたのである。






  1. 2014/11/21(金) 12:04:37|
  2. 『ミをいれる』 生き方の実行について

『ミを入れる』 生き方の実行について 36

 「ミを入れる」というスベは、本来、何ら、負担になることでは無い。

 今までの精神修養や訓練修行のような特別のものでは無く、また、今までのものを
止めよというのでも無い。

 読者の従来の教養や仕事はそのまま続けながら、それをしている自分自身のアマナに、
日々刻々、無意識的に、何をするにも「ミを入れて」生きていれば良いということである。

 (要するに「ミを入れて」いれば、「人間脳」が出しゃばって邪魔をすることなく、方向性を以て
ハタラクようになるわけである。)

 「ミを入れる」というスベを実行して生きていれば、今までの世界の宗教・道徳的な修養や、
哲学・科学的な勉強では得られぬ、新しい生命力の発生という、大きな天然的な恩恵が
伴うのである。






  1. 2014/11/20(木) 11:38:44|
  2. 『ミをいれる』 生き方の実行について

『ミを入れる』 生き方の実行について 35

 「ミを入れる」というスベは、今までの道徳や精神修養の様々な勉強法・訓練法や、
栄養や保健や運動などの健康法のいずれよりも先行して、人間として生まれた者は、
(日本人も西洋人も誰でも、)物心ついたトキから教えて「ミ」につけさせるべき、動物の
本能にも等しいスベである。

 「ミを入れる」というカタカムナ人のコトバサトシは、「人間脳サヌキ」(現象系)の支配に酷使され、
生物アワ脳」(潜象系)の存在を無視する現代人の生き方のアヤマリに気がついた者が、
人間として最も基本的なアタリマエの生き方(日々刻々の生活態度)にヨミカエル
(気が付く)為の実行のスベを示したものであった、ということが、「ミ」を持って、
わかったのである。






  1. 2014/11/19(水) 11:27:34|
  2. 『ミをいれる』 生き方の実行について

『ミを入れる』 生き方の実行について 34

 「ミを入れる」というスベは、現代文明の「人間脳」の文化の修行・修養・勉強のような
難行苦行の試練とは全く異なるもので、「ミを入れる」ということが潜象カム感受カカワリである
ことさえわかれば、誰でも、動物のように知らぬマに熟練し、無意識的にやれるように
なるものである。

 (「天才」は、教えられなくても、それがやれる能力(波動量アワ)を持つ者であるが、天才ほどで
なくても、かなりうまくやって健康な長寿を保つ者は、昔も今も、結構存在するものである。)






  1. 2014/11/18(火) 11:18:49|
  2. 『ミをいれる』 生き方の実行について

『ミを入れる』 生き方の実行について 33

 動物は、一生、それだけで(何をするにも「ミを入れる」だけで)平常アタリマエに生きていられるのだが、
我々現代人は、いつも「人間脳」が出しゃばるので、それに振り回されて生きているのである。

 「ミを入れる」というのは、その「人間脳」が出しゃばる前に、入れるのである。そしてそれは
出来るのである。なぜなら「ミを入れる」速さは「ヒラメキ」を入れるのと同じ電気速度アマハヤミだからである。

 (「気をつけて」という言葉があり、これは世界共通語で、昔の日本人はあまり使わなかったが、
今は「ミを入れて」の方は忘れ「気をつけて」の方が多く使われている。しかしこれは、「人間脳」
次元の発想コトバであるから、「ミを入れる」の速度アマハヤミよりずっとおそく、人為的な「注意」のレベルである。)

 何をするにも「ミを入れて」かかれば、「人間脳」に支配されてふりまわされて「生物脳」を無視することは
有り得なくなるのである。






  1. 2014/11/17(月) 16:37:13|
  2. 『ミをいれる』 生き方の実行について

『ミを入れる』 生き方の実行について 32

 はじめのうちは、「人間脳」の「逆序」でやるのだから、ちょっと、負担になるトキもあったが、
慣れてくると、殆ど無意識的に、しかも、「ミを入れ」ずにやっていた今までより、遥かにスムーズに、
スマートに、無駄なく
ことが運び、何となく、イキイキとして良い気分でいることに気がついた。

(それもその筈で、なぜなら、一々の生命活動に「ミを入れて」、その度に、新しい生命力フトマニが発生
しているのであるから、天然的にイキイキと元気よくなるワケなのである。読者も、本気で実行を
続けられたなら、必ず実感(体験)して深く頷いて下さるに違いない。)






  1. 2014/11/16(日) 16:20:55|
  2. 『ミをいれる』 生き方の実行について

『ミを入れる』 生き方の実行について 31

 何をするにも「ミを入れて」といっても、実際は、筆者自身、始めのうちは、気のついたトキだけ
入れていたのであるが、だんだんに慣れてくると、本当に何をするにも、(ツと立ち上がるトキも、
坐るトキも、一歩歩くトキも、手をちょっと上げるトキも、急いで料理をするトキも、一口味をみる
トキも、風呂に入るトキも、トイレのトキも・・・・・・、)本当に、何をするにも、小鳥が必ず何回も
何回も右を見、左を見、してから飛び立つように、何をするにも「ミを入れ」ているのである。

 そして、無意識に考え事をしているトキも、気が付くとミを入れて考えている。つまり、
意識も無意識もなく、「見る」とか「聞く」とかの感覚器官の感受がありさえすれば、
「ミを入れる」というクセ
がついてくるのである。






  1. 2014/11/15(土) 15:45:15|
  2. 『ミをいれる』 生き方の実行について

『ミを入れる』 生き方の実行について 30

 しかし、このことは本当に天然自然のアタリマエの物理であって、自然の動物は皆、
生まれてから死ぬまで、この物理によって
(ミを入れて)、生きているものである。

 動物は(人間脳が無いから)、黙ってそうして(ミを入れて)アタリマエに生きているだけ
であるが、カタカムナ人は、それを「人間脳」の認識に出して、コトバ化してくれていたのである。

 我々現代人も、本来の動物の心(感受アワ性)になった気持ちでこのスベを実行すれば、
必ずこの天然自然のアタリマエの物理の意味が、分かる筈である。






  1. 2014/11/14(金) 15:26:38|
  2. 『ミをいれる』 生き方の実行について

『ミを入れる』 生き方の実行について 29

 しかし筆者の「実行」は、筆者の新しい直観(感受)から始まって、次々と、
「ミを入れる」という物理の意味が(前述のように)わかってきたのであるが、読者の実行は
その物理の意味を読まされたところから始まるのであるから、いくら「オモヒ」があっても、
「ミを入れる」ということの真意と効果がわかるのは、容易なことでは無いのであろう。

(何しろ、有史以来の現代文明の最高度の天才・知識人・科学者も未知の(常識に無い)、
カタカムナ文明の上古代人の直観の物理であるから、読者の「人間脳」が容易にわかろう
としないのも無理のないことである。)






  1. 2014/11/13(木) 15:04:59|
  2. 『ミをいれる』 生き方の実行について

『ミを入れる』 生き方の実行について 28

 筆者も、はじまりは、「渡辺ユリコの死」をた(感受した)ことによって、(則ち、我々現代人は、
人間脳サヌキ」を最高度まで(たとえ釈迦・ゲーテのレベルまで)鍛えたとしても、「生物アワ脳」の感受性を
鍛えるスベをしらなければ
、自分の生命を破滅コロス させることになり、カタカムナの生命イノチの潜象物理サトリ
実感ワカル(体験)することは出来ないという、人間の生命力の「人間脳サヌキ」と「生物脳アワ」の真実の生態スガタを、
目の当たりに見せられたことによって、) 「ミを入れる」ことが、我々現代人の無視していた
「生物脳」の感受性を鍛えるスベである、ということに気がつき(新しい直観が発生し)、とにかく、
自分の日々刻々生命活動の一々に、(立つにも歩くにも、顔を洗うにも食べるにも、書くにも
読むにも話すにも・・・・・・何をするにも) 「ミを入れる」という生き方を、本気で実行ヤリし出したのである。






  1. 2014/11/12(水) 14:36:27|
  2. 『ミをいれる』 生き方の実行について

『ミを入れる』 生き方の実行について 27

 まだ共振ワカルする能力チカラの無い者が、『ワカリタイ』という『オモヒ』をもてば、先ず、「ミ」とか
「ミを入れる」という上古代語の思念イミをよく分かる為に、会誌の筆者のコトバを読んで、
「ミ」の思念イミ、「ミを入れる」ということの思念イミを、(できるだけ自分の感受アワ性を起励する気持ちになって)
「感受」しながら、その自分の「感受」の「ミ」を、自分の「生物脳」のアマナに入れるという
行為オコナヒを、実行してみることである。






  1. 2014/11/11(火) 14:36:22|
  2. 『ミをいれる』 生き方の実行について

『ミを入れる』 生き方の実行について 26

 「ミを入れる」ということは、カタカムナの「フトマニ」の物理サトリ実際に実行する為のスベである。

 「ミを入れる」という上古代語を、則ちカタカムナの「フトマニ」の物理サトリ思念イミを、本当に『ワカル』
には、そのコトバを造ったカタカムナ人の生物アワ脳」、「人間サヌキ脳」生命力チカラ共振しうる波動量を、
自分も持たなければ、『共振』することは出来ない。





  1. 2014/11/10(月) 22:21:27|
  2. 『ミをいれる』 生き方の実行について

『ミを入れる』 生き方の実行について 25

 「ミを入れる」ということについて、ここまで読んで下さった読者が、イザ自分で
「ミを入れ」ようと思っても、果たして、どのように「実行」が出来るであろうか?

 『「ミを入れる」とは「フトマニ」を起こすことである』とか、『「ミを入れる」のは
「生物脳」のアマナである』とかと言われても、それは筆者のコトバであるから、
読者はそれを、読者の「人間脳」の(今日までに獲得された読者の教養・人格で)
とにかく理解して、(それだけで『ワカッタ』のでは無いから)その理解したことを、
自分の感受アワ性で『ワカリタイ』という「オモヒとしてもって、自分の感受性を鍛える
(則ち「ミを入れる」)ことから始めるしか無いのである。

 (因みに、会誌を読んでも、このようなオモヒ」の起きない者は、「人間脳」専門の
現代文明の一般多数者の単なる読者であって、「少数者」では無いのかもしれない。
とにかく、この「オモヒ」が無ければ、自分の今までの「人間脳」を教えかえして、
「カタカムナ」を本当に『ワカル』ことはできないものである。)






  1. 2014/11/09(日) 22:05:18|
  2. 『ミをいれる』 生き方の実行について

『ミを入れる』 生き方の実行について 24

 そして、古来の日本人が、何となく大事なコトバとして伝えてきた「ミを入れる」という
日本語が、現在文明の最高度の哲学の用語にも、科学用語にもまだ無かった
『生命発生の物理』則ち、我々の生命というものは「生命」という固定したものがある
のでは無く、
また発生ということも「発生」という定まった状態があるのでは無く
(「生命」も「発生」も、現代人の「人間脳」が造った観念語である)、実際の我々の「生命」
というものは、日々刻々に、
自分の目や耳や舌や鼻や皮膚等の、感覚器官が感受した
「ミ」と、
生まれた時から感受し判断して「生物脳」のアマナに蓄積してあった「ミ」とが、
出合うことによって「フトマニ」という潜象カムアマの物理が発生し、新しい生命力が生まれてその
生命が持続イノチするものである、という『生命発生の潜象物理』を示す、驚くべき上古代語で
あったことが、ハッキリとわかったのである。

 そしてこれは「生物脳」のアマナのオコナヒであるから、無意識領域のことである。
カタカムナ人や楢崎皐月のような高度の直観によらぬ限り、「人間脳」専門の現代文明の
哲学・科学の波動量の人には、わかりようのないものであったことを、改めて確認したのである。






  1. 2014/11/08(土) 21:32:29|
  2. 『ミをいれる』 生き方の実行について

『ミを入れる』 生き方の実行について 23

 そして、「ミを入れる」ということは、本来、無意識のものなので、これは「ミを入れる○○○」と
いうような他動詞的な言い方のものではなく、「ミ」はオノズカラ(自動詞的に)「入る○○」もの
ではないか?という疑念が沸いたのである。

 そこで更によく考えながら、「ミを入れて」生きているうちに、・・・・・・筆者は、自身がはじめ
「人間脳」の逆序で「ミ」を「入れて」いたものが、次第に、「人間脳」の逆序では無しに、自然的に
入る」状態になった為に、そのような疑念が沸いたのであるが、つまり、その疑念は「人間脳」の
レベルで考えた
ことに過ぎないのであって、真実の状態は、目や耳の感覚器官の感受した「ミ」を
「生物脳」のアマナに入れる○○○ことによって、既に入力し蓄積してあった「ミ」との共振(重合フト)が起き、
新しい生命力マニが(今までよりもよい判断・行為力が)発生したという事である。

 それ故、単に自然のままに自動詞的に「ミ」が入った○○○わけではない、ということが、ハッキリと
わかったのである。






  1. 2014/11/07(金) 21:32:24|
  2. 『ミをいれる』 生き方の実行について

『ミを入れる』 生き方の実行について 22

 そして、天才・名人・達人と言われる人々は、自分では意識していないが、自分のする事
為す事に、いつも「ミを入れて」いたのだ、だからその度に「フトマニ」が起きて、新しい生命力が
発生し、そのエネルギーで、前回よりも良い仕事、前回よりも良い仕事が何万・何兆回も繰り返し
重ねられて、「生物脳」のアマナが、天才・名人・達人の波動量を蓄積し獲得していたのだ、
ということが、実感としてわかったのである。

(また、天才・名人・・・と言われるほどでは無くとも、無病息災で九十・百歳まで現役で働いている
人があるのも、この「ミを入れる」生き方の無意識のスベを、本能的にマスターした人であろうと
思われる。)






  1. 2014/11/01(土) 16:01:05|
  2. 『ミをいれる』 生き方の実行について
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