温故知新 ~サヌキとアワのサトリ~

相似象のサヌキとアワの紹介です。

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『ミを入れる』 生き方の実行について 21

 「ミを入れる」ことは電気速度アマハヤミであるから、どんな非常・危急の時にも、生命力があれば、
「ミ」を入れられる。

 生命力が老衰していても、病弱でも、自分の「生物脳」のアマナに平常な生命の方向性
ある「オモヒ」さえ持ち続けていれば、いつでも、どこでも、「ミ」を入れられる。

 自分の生命力に、この平常な生命の方向性であるオモヒを持ち続けることが大事なので、
そして「ミを入れる」ことが、その「オモヒ」を持つ感受性を鍛えることになるので、つねにその
オモヒ」を養い鍛えながら、日々刻々を生きていると、次第に、一々のことに「ミを入れて」と
思わなくてもひとりでに入っていて、あとになって、ああ、あの時も「ミが入って」いたと
気が付くことが多くなり、何だか自分がだいぶ動物になった気持ちがして、何をするにも
無意識的に「ミ」を入れていて、何か危急のトキにはパっと「ヒラメキ」のようになっているものである。






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  1. 2014/10/31(金) 15:44:53|
  2. 『ミをいれる』 生き方の実行について

『ミを入れる』 生き方の実行について 20

 また、我々は何か大事なことや危険なことを、忙しく急いでしなければならぬ時、
「人間脳」が緊張してしまい、かえてイライラとあせったり、ウロウロと慌てたりして
適当な判断・行為が出せないことがある。

(ことに「呆ケ」の始まっている者は、ボヶーとしてオロオロするばかりである。)

 このような場合トキは、その場に立ったセツナに、(人間脳が「イライラ」「ウロウロ」「オロオロ」の
波動を出す前に、)パッと「ミを入れ」てかかれば、今、なすべきことが、即座にヒラメクから、
そのアマナの指令のママに行動していれば、イライラ ウロウロ オロオロするヒマも無く、
テキパキと適切に働けることになり、その度に、みずから感嘆し、感謝の思いに満たされるのである。






  1. 2014/10/30(木) 15:33:05|
  2. 『ミをいれる』 生き方の実行について

『ミを入れる』 生き方の実行について 19

 ところがこの時「ミを入れる」ことを知らないと、もう満腹で必要がなくても、見た目の
「人間脳」の欲で
、すぐに手が出てしまう。血糖値や体重を考えて無理に食欲を抑制する
ような辛い思いは、「ミを入れて」いれば、全く知らずに、自然に食欲が出ないから手が
出ないで済むのである。
(というより、「ミを入れる」ことを知っていれば、もともと、『辛い思い』をするような状態ハメ
 にはならない筈である。)
 
 また、「ミ」を入れて生きていると、その時のすることが、前より早く、上手に出来る様になり、
もし「ミを入れ」ていなければ、つまずいたり転んだり、怪我をするところを、『ああ!助かった!』と
声を上げることが一日に何度かある。



 

  1. 2014/10/29(水) 15:33:01|
  2. 『ミをいれる』 生き方の実行について

『ミを入れる』 生き方の実行について 18

 「ミ」を入れると、「生物脳」のアマナに蓄積されていた「ミ」の中に重合フトするものがあって、
その場に最も良い判断・行為が、「生物脳」のアマナから自動的に出るマニから、例えば、
食べるものを見た時に「ミを入れ」ると、食べて良いものなら食欲(食べたい「オモヒ」)がアマナに
起きてすぐに手が出るが、悪いものや必要のないものには食欲が出ないから自然に手が出ない。






  1. 2014/10/22(水) 14:27:39|
  2. 『ミをいれる』 生き方の実行について

『ミを入れる』 生き方の実行について 17

 そしてまた、「人間脳」の次元では仕事をすれば体力エネルギーを消耗するばかりであるが、
「ミを入れる」ということは、「フトマニ」(対向発生アマウツシ)を起こすチカラであるから、体力エネルギー
消耗することはない。それどころか「フトマニ」を起こせば、新しい生命力チカラが発生するので
あるから、その度に天然の生命力エネルギー賦活アマウツシされ、「呆ケ」も止むのである。

(薬や道具を使い、または心理療法等で無理に矯正するのとは全く発想の次元が違うものである。)






  1. 2014/10/22(水) 14:16:56|
  2. 『ミをいれる』 生き方の実行について

『ミを入れる』 生き方の実行について 16

 「呆ケ」とは、アタマが悪くなるのでは無く、「生物脳」の感受アワ性の「ミ」が入りにくく
なった為に、「人間脳」の判断・行為の出方が遅れる。または、出なくなるということである。

 しかし人間は動物に無い「人間脳」があって、「逆序」(自分で自身を教える)の能力があるから、
自分の「人間脳」がこの「ミ」の物理を知って、自分の「生物脳」のアマナに「ミを入れ」れば、
その度に新しい生命力が発生して、「呆ケ」の症状が無くなるわけである。「ミを入れる」ということが
単なる観念的なコトバでは無く、真実の物理のコトバであることの証拠であると痛感したのである。






  1. 2014/10/22(水) 14:02:27|
  2. 『ミをいれる』 生き方の実行について

『ミを入れる』 生き方の実行について 15

 動物は、(「人間脳」が無いから、)何をするにも「ミ」を入れずにやる事はなく、
必要のないことには、「ミ」が入らないから、人間のように無駄な行為をする事はない。

 人間は、「人間脳」があるから無駄な行為をし、失敗することも多いけれども、
とにかく若くて元気な間は、動物と同じに「ミ」が入りやすいので、何をするにも
テキパキと仕事がはかどるのであるが、老衰してくると、(生命力が弱まると)
「ミ」が入りにくくなる。

 (筆者は七十歳を過ぎた頃、その自分の状態を「染め付きが悪くなる」と実感していた。
そして「ヒラメキ」を入れれば良いと考えた。しかしそれまでであった。「ヒラメキ」と感じた
事が「ミを入れる」ことであるとは、知らなかったからである。)

 動物も生命力が弱くなれば「ミ」が入りにくくなるが、人間のように呆けても周囲の者に
助けられて生き続けるということが出来ないから、「ミ」が入らなくなれば、死ぬしか無い。






  1. 2014/10/22(水) 13:42:12|
  2. 『ミをいれる』 生き方の実行について

『ミを入れる』 生き方の実行について 14

 なお一番有難いと思ったのは、七十歳を過ぎた頃からもよおしていた「呆ケ」の症状が、
とにかく「ミを入れて」かかれば、その場に必要な判断・行為が、即座に、
自動的に出るので、「呆ケ」の進行が止み、「ミを入れて」さえいれば、一生呆けずに済む
という気持ちになれたことである。






  1. 2014/10/22(水) 13:21:27|
  2. 『ミをいれる』 生き方の実行について

『ミを入れる』 生き方の実行について 13

 そのような場合は、改めて、枕や布団等の寝心地ネココチを良くし、『眠りたい「オモヒ」』を念頭に

置きながら吐くオーイキ吸うホーイキの一イキ一イキに、深く長く「ミを入れ」続けるのである。
そうすれば殆ど確実に、イキオーホーのリズムが自ずから副交感神経の入眠の状態をカモして
くれるものである。

(オーホーとは、天然自然の大気に向かって両手を大きく挙げて深呼吸オーホー声音ヒビキを出す
生気発生イノチフトマニのスベ」である。)






  1. 2014/10/22(水) 12:36:03|
  2. 『ミをいれる』 生き方の実行について

『ミを入れる』 生き方の実行について 12

 『どこに入れるのか?』 イキがよい、と気がついて、吐くイキ吸うイキに、一々、
スナホに「ミを入れて」いると・・・、今までどうしても解けなかった交感神経の緊張が
イキに「ミを入れた」セツナに変換して、気がついたらノンレム睡眠に落ちていたのである。

 ただこの際、「アワ量」の大きな者は、強い「サヌキ」を出す能力があるので、自分では意識
しないが、交感神経の緊張をあまりに強くしてしまう為に、イキに「ミを入れ」て当面一度は解消
しても、なお奥に緊張が残っていて、「ミを入れる」チカラが止まってしまい、又しても交感神経が
うごめき出してすぐに入眠出来ないことがある。






  1. 2014/10/22(水) 12:21:54|
  2. 『ミをいれる』 生き方の実行について

『ミを入れる』 生き方の実行について 11

 筆者の「ミを入れる」生き方の実行の方も、はじめのうちは、一々のことに、『ああ、今は「ミを
入れて」いた』『入れていなかった』と実験を見ている気持ちで、うまく「ミ」が入ると必ず良い
判断、行為が出るし、「ミ」が入らないと失敗するという現実、一々確認する程度であった。

 そのうちに「ああ、有難い!」と思うことが起きてきた。長年の不眠のクセが解消したのである。
何か、気にかかることがあると、何としても寝付けない。色々な方法を試してみても、どうしても
うまく眠れない。夜を徹して原稿を書いていて、僅かな睡眠時間を、さあ眠ろうとしても、どうしても
寝付かれず、モンモンとして寝不足の痛い頭を抱えて起き出す辛い思いが、「ミを入れる」ことで、
鮮やかに解消したのである。






  1. 2014/10/08(水) 15:11:40|
  2. 『ミをいれる』 生き方の実行について

『ミを入れる』 生き方の実行について 10

 「ミを入れる」ということを、筆者自身の感受性鍛錬のスベとして実行し始めたのは、
筆者が楢崎皐月のカタカムナ伝達のための鍛錬を、筆者の「人間脳」の全力を投じて受け止め、
三十年をかけて遂に「人間脳」の極限に至り、「渡辺ユリコの死」(「人間脳」の究極の「フトマニ」
の達成)
という、人間の脳の鍛錬、開発、発達、成熟の真実のスガタを見せられ、知らされていた
からのことである。

 はじめのうちは、本書のような堅い文章の中に「ミを入れる」などと書く事は、何か、民間療法的、
情緒的な印象を与えるのでは・・・というためらいが、いささかあったのである。
(何しろ「ミを入れる」というコトバは、日常的な俗語であったから、おそらく読者の方も、「ミを入れる」
というコトバが、これ程の高度の物理をもつものとは、ヒビかず、『そういうこともあるか』という程度
の軽い納得で受け止められていたのであろう。)






  1. 2014/10/08(水) 14:59:30|
  2. 『ミをいれる』 生き方の実行について

『ミを入れる』 生き方の実行について 9

 それ故、「ミを入れて」、感受性を鍛え続けて生きていれば天才、名人、達人、と言われる人の
ような 「アワ量」(「生物脳」のアマナの「ミ」の蓄積量、つまり、その人の人格の、生命力アワの波動量)
となるわけである。(「アワ量」の多い者は、おのずからに、いつも「ミ」を入れて生きているという
天然の生命現象である。)

 全ての動物は、生まれてから死ぬまで、一生、「ミを入れて」生きている。「ミ」が入らなくなれば
「死」である。人間も動物であるから、基本的には同じで「ミを入れ」なければ生きられぬものであるが、
「人間脳」の進化、発達の為に、ひたすら「人間脳」の能力ばかりを意識し、「生物脳」のアマナに
「ミを入れる」という、本来の「生物脳」の感受性の存在を忘れ果て、自分たちが忘れていることを、
どんな頭の良い人も(天才、達人名人でも)気付かずにいるのである。






  1. 2014/10/08(水) 14:20:12|
  2. 『ミをいれる』 生き方の実行について
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