温故知新 ~サヌキとアワのサトリ~

相似象のサヌキとアワの紹介です。

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後書 (純粋の贈り物を捧げる気持ちで) 49

 それがサヌキ型人間の本性であり、且つ現代の世相は、そうしたサヌキ型人間たちが切磋琢磨

し合い、最も優秀なサヌキ性に勝利を得させる仕組みになっている。

 ところが 「アワ型人間」 は、執着心が強いから、(ということはアワ性が強いということなのだが)

もし自分で自己の本性を物理としてわきまえるということがないと、潜在アワ量の多い者ほど自己

嫌悪に落ち、あるいは無理なサヌキメッキをして、外部の敵のみでなく自分自身の内部からも自虐

され、自己の心身を損傷し、自滅し、時には 自爆してしまう危険が多い ものである。






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  1. 2013/12/31(火) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ

後書 (純粋の贈り物を捧げる気持ちで) 48

 会誌が潜在アワ量の多い者、殊に 「アワ型人間」 のアワ性を特に問題にしなければならぬのは、

サヌキ・アワの性のサトリを知ったからである。(しばしば述べて来たことであるが改めて言えば、)

「サヌキ型人間」 なら、放っておいても、(会誌で特に世話を焼かなくとも、) 自分で道を切り開いて

持って生まれた才能を発揮しようとする方向へ突き進まずにいない 強さがある。

 サヌキ型人間は自負心が強く、ミから内省心を欠くから、たとえば過失や無知や不誠実の為に

相手から相当疎まれていても、自分が嫌われているとは思わない。しかしもし嫌われていることが

わかれば猛然と相手にうらみ怒りをぶっつけ、嫌う方が悪いのであって自分は正しいと主張する。

そもそも低次のサヌキ型人間は、サヌキ性の物理や批判は受け付けない。相似象会誌などじっくり

読んでくれるものではない。それ故、どんな場合にも、自分自身を強く自衛し、自虐することは殆ど

ない。
 為すべきことをなさぬまま時間だけが経ってしまったときにも、それを気に病むのはアワ

型人間であって、サヌキ型人間は平然としている。






  1. 2013/12/30(月) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ

後書 (純粋の贈り物を捧げる気持ちで) 47

 あからさまに言えばサヌキ型人間にはその能力は無い。アタマで思考することは出来ても真の

革命は成就できない。なぜならサヌキ性は、必ずアワ性(マクミ) に 前駆されて発生 するもの

であり、そのアワ量なりのサヌキ力しか出すことは出来ない。それが、サヌキ・アワの 「物理」 だか

らである。自己を反省し、よりよき向上性を以てサヌキ力を発生させるものは、<アワ>の性である。

(もし会誌を読んで、筆者が、サヌキ型人間をやり込めすぎる、アワ型人間の肩を持つ、という

ような印象をうけられたとすれば、その読者自身がサヌキ型人間であるか、少なくともサヌキ的思考

を優先させる人々であろう。)






  1. 2013/12/29(日) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ

後書 (純粋の贈り物を捧げる気持ちで) 46

 たとえ世界を制覇し、宇宙ロケットを飛ばす程の高度の智能を持つ能力者と雖も、それに

ふさわしい アワ量の裏付け がなければ、終わりを全うすることはできず、悪魔的な結果 

を見るのが落ちである。

 またアワ型人間も、自分のアワ性の大事サを正当に 認識し鍛錬して いないと、徒に

サヌキ型人間に圧倒され、充分に自分の実力を発揮できず、逆に自身を滅ぼすと共に、

人類を滅亡させる手助けをしたことになってしまう。人類社会の動向をマトモな方向へ進めうる

責任は、ひとえに アワ型人間の発奮に かかっている。






  1. 2013/12/28(土) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ

後書 (純粋の贈り物を捧げる気持ちで) 45

 ヒトラーの独裁も、真珠湾奇襲も、宇宙ロケットの打ち上げも、皆、物凄いサヌキ性の発揮

である。(汽車も飛行機も電話もテレビもPCも・・・、文明の利器はいずれも人類の少数の天才者の

サヌキ性の成果 である。それを 「正」 の方向に使うかは、その人の、またその社会の多数者の

アワ量次第 である。)

 かくして人類の社会は、いかにも、少数の強烈なサヌキ型人間が牛耳って いるように見える。

しかしながら実際は、その サヌキ性を支えて いるのは彼ら自身のアワ性であり、世の多数者の

アワ量である。要するにサヌキ型人間・アワ型人間をこめて、人々のアワ量なりのサヌキ性が、社会

の文化度を決めることになってしまうのである。






  1. 2013/12/27(金) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ

後書 (純粋の贈り物を捧げる気持ちで) 44

 子供の頃平然と 花をちぎり、虫を殺す まねのできた者は、やがて自分の欲望を満足させる

為には 手段を選ばぬ大人 になる。貧しい者、醜い者、アタマの悪い者、障害のある者を、から

かったり軽悔したりいじめたりする心は、本人に悪意という程のものはなくとも、継子虐め嫁虐め等の

行為となり、それは、弱者は見殺しにする心と同じ波動であり、女性蔑視、職業的偏見 につながり

エタ・アイヌ等の迫害、植民地支配、人種差別 に通じ、機会にあえば残酷な 拷問・虐殺 をも

敢えてやってのける人々をつくるのである。

 サヌキ型社会で特にヒューマニズムや宗教信仰が強調されてきたのは、これらのサヌキ性の横行

を食い止めようとする苦肉の策であった。アワ型社会では、またアワ型人間には、思いもよらぬ残虐

な、また、スジの通らぬ事を苦も無くやってのけられぬのは、彼らが 低次のサヌキ型人間の波動

 しか持たぬからである。






  1. 2013/12/26(木) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ

後書 (純粋の贈り物を捧げる気持ちで) 43

 動物は一般に、銘々自分の安全を守るに精一杯で、自分に、危害が及ばぬ限り、仲間が

人間に虐待されていても、それを止めさせようとか、命乞いなどはしないものである。

 低次のサヌキ型人間がアワ性を鍛錬されることなく成人して、動物以下の次元で(ということは

人間次元のいたわりや忍びない心を持たず、さりとて、動物たちの持つ自然サもなく、) 人間特有の

智能を使えば、人間でありながら人間とは言えぬ 『人でなし』 の、『弱い者いじめ』 の現象の
 
横行する社会となる。






  1. 2013/12/25(水) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ

後書 (純粋の贈り物を捧げる気持ちで) 42

 世の多数者が、どの道かなわぬ出世願望を追うて一喜一憂し、悲喜劇の一生を終えたとしても、

大したことは無い。いつの世も、戦争や恐慌を起こして社会を乱し、庶民の運命を大きく狂わせてきた

のは、多数者の側の力ではなく、少数の支配者の低次のサヌキ性 であった。

 少数の支配者がサヌキ型人間か?アワ型人間か?によって、言い換えればサヌキ型人間の支配

する社会か?アワ性の尊重される社会か?によって、その文化は、大きく正・反の方向に分かたれる

のである。(正とは生成、反とは死滅の方向である。)

 自分の目的達成の為 にはどんなことでもやってのけるサヌキ性を持つ者が、サヌキ型社会

の勝者 となる。その為には自分も生命をかけ、他人の迷惑もかえりみない。その考え方が、

権力支配や国家目的を至上価値とし、戦略上の必要や秘密保持の為には住民の生命財産を奪う

ことも当然とする思想になる。






  1. 2013/12/24(火) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ

後書 (純粋の贈り物を捧げる気持ちで) 41

 早い話が、自分の余命いくばくも無いと分かった時、人々の本性の サヌキ・アワ四相の違い 

は、最もハッキリと現われるものである。『あともう僅かの生命なら思い切り楽しく過ごさなければ

損だ、せいぜい旨いものを食べ、行きたい旅行もして・・・・』という 心理になる者 『自分の業績

をまとめ何とかして死に花を咲かせて後世に名を残したい』 という 思考にかられる者、『自分

の名を残す意欲は毛頭ないが、やりかけの仕事を死ぬまでに成し遂げねばならぬ 責任を思えば

自己の快楽や美食を求める どころではない。もはや衣服を新調する気もなく、身の回りを片付け

死後出来るだけ他人に 迷惑のかからぬ ように・・・』 と心を配る者。

(ただしその際、表にあらわれた言葉や行為だけ見たのでは、サヌキ型かアワ型かを決め難い者も

ある。何故なら、アワ型人間にもサヌキ性があり、サヌキ型人間にもアワ性のない者はないからで

あり、要はアワ量次第である。)






  1. 2013/12/23(月) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ

後書 (純粋の贈り物を捧げる気持ちで) 40

 しかし正常サ異常サを感知する生命カンの劣化した者の数が増えれば、異常サを正当化し、

同じ傾向の者を引き込んで 好みにふけり、(煙草麻薬アルコール賭け事等の反生命現象もこめて)

この種の連鎖反応が、民族の墜落を加速 する。

 もしこの蔓延を防ぎ、原因をつきとめて 自己を教え直す道 を開く為には、ここにも、

<カタカムナ> の 「逆序」 のサトリがなければならぬのである。






  1. 2013/12/22(日) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ

後書 (純粋の贈り物を捧げる気持ちで) 39

 私共が求めるのは、男女の間であれ、男同士であれ女同士であれ、要するに、サヌキ性とアワ性

との <フトマニ> の関係である。もとより正常な人間関係のプラスエントロピーの性を否定するもの

では無いが、人間であるからには、人間という名の動物 次元を脱皮し、身体的にも精神的にも

<ヒト> としてのマットウな開花結実の人生 を遂げることでなければならない。

 しかしながら、いかに異常変態の行為にも、外的内的の原因(環境状況や、胎児・乳幼児等の成長

期に於けるホルモンの異常等) のないものは無い。そしてここでもまた、無意識の平衡作用 

異常バランス) が働いて、すぐに死ぬこともなく、歪みながらもけっこう生存を保つ場合が多い

為に、また、そこからは子供が生まれるという直後のトラブルが出ず、個人の密事に終始するように

見える為に、今日まで深く追求されることもなかった。






  1. 2013/12/21(土) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ

後書 (純粋の贈り物を捧げる気持ちで) 38

 なお、サヌキ・アワ(男女の性) の問題といえば、一言触れておかねばならぬものに最近の世相

で取りざたされる同性愛等の 異常な性関係(ホモ、レズ、ゲイ等) がある。しかし私共は、こうした

方面には殆ど関心を持っていない。なぜならそれは、人間の文化として 「反」 の方向、即ち 滅び

の道
 につながるものであり、人類の末期症状とみるべきものだからである。

 人間以外の生物には見られぬ人間だけの、この種の現象は、しかし人間にそのような機能がある

以上、大脳(イ)次元の所産として古今東西どの民族にも存在したに違いない。要するにそれは、

性のプラスエントロピーの歪み現象 にすぎず、人間として精神的向上を求める者には、無益

不必要な消耗である。






  1. 2013/12/20(金) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ

後書 (純粋の贈り物を捧げる気持ちで) 37

 この目に見えぬ <アナ> を上古代人は、『アマナカムナの通うミチ』 と感受したのである。

 その穴は、カタカムナの潜象物理で言えば <ミソデホト> であり、低次の欲情を以て言えば

猥談の類となるものであるのも、一つのことに具わる 正・反の極限の妙 である。

 この性感覚は、感受性の劣化した現代人にもまだ失われてはいないから、説明すればマトモに頷け

るものがある筈である。そして、この感じを通して、『Y方向とは何か?』 と、改めて自分自身の感受

に問い、ハッキリと認識に出すことが、<カタカムナ> の潜象物理を学習する為の一つの踏み台

となるに違いない。






  1. 2013/12/19(木) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ

後書 (純粋の贈り物を捧げる気持ちで) 36

 Y方向とは 楢崎皐月の造語で、現象界の正・反と、その背後との三つの方向から、より合わされる

渦を抽象したものである。上古代語では <ハヒ> であり、サヌキ・アワ(ハ) に分かれる根源(ヒ)

の方向、即ち潜象の <カムアマ> の方向をさすわけである。

 感受性の劣化した現代人には、具体的例を示さねば概念が持てぬであろうが、男・女の接触時に、

吸い込まれるように 感じる方向がある。女性なら、母乳を吸われる時に、引き込まれ、また 引き

寄せる
、フシギな感覚がある。ただしどこに吸いつけられるのか?

 方向だけはわかるが、行く先はとどかない。それは性器そのものでも子宮でもない、もっともっと

深い内奥の、底なしの穴 の感じである。(とりわけ妊娠中の妻の乳に父の愛情をこめるのは、大切

なマイナスエントロピーの性の物理の一である。)






  1. 2013/12/18(水) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ

後書 (純粋の贈り物を捧げる気持ちで) 35

 日本民族に於いては、他民族の持たぬ高度なY方向の性の物理 (フトマニのサトリ) があった。

その代わりに、他民族の持たぬ低次の卑猥感も必然的に存在せざるを得なかったのである。民族の

文化というものは、「正」 の方向へ、極限(ヤ) まで究め得る能力があれば、「反」 の方向の力も

亦、極限(ヤ)まで進行するのが、天然理 である。<カタカムナ> 程の高度の思想を開発し得た

者を生んだ文化は、同時に、それが裏目に出て、一般動物はもとより他の民族にも見られぬ程の

低次の、俗に 「助平」と呼ばれる卑猥な感情や特異な偏見・羞恥心等を持つ者をも、生むのである。

 日本文化の高度の精神性と、日本人の 「性」 に対する低次の卑猥感情とが、他民族に類のない

程の大きな高低の幅を持つのも、日本文化の 根底にあった哲学(カタカムナのサトリ) の 許容量

の大きさ 
 から生じる やむを得ぬ物理現象 と解すべきであろう。






  1. 2013/12/17(火) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ

後書 (純粋の贈り物を捧げる気持ちで) 34

 人間の大脳の発達は、「性」 に関しても、他の動物には無い正・反の方向性を持つようになった。

(人間以外のものは、天然自然の 「順序」(ルール) 以外の生き方はしない。)

 即ち 「正」 とは、マイナスエントロピーの性の栄養と、プラスエントロピーの性行為を併せて、

天然の自然サを失わぬ延長線上 に、人間独自の 高度の精神性 を加えて、<フトマニの

サトリ>
 を 開発するまでに至った 方向である。

 これに対し 「反」 とは、人類の脳の発達が 精神的向上性を伴わずに、ひたすら 欲望の追求

と満足の為に
 働かされた結果、生物としての自然サを失ったものであり、この方向も開発の極限

にまで至っている。(前者は 「Y方向」 を基準とするものであり、後者は 「ワイセツ」 と呼ばれる

ものである。 )






  1. 2013/12/16(月) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ

後書 (純粋の贈り物を捧げる気持ちで) 33

 このあまりにもアタリマエの物理を、無視させ、混迷させているのが、人間智の欲望の強さであり、

その為に我々は、有史以来、人類的な神秘思想の落とし穴 に落ち込んでしまっていた、ということ

を、私共はカタカムナのサトリによってようやく突き止めたのである。

 ここでついでに、創刊以来述べて来た 「性」 の Y方向 ということと、「性」 に対する一般の

ワイセツ感 について整理しておこう。

 「性」 といえば卑猥なもの秘むべきことと考えるのも、又反動的に、人間の本能的な欲望なのだ

から誰憚ることは無いと誇示するのも、どちらも不自然な、スジの通らぬ態度である。

 人間以外の動物たちは皆、少しの卑猥感も羞恥心もなく、大真面目に厳粛に、性の衝動に従って

矩をこえることはない。人間だけがどうして彼らの 自然サを失ってしまったのか・・・?

 この疑問を解明するには、マイナスエントロピーの 「性」 (生命力を補給する為の性の栄養)

と、プラスエントロピーの 「性」 (生命力を消耗する性行為) の物理を知らねばならない。






  1. 2013/12/15(日) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ

後書 (純粋の贈り物を捧げる気持ちで) 32

 本来、マイナスエントロピーの 「性」 の栄養は、子供から老人まで、即ち生まれてから死ぬまで、

個体の 生命力の保持の為に必要なもの であり、プラスエントロピーの 「性」 の行為は、生殖

の為の必要 な時にのみ、個体の消耗を犠牲 にして行われるものである。いずれにしても 「性」

とは、最も公明正大にして厳粛な生命の営みである。それを卑猥な秘すべきものとし、あるいは又、

禁欲を美徳とか宗教的戒律とかにしてしまったのは、人間の無知 の故に他ならない。






  1. 2013/12/14(土) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ

後書 (純粋の贈り物を捧げる気持ちで) 31

 自然の動物たちは、人間のようなプラスエントロピーしか知らぬ者は無い。彼らには高度の智能が

ない為に、かえって 交尾期以外の一年の大半は、スナホにマイナスエントロピーの 「性」 を

楽しんで、「個体」 の生存を保ち、「種」 の保全を全うしている。


 個体がそれぞれ 「男」 として 「女」 として、健全な発達 をとげ、充分に生命力 の充実した

状態でない限り、良質の子孫を残すことはできない。悪質の子を産むことは 「種」 の墜落、滅亡に

つながるものであり、その位なら劣悪な子は産まぬ方がましである。その意味で自然の生物には

あらゆる 制約と鍛錬 が課せられ、そのことが本能的に 組み込まれて いる。この生物の大原則

に関しては、人類と雖も、決して 例外が許される筈は無い。






  1. 2013/12/13(金) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ

後書 (純粋の贈り物を捧げる気持ちで) 30

 プラスエントロピーの 「性」 と呼ぶわけは、生殖の為の性行為には、快感と共に、生命力の大き

な消耗
 が伴うからである。(それ故人間以外の動物には、一年の内のごくわずかな期間しか許され

ず、おのずからなる制御がなされている。)

 現代人一般の 「性」 に対する態度は 『動物以下である』 という理由は、人類だけが、動物たち

の守っている 自然の制約を放棄 しながら、しかも 「性」 に関してのみ、何らの 精神的な向上

性をもつ文化もつくり出していない 
点である。

 相似象学が、マイナスエントロピーの性、即ち 生殖以前 の、個体の生命力の向上 の為の

「性」 に関する、物理的な 認識をもつことの重要さ を強調するのは、一年中、野放図に、消耗

の甚だしいプラスエントロピーの性行為に耽る反自然的な愚行が、人類の脳を眠らせ退化させる

最も大きな要因 であると判断したからである。






  1. 2013/12/12(木) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ

後書 (純粋の贈り物を捧げる気持ちで) 29

 その理由は、『人間にのみ具わる智能の発達が 裏目に出て欲望追求の一方に偏した 為で

あり、それ故 人間と動物の違い についての根本的な判断が、いまだに、科学でも哲学でも宗教

でも、出せないで混迷している有様である。』

 現代人は、最高度の智識人でも 「性」 といえば生殖、性欲、性行為等の動物次元のことしか考え

られなくなってしまったが、相似象学では、それを プラスエントロピーの 「性」 と呼び、それに

対する マイナスエントロピーの 「性」 の重要性を、創刊以来述べて来たのである。






  1. 2013/12/11(水) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ

後書 (純粋の贈り物を捧げる気持ちで) 28

 「性」の問題といえば必ず誤解を受ける点について、ここで改めてその真意をハッキリさせておこう。

 我々人間は、あらゆる面で、人類以外の動物たちとは隔絶した生き方をしている。食も衣も住も、

彼らとは全くかけ離れた形態で営まれ、そしてそれぞれに、人間だけの 向上的な文化 がつくり

出されている。(それは取りも直さず、他の動物たちの持たぬ、人間にのみ具わる、大脳智能の発達

による精神性
 のなすところである。)

 ところが、「性」 の問題に関してだけは、向上的な文化を作り出すどころか、いまなお動物次元に

止まっている。というより、動物以下 の文化的公害汚染も甚だしい状態に陥っている。






  1. 2013/12/10(火) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ

後書 (純粋の贈り物を捧げる気持ちで) 27

サヌキ型人間はもとより、アワ型人間も、要するに 低次元に止まる限り、個人としても民族としても

救いは無い 唯々、アワ量を増すこと によって、あらゆるトラブルは 解消し得る のである。

我々の遠い祖先の人々が、その為の物理を <サヌキ・アワ> の <フトマニ> のサトリとして

開発してくれていたということは、真に驚くべきことではないか!






  1. 2013/12/09(月) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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後書 (純粋の贈り物を捧げる気持ちで) 26

 まして我々の祖先に、そのアワ量を養い、眠れる脳を覚ます方法と、その為のエネルギー補給のサトリがあった、

ということを認識すれば、どれ程イキイキとめいめいの生まれながらの性質を発揮することが出来るであろうか!

(ひとたびこのサトリを知れば、もはや身を殺すと知りつつ暗い思いに耽り、悪酒に紛らわすこともなくなって

しまうものである。)

 そして更に日本民族の上古代に、これ程のアワ量の多い文明の世 があったということは、我々日本人には、

真の人類の文芸復興 (アラカミチ) の可能性があるということを示すものである。

 (西欧人の文芸復興は、せいぜい ギリシャか、旧訳聖書の世界 しかない。それらは到底現人類には

なり得ぬものである。)






  1. 2013/12/08(日) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ

後書 (純粋の贈り物を捧げる気持ちで) 25

 彼らが、アワ量の少なさゆえの、ミのない波動を放出して周囲に迷惑をかけるという問題も、このことに付随する、

避けられぬ現象である。そしてそれは、自己を反省し他を顧慮せずにいられぬ波動量を持つ者の側で、カバー

するしかない問題であって、これもまた、おのずからなるチカラの物理 というものである。

 アワ量の多い者は、所詮どこにいても、苦労せずにいられぬ者である。その苦労を、この物理を わきまえた上で

するのと、わけもわからずに 空しく心身を傷めながらするのとでは、どれ程大きな違いとなるであろうか!






  1. 2013/12/07(土) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ

後書 (純粋の贈り物を捧げる気持ちで) 24

 潜在能力のあるなしは、殆ど生まれつきであるから、我々個人の側の責任ではない。しかしそれが 不公平では

ない証拠
 に、能力の低い者には、自分の波動量以上のもののことが、わからない (共振能力が無い) ように

なっている。という事は実は、それが彼らにとってのおのずからなる救いなのである。 

(知らぬが仏、見ぬもの清の類である。)

 もし低次の人間が、自分の低サ無知サを、マザマザと自覚できるとしたら、それこそ収拾がつかなくなるであろう。

そういうことがないおかげで、人々は、自分の波動にふさわしい娯楽を楽しみ、職業や身分等に収まっていられる

というものである。






  1. 2013/12/06(金) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ

後書 (純粋の贈り物を捧げる気持ちで) 23

 有史以来の人類の文化は、孔子釈尊ソクラテスキリスト等、人類の師と呼ばれる人々にも、

このサヌキ・アワのサトリが無かったばかりに、悪平等的に、サヌキ型人間もアワ型人間も一率の、

能率の悪い教化法しか行えなかった。

 能力の無い者に、また、能力を開発せずに、無理な要求 をするのは 物理ではない。

 潜在能力のある者 に対する 鍛錬の方法を確立 することが、人類文化の 

本を正す、第一のスベとなるものである。






  1. 2013/12/05(木) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ

後書 (純粋の贈り物を捧げる気持ちで) 22

 天才がその才能を発揮するにも、前述のように、その サヌキ性に見合うアワ性の支え がなければならない。

昔から芸術や技術や武術、学問や宗教体験等の伝達 ・ 相続に成功した例も、その 師と弟子の間柄 が、

サヌキとアワの複数協力関係の適合 した場合である。即ち、それとは知らずに <フトマニ> のサトリの

相似象
 になった時、その 波動量なりの成果 を見るのである。近頃のスポーツのコーチ等も相似象で、世界的な

記録をあげる為には、いかに優秀な才能素質 (サヌキ性) のある者も、独力で成功するものではない。

 アワ性を養うことの大事さ、殊に、自分の才を表に出す欲望を持たぬことを本来性とするアワ型人間 の

アワ性を、正当に養成することがいかに必要であるかと言うことを、筆者は繰り返し強調するのである。






  1. 2013/12/04(水) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ

後書 (純粋の贈り物を捧げる気持ちで) 21

 要するに、アワ型人間の低次の 好みに耽ることなく、自分の内に具わる アワ性をマットウに鍛錬し開発 

することに 全力を注ぐべき なのである。それによって自分自身の アワ量を増す ことこそ、(それを私共は

アマナの転換のサトリ としているのだが、) アワ型人間自身が 自分の生存を全うしうる唯一の方法 であり、

ひいて周囲のサヌキ型人間に影響を及ぼし、彼らの アワ性を啓発する前駆力 ともなり得る道なのである。






  1. 2013/12/03(火) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ

後書 (純粋の贈り物を捧げる気持ちで) ⑳

 このことを物理として納得することの出来るアワ型人間は、自分の中にある <アワ> の本性 が、どういうもの

であるかを、<サヌキ ・ アワ> のサトリによって 認識すること から始まるべきである。それによって、徒に、

ミのないサヌキ型人間に人情を尽くして欺かれたり、余分な期待をかけて奉仕し、親の心子知らずの歎きをみたり、

ましてや買いかぶっては飼い犬に手をかまれるような、能率の悪いことに、エネルギーのロスを 犯さぬだけの

波動量
 を持たねばならない。






  1. 2013/12/02(月) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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