温故知新 ~サヌキとアワのサトリ~

相似象のサヌキとアワの紹介です。

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後書 (純粋の贈り物を捧げる気持ちで) ⑱

 (しかし依然として本人には罪の意識も反省も無く、最後まで周囲に迷惑をかけ通す存在に終る。しかもその

なれの果て の姿は、概ね屋内に遮断されたまま死んで行くから、世の若いサヌキ型人間への、みせしめの

教訓にもならぬものである。)

 いずれにしても今日までの社会は、低次のサヌキ型人間をのめのめとはびこらせ、アワ型人間が無残に扱われて

報われるところ無く死んでゆくのを、是正する道がなかった。 そしてそれが現人類の滅亡に繋がる末期現象で

あるとわかっていても、誰にも解決策は無かったのである。






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  1. 2013/11/30(土) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ

後書 (純粋の贈り物を捧げる気持ちで) ⑰

 アタマは良く、才能があって世間的な名声を得る人々の中に、しばしばアワ量の少ない低次のサヌキ型人間が

多いものである。そういう人々が 安楽な長寿 を保つかげに、彼らにミを以って奉仕しては、無視され誤解され

揶揄されて、心身を癌化 させ、みすみす若死にして行く者がある。

 この事実を、サヌキ ・ アワの 「性」 のサトリによって、改めて、読者の 認識に出して 頂きたいのである。

 アワ型人間でも、ナイチンゲールほどにアワ量が抜きん出れば、理不尽に圧倒されたまま陥れられてしまうような

ことはなく、立派に天寿を全うしうるものであるが・・・・、そしてまた、低次のサヌキ型人間もその アワ量なりの報い

は正確にうけるものであるから、アタマの達者な間は、大きな顔で我が世の春を歌っていられる者も、大抵晩年は

そのアタマが耄碌 し、半身不随、寝たきり老人等のあわれな 痴呆状態 になるのが落ちである。






  1. 2013/11/29(金) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ

後書 (純粋の贈り物を捧げる気持ちで) ⑯

 筆者が言いたいのは、その性向が個人的なものではなく、アワ型人間の (あるいはサヌキ型人間の) 本来性

から波及したものであることをわきまえて、その性向を、低次の 「欠点」 に定着させてしまわぬよう 逆序する

(自分で自分を教えサトス) ことが必要だというのである。

 くれぐれも取り違えてはならぬことは、アワ型がよいとかサヌキ型が悪いと言うのではなく、低次のアワ型 ・ 

サヌキ型に止まらず、『アワ量を増さねばならぬ』 ということであり、人間には、逆序のサトリによってそれが

可能となる道がひらかれているのである。






  1. 2013/11/28(木) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ

後書 (純粋の贈り物を捧げる気持ちで) ⑮

 アワ型人間の特徴が裏目に出ると、執念深く決断が鈍く迷いが多く思い切りが悪く、日常生活でもついダラダラ

とテレビを見続け、食べ出せばキリが無くなり、酒を飲めば梯子になる。要するにサッと打ち切って次に移ることが

下手な為に、どうしても残業夜更かし型になり、従って朝は起き難い。そのくせ眠くてもどこでも一眠りと言うわけには

行かない。そして、そのような自分の性向を恥ずべき欠点と思い込んで、我ながら嫌だ嫌だと苦に病んで 一生を

惨めなものに終ることになる。 (サヌキ型人間はそっくりこの反対と思えばよい。)






  1. 2013/11/27(水) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ

後書 (純粋の贈り物を捧げる気持ちで) ⑭

 しかも情けないことには、誤解、邪推、揶揄、裏切りなどという波動は、人間社会にのみ 派生する 大脳二次

波動
 であるから、人間の間でこそ、共鳴されたり、あるいは相手を傷つける等の影響力を持つが、天然自然に

ヒビク波動ではない。それ故加害者の生命波動には殆ど、なんの痛痒もあたえることにはならないものである。

 それどころか全く逆に、(悪いことをした者の方は平然と栄えているのに) 真心を尽くしながら裏切られた被害者

の方がひどい目にあってしまうのである。なぜなら、ミを以って尽くすことに心身を労した上に、悲しい思いや憤りなど

の 暗い興奮 の為に、悶々として夜も眠れぬとか胃を悪くするとか、アルコールに逃げるとか、ヤケになる等の

不健康な状態に陥りがちだからである。 (無理も無いとは言え、それは、アワ型人間が低次の 好みにふける 

姿であり、アワ性が次第に擦り切れて行き、 アワ型人間の 不幸を決定的なものに してしまうことになる。)






  1. 2013/11/26(火) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ

後書 (純粋の贈り物を捧げる気持ちで) ⑬

 ミを以って尽くす人を無視したり誤解したり邪推したり、まして揶揄したり裏切ったりすることが、人間としていかに

許すべからざる行為 であるか!しかしそれを憤慨するのは、同じ心を持つ者、即ち アワ量の多い者の間 だけ

でのことである。そして、そうした人の数はいつの世も極めて少ないから、めったに互いに出合うことも無く、世の多数

者からは全く無視された存在で終るしかない・・・。僅かに、誤解されるような人に真心を尽くした身の至らなさを一人

反省し、このような 愚かな過ちを再びしない 為の、試練とも、また反面教師とも考えて、人生の一つの経験として

大きく許容するしかなかったのである。






  1. 2013/11/25(月) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ

後書 (純粋の贈り物を捧げる気持ちで) ⑫

 お互っこのようなものだが、その結果はおのずから異なり、前者のサヌキ型人間は、相手に迷惑を掛けるが

自分を害うことはない。後者のアワ型人間は、自分が痛まっても相手を傷つけることは無い。(サヌキ型人間には

カゲで支える者の苦労 がわからぬから、ことが上手く運べば自分に徳があるからだと優越感を持ち、うまく

行かぬと相手が悪いと責める。)

 いずれにしてもアワ型人間の 損のし放し に終わり、サヌキ型人間は あくまで安泰 である。その結果は、

社会を増す増す 「サヌキ型社会」 の 弊害に追い込む ことになるのである。






  1. 2013/11/24(日) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ

後書 (純粋の贈り物を捧げる気持ちで) ⑪

 ミの波動量の無いサヌキ型人間に、波動量の多いアワ型人間の心が和からぬのと対照的に、ミの波動量の多い

アワ型人間 もまた、自分の波動量で相手を推察するから、サヌキ型人間の ミのなさがわからない。自分の

気持ちでついつい、思い過ごしや買い被り等の過大な感情移入をしてしまう。 (この方の過失は、孔子釈尊級の

人でも免れ得なかった。 『君子も欺かれることはある。しかし陥れられてしまうことは無い』 等という言葉が残され

ている。しかし、うがっていえば、彼らといえども、人情に流されて結局は 陥れられた ことになってしまったのは、

人間の悲劇である。)






  1. 2013/11/23(土) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ

後書 (純粋の贈り物を捧げる気持ちで) ⑩

 それ程でなくとも <ミ> の 波動量の乏しい者 には、ミを以って尽くす人の心が分からない。

なぜなら、例えば子供の頃から親兄弟や才能に恵まれ、人から尽くされるばかりで、ミを以って人のために尽くした

覚えの無い者 
とか、アタマでは 「まごころ」 ということを知っていても、ミを以って尽くす心を持たぬ者 は、ミを

以って尽くす者に出合っても共振波動(ヒビキ)がないから、自分の経験でしか推察できない。ということは、尽くす人の

心が、自分には、タイプが違うから わからない ということが わかっていない から 『こんなに尽くすのは、

相手に何か下心があるのだろう』 などと邪推することになる。

 それが全くマ違っていても、本人は自分の判断が正しいと思い込んで疑わぬから、少しも罪悪感なしに

堂々と邪推し、しかもその為に相手がいかに傷付いていても、全く 意に介しない で嘯いていられるのである。






  1. 2013/11/22(金) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ

後書 (純粋の贈り物を捧げる気持ちで) ⑨

 <ミ> の感受なしに、<イ> の大脳智能を働かす ことしか知らずに育った者は、上手く行けばノーベル賞

級の業跡もあげられようが、一歩歪めば、グループでは連合赤軍や暴走族、ウーマンリブ族等々、個人のレベルで

は、親を金属バットで殴り殺す受験生等の類の、普通人の感覚では思いもよらぬ、アタマの先だけの思いつき を

行動に直結 してしまうものである。






  1. 2013/11/21(木) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ

後書 (純粋の贈り物を捧げる気持ちで) ⑧

 人のまごころを踏みにじる のは、人として最も罪深い行為である。ところが、世に学者智識人とよばれる人々の

間にも、それをしばしば、平然とやってのけ、しかも当人はその罪の深さに全く気付かぬということが多いものである。

(知能の低い者の犯罪行為は、世間を騒がせるが、その為に人々の見せしめにもなるからまだ罪は浅い。智識の

高い者の場合は、誰が見てもそれとわかるようなやり方ではないだけに、世人から咎められることも無く、もっぱら

まごころを捧げた者の 一方的な傷手 に終るのがつねである。)






  1. 2013/11/20(水) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ

後書 (純粋の贈り物を捧げる気持ちで) ⑦

 そもそも人が、人に、親和の情を覚えるのは、(乳幼児の時期の人見知りをはじめとして、『何となく気が合う』

などというのは、) 先ず、自分と 同じタイプ の、波動量の多い者 に対してである。

(この気持ちは一生続くことが多い。)

 それに対し、次は、自分と 異なるタイプ の者に惹かれる場合である。(所謂 恋愛感情や友情には これが

多いが、この方は危険率が多い。なぜなら、タイプの違う者の心はお互いに分からないから、「アバタもエクボ」 の

間は良いが、『幻滅の悲哀』 や 『裏切られ』 等の袂別に至るケースが多いからである。)

 しかしサヌキ ・ アワのサトリの無い者には、その不幸を防ぎようが無く、同時に恵まれた幸せを続けるスベも

知らなかったのである。






  1. 2013/11/19(火) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ

後書 (純粋の贈り物を捧げる気持ちで) ⑥

 現代人の価値観が、金や物や名声を得るための才能のあるなしを第一とすることは、サヌキ型人間を鍛錬して

活性化させるには都合が良いが、しかしアワ型人間を不当に自虐させ衰弱、低次のサヌキ型人間のはびこるに

任せて、結局は、社会の混乱を甚だしくするのみである。


 『嫁姑の関係は永遠に相容れぬ仲だ』 等という通念も、それが、サヌキとサヌキ、サヌキとアワの葛藤の面を

見ているのであって、アワとアワの相乗作用 を育成するスベの大事さの認識が人々にない為である。

(たまたま嫁も姑もアワ型人間の仲のよい例もある。)

 いかに人生経験を重ねても精神的な向上過程をたどらぬ者は、一生波動量の増えることもなく、動物次元の喜怒

哀楽の繰り返し
 に終わる。その代わり動物たちのような 「知らぬが仏」 的な平安さにも恵まれる。

 
自分の中のサヌキ ・ アワ、他人の仲のサヌキ ・ アワの性の物理の重要さを知るだけでも、現代人の 眠れる脳

はかなり 覚めてくる に違いない。






  1. 2013/11/18(月) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ

後書 (純粋の贈り物を捧げる気持ちで) ⑤

 サヌキ型人間が才能を発揮し、物質や金銭や名声を求めることを悪いと言うのではない。ただ、死ぬまで事業や

才能の成功を追い続け、
名声を得れば勝利感 ・ 満足感を覚え、疑いを持たずにいられる者 は低次のサヌキ型

人間だというのである。サヌキ型人間にもピンからキリまであり、その頂点は 「天才」 とよばれる。

 それに対し、才能があってもなくても、たとえその道で成功して金や物や名を得ても、満足感 ・ 勝利感よりは、

何か 空しさを覚えずにいられない のは、アワ性の強い人間だと言うのである。

 少なくとも 人口の半数は生まれてくるはず のアワ型人間をマトモに育成する配慮を、現代社会の教育も

政治も、殆ど無視しているのは あまりにも片手落ち だ、と言っているのである。






  1. 2013/11/17(日) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ

後書 (純粋の贈り物を捧げる気持ちで) ④

 そして一方では、アワ型の子に、無理なサヌキメッキを強制 してその芽を無碍に踏みにじり、アワ的な性向を

歪ませて、その心身に、一生消えることの無い傷を負わせながら、親は気付かぬと言うことになる。

 こうした無知さは、要するにサヌキ型社会の偏向を甚だしくし、地球上から人類を絶滅させる傾向を一層助長する

ことになるのである。

 この傾向は三千年前既に顕著となり、終末観・末世思想が現われ、次第に加速されているが、物理的なバランス

作用・復元作用が働くために、球感覚のない者には気が付かず、不安定もないのである。






  1. 2013/11/16(土) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ

後書 (純粋の贈り物を捧げる気持ちで) ③

 教育関係の指導者達の母親教室の類も、ことに低次のサヌキ型人間の母親に対しては、殆ど無効どころか、

むしろ弊害を助長させるのではないかというおそれを感じさせられるものが多い。なぜなら、彼らは講師の言葉を

自分の性向に都合の良いように聞いて、しかもそれを 権威あるもの として、自信を持ってしまうからである。

 ということは、もともと自分自身に 正当な基準を持たぬ人 に対して、末端的な小智慧 をつける為に、益々

判断をマ違わせる結果になる、ということである。例えば 『子供は叱るより褒めよ』 『子供も一個の人格だから』

『自己主張がハッキリ出来る子に・・・』 『三歳までは母子密着して・・・』 等と言われると、サヌキ型の母は、サヌキ

型の我が子を自分に 輪をかけた低次のサヌキ型人間 に仕立ててしまう。なるほど野放図に 「明るい性格」 

には育つかも知れぬが、他者への思いやりや、畏れの心や、忍耐心、反省心を欠く反面、自惚れや自分本位の

利己心の強さは、周囲のアワ型人間を、平然と圧迫して罪悪感を持たない。







  1. 2013/11/15(金) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ

後書 (純粋の贈り物を捧げる気持ちで) ②

 一方では 『通じるもの』 といい、一方では 『わからぬもの』 という、正反対の現象 があらわれるのは、

今日まで、人々に、サヌキ・アワの 「性」 のサトリがなかったからである。その為に、相手が何型か? という

見境なしに、サヌキ型人間は、相手も自分と同じ心のつもりで判断し、アワ型人間も、自分の心で相手を推察する

しかなかった。(たまたま同じタイプの者の心は共振的に通じ合い、異なるタイプの者の心は共振作用が起きない

から 『わからない』 という、いわばまことに正確な物理現象だったのである。)

 要するに今日までの人間のトラブルは、個人的なノイローゼや神経症、鬱病等の悩みも、また、親子、夫婦、

きょうだい、嫁姑等の、お互いに善意の家族関係や、友人師弟職場等に於ける、様々な 人間関係のトラブル も

その大半は、自分自身、及び、相手の 「性」 に対する無知のために、自分の気持ちで相手の心を

取り違えたり、買いかぶったりするところから発している、といっても過言ではないのである。 






  1. 2013/11/14(木) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ

後書 (純粋の贈り物を捧げる気持ちで) ①

 本稿の筆を措くに当たり、あまりにもくどいを承知の上で、(しかしここまで読み続けて下さった読者には、いくら

くどく繰り返してもまだ足りないという思いがあるので、)最後に、この <サヌキ・アワ> の (性)のサトリ を

最も必要とする人々 へ、筆者の切実な、そして 純粋な贈り物 を捧げる気持ちで、後書を結びたい。

 『他人の気持ちはわからぬもの、』 と世の人も言い、実は、わからないのはタイプの異なる者の心 である。

サヌキ型人間にはサヌキ型人間の心は察しがつくが、アワ型人間の心がわからないのである。アワ型人間にとっても

わからないのがサヌキ型人間の心である。タイプの同じものの心は 共振をよぶ ものであるから、世には、 『人の

心は必ず通じるものだ』 という言葉も亦、存在するわけである。






  1. 2013/11/13(水) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ

自分のアワ量の増す方向へ進行し続けるしかない

 そういうことを、先天的に、感じざるを得ぬ者 にとって、そして、それを求め得ぬために、空しく苦悩するしか

なかった 真の少数者にとって、『今、自分がどう生きればよいか?』 『その根本原理がわかった!』 という

この一事は、ただその一事によって、過去の、一切のこだわりから解放され得るほどの、大きな感動を覚える

出来事なのである。

 それが自分にどの程度達成できるか、は、もう問題ではない。 自分の 「アワ性」 が納得し、自分の 「アワ量」

が確かに 以前より増したことを感受できる方向 へ、一歩一歩、死ぬまで進行し続けるしかないのである。







  1. 2013/11/12(火) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ

世の多数者には通じずとも天然の波動にはヒヒキ得た少数者に多数者の安楽な明日も

 今、私共は、自分が 「アワ型」 であれ 「サヌキ型」 であれ、何を、どう求めればよいか? の目安を知った。

 何を真に畏れ、何を真に敬うべきか? の方向 (根拠) を知った。

 この 「安らぎ」 の 「有り難サ」 は、我が身の未熟、微力、無能の歎きを越え、六十年の過去を水に流し、新しい

道に向かって、新たな生命のヨミカエリを、まざまざと覚えるほどのものなのである。

 当面の衣食住の満足を得るに精一杯の人々には、「贅沢な・・・」 と一蹴され、また、自分一個の救い、自分の

家族の幸福しか考えようとしない現象型人間には全く縁の無い、こうした問題に取り組み、一筆の食、一瓢の飲、

なお求めずにいられぬ者の心は、しかし、世の多数者には通じずとも、天然の波動にはヒヒクもの であった。

その <カムヒヒキ> が、人間の 「アタマ」 を <カシラ> にし、「逆序のサトリ」 をウツシ得たのである。

そして実は、この問題が解明されなければ、世の多数者の安楽な明日も、あり得ぬものだったのである。






  1. 2013/11/11(月) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ

ヒタリの肩の宿命 ②

 それこそ <アワ> の本性が、「無知」 の為に、ヒズミ、歪んだスガタだったのだ、と 心から気が付いた時、

(大事なことはその気のつき方が、ただ何となく感じる程度ではなく、「物理」 として認識された時、)「アワ型人

間」 はどのような変貌を遂げるものか?私共は、もしこのことを知らなかった場合と、「無知」 を教える 「逆序」 の

サトリの効果との大きな違いに、改めて我ながら驚いているのである。

(まことに、 「無知」 程悲しいことは無い。)






  1. 2013/11/10(日) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ

ヒタリの肩の宿命 ①

 <アワ> の心を大きく持たざるを得ぬ少数者は、世の人間関係に於いて、つねに 「左の肩」(ヒタリ)の役割 

を、「天然態」 として 果すべき宿命 にあるものと言えるであろう。

 一般に 「神経質」 などと言われるのは、実は 「感受性の鋭い者」 であり、「生命カン」 即ち、潜在的な 

<アワ> の性の強い者
 であることが多い。ふだん、一寸気に掛かることがあったり、枕が変わっただけでも

寝付けず、コーヒーや玉露にも眠れず、つねに 「受身」 で自主性が無く、自分の方に分がある時でも遠慮や気兼ね

をし、そのくせ後で後悔する。(しかもそれを自己嫌悪しながらやめられない。)また、他人の失敗や不幸を見ても自分

の責任を過大に感じ、救う力も無いくせに放っておけない。他から受ける僅かな恩にも恨みにも、その念がいつまでも

重くつきまとう。我ながら情けなく思っていたこのような性質も、実は、自分の 個人的な欠点ではなかった のである。






  1. 2013/11/09(土) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ

貧しいながらも階級闘争に走らずに ③

 サヌキ型社会の、米・ソの核競争のような危険な進路を修正する道は、真に 潜在アワ量の多いアワ型人間の、

自覚と発憤
 にまつしかない、ということ筆者は、<カタカムナ> のサトリによって伝えたいのである。

 たとえこの <サトリ> を知ったとて、一個の下積み人間として終る私共の一生に変わりは無いに違いない。

しかし、 『わきまえている』 ということの確かさを読者に伝えたい のである。

 思えば私共も、自覚の無いために、長い間信ずるにも愛するにも尽くすにも、随分、「自然サ」 の少ない無理な

頑張りをして、自分を虐めてきたもの である。今はただ、『でも私は一生懸命だったのだから許して下さい』 と、

私自身のイノチのヌシにわびるしかない。






  1. 2013/11/08(金) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ

貧しいながらも階級闘争に走らずに ②

 そこでは彼らの中のサヌキ性が無邪気に発表され、そして明るく認められ、サヌキもアワも、嬉々として手を打って

いられる格好の場である。その程度で満足している人々はほほえましく、実に日本的 である。彼らは 「マイカー」

に乗り、インスタントラーメンやコーラを求めながら本心は塩せんべいやたくあんを好み、社会の下積みに 甘んじ

ながら 強い生命力を 持ち続け、且つ日本人の指導層には、そうした人々の心を失ってはいけないという 配慮が

根深く
 あった。そのことが、日本の民衆が、貧しいながらも 西欧人のような 革命や階級闘争に至らず、近代

化を進めながらも今日まで、独自な日本的社会 を辛うじて保持し得た、大きな要素であったと考えられる。





  1. 2013/11/07(木) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ

貧しいながらも階級闘争に走らずに ①

 日本の子守唄や 艶歌・浪花節の類が、大衆に根深く支持され、幾度か亡びかけながら、またしても息を吹き返し

てくるということは、その哀調・泣き節の響きが、おそらく、低いところで黙々と、報われること無く働く 多くのアワ型

人間の心に、無意識裡の共振 を呼ぶ故であろう。そしてそのようなアワ型人間に支えられている下積みのサヌキ

型人間もまた、多いということは、例えばTVの 「のど自慢」 の放送が、最も長く続いている番組であるということ等

に、象徴的にあらわれている。






  1. 2013/11/06(水) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ

日本人の感覚の正当さを物理として ⑤

 ただ、今までは、人々に、その自覚が無かった。たとえ後者の実力が示されていても、本人自身、それを自覚して

いないし、前者は、目立つ作品こそが勝負であるとして、決して譲るものではない。

 他人より抜きん出て有名になることだけを生き甲斐と思わせている今日のサヌキ型社会にあって、何としても、

アワ型人間が、自分のタイプ と、 その役割 とを、ハッキリと 認識する必要 があることを伝えたいのである。






  1. 2013/11/05(火) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ

日本人の感覚の正当さを物理として ④

 その日本人の実感は、正当なものなのだということを、筆者は 冷静な物理として読者に伝えたい のである。

 そして、立派な芸術作品や専門の研究の為に打ち込む人々の鍛錬と、人々に嫌がられる、取るに足りない詰まら

ない仕事に従事しなければならぬ人が、それを 誠実に繰り返す為の鍛錬とは、見かけは全く別だが、もしその

態度が同じなら、「心」 の地に養われるモノ は変わるものではなくむしろ、専門の仕事に関してのみ精魂を注ぎ

それが世に認められて名を成し、その他のことには心を留めずに生きた人々のアワ量よりも、その人々の疎んじた

つまらぬカゲの仕事を毎日毎日、マトモに繰り返すことによって鍛えられたアワ量のほうが、確かに多いことがあり

得る、
ということを、筆者は言いたい のである。






  1. 2013/11/04(月) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ

日本人の感覚の正当さを物理として ③

 その他、日本人の弱点として団体行動を好み、右左の人と同じことをやっていなければ安心できぬ等と、しばしば

指摘されるのも、<カミ> を畏れ、世間 (オトワヤマ) を憚る <カタカムナ> のサトリが裏目に出た、低次の

サヌキ型人間・アワ型人間の歪み現象であると言うことも出来る。

 しかし、もともと民族的に智能そのものが低いわけではなく、また、そもそも大脳は、感受性に付随して働くのが

本来のスガタ であったのだから、感受性の鍛錬 が他民族より進んでいたということはそれだけ 潜在的な力を

持っていた
 というわけであり、一寸努力すれば追付ける ものである。民族的にはなお当分、立ち後れ状態 は

続くであろうが、本質的には恐れることは無いという実感 は、何となく持っている筈である。






  1. 2013/11/03(日) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ

日本人の感覚の正当さを物理として ②

 日本人は、カタカムナ以来、四十八の声音の思念に対する民族共通の感受性が、日本語を話す言語機能に密着

して、赤ん坊の時から鍛錬されて育つために、日本人同士の間では、何となく分かる部分が多く、理屈を並べること

は寧ろヤボ
 とされてきた。

 日本語のような 共通の感受性を鍛錬せざるを得ぬ言語 を持たぬ民族が、お互いの利益を主張する為に、

言語表現の智能を鍛錬せざるを 得なかったのは当然のことであり、今となってみればそういう民族に対し、

どうしても日本人は劣等感を持たされてしまうのである。






  1. 2013/11/02(土) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ

日本人の感覚の正当さを物理として ①

 思えば、あらゆる 物の名に、性の別をつけてよぶ言語 を使う民族があるのは、興味あることである。

<カタカムナ> のサヌキ・アワの思念から見れば、日本人なら例えば犬はサヌキ性の智能に優れ、猫はアワ的な

生命力が強いと感じるのだが、どうしてフランス人は犬でも猫でも男性にし、ドイツ人は犬を女性にしたのであろう?

(しかし犬でも盲導犬になれるような優秀な犬は、サヌキ性の智能の発達の裏付けとして、必ず、上回ったアワ量

が鍛えられているという点では、人間の場合と相似象である。)

 いずれにしても、<サヌキ・アワ> のサトリを持たぬ民族が、自分たちの言語に、日本語には無い性別をつけて

話す習慣を、伝え持つのは面白い現象である。







  1. 2013/11/01(金) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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