温故知新 ~サヌキとアワのサトリ~

相似象のサヌキとアワの紹介です。

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最もアタリマエのサトリ ③

 いかに頭脳は進化しても、『生命を守る』 という 生物の至上の目的からは あくまでも離れることなく、更に

その上に我々は、人間次元での文化を発揮しなければならない。人類の社会として、親子 ・ 夫婦の和や、健康な

長寿など、良いとわかっていることを、マットウに達成したい。

 我々人類が、最も アタリマエなこの願いを 遂行する為には、<カタカムナ> の <フトマニ> のサトリを、

「逆序」 によって果すしかないという結論を述べ、それには、我々が誰一人持たぬ者の無い <サヌキ> <アワ>

の性の マトモな取り扱い方をマスターすること が、 最も能率の良い方法 (マノスベ) であることを、筆者は

物理として読者に伝えたいのである。






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  1. 2013/10/31(木) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ

最もアタリマエのサトリ ②

 価値観は、銘々の波動量によって異なるが、他者から褒め称えられ歴史に名を残すことが人間の最高の目的で

ある筈は無い。いよいよ死にのぞみ、アマに還る時、人間の社会にのみ通用する肩書きや冨は、何の資格にも

なるものではないからである。

 自分の持っている 潜在アワ量を開発すること以上に大事な、且つ 緊急に、為すべきこと は無いのだという

最もアタリマエのサトリ を、筆者は、まだその自覚の無い読者に訴えたいのである。

 野の鳥たちが一瞬一瞬、身を守る微波動 をマ違えることなく、一寸した危険からもス早く身をかわしながら、

しかも 無用な力は抜いて、スナホに精一杯生きている 基本姿勢を、我々も決して失ってはならなかった

のである。






  1. 2013/10/30(水) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ

最もアタリマエのサトリ ①

 これだけ念を入れて書いてきても、筆者の意の通じぬ人々からは、サヌキ型人間の弁護や、アワ型人間の歪み

現象を取り立てての反論を浴びせられるであろう。拙い筆を思えばそれもやむを得ぬことであろうが、要するに、

サヌキ型が悪いとかアワ型が良いとかという問題ではない。サヌキ型であろうがアワ型であろうが、持たぬ者の

無い <アワ> の性を鍛錬すること が、すべての人に通じる根本条件であることを、ミを以って伝え度いので

ある。

 人間としての正当な生き甲斐、そして自分自身にとっての本当の幸福とは、何よりも、自分の 生命の完全燃焼

でなければなるまい。






  1. 2013/10/29(火) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ

カタカムナの世以来女であった為に受け持たざるを得なかった役 ③

 そうしているとおのずから 『昨日よりは手早く』 『前よりは少しでも上手に』 という 「年の功」 が表れてくるわけ

であるが、私共の実習の進むにつれ、それだけではない事がハッキリと知らされた。それは私共のように、兼ねてか

ら深く 「心」 の地に 求めてやまぬモノ のあった者には、それに関するヒラメキが、実に 思いもよらぬハヅミで

それらの手仕事の、現実のいとなみのカゲから (<ミ> のヒビキとして) 発生してくる ものだ、ということである。

そして、どこに参考書も辞引きもないカタカムナ文献解読の仕事は、このような <アマウツシ><カムウツシ> に

よる 天然の恩恵にまつ しかないことが、痛感されたのである。






  1. 2013/10/28(月) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ

カタカムナの世以来女であった為に受け持たざるを得なかった役 ②

 そして私共は、弱いから、能力が低いから、虐げられ押し付けられたからではなく、カタカムナの示してくれた

<アワ> のサトリによって、日々の生活の、単純な繰り返しの、面倒くさい詰まらない、とサヌキ型人間の嫌がった

その仕事を、一刻一刻果たして行くことに、心からのヨロコビとホコリをもつに至った のである。

 例えば家族の為に野菜の煮物一つ作るにも、汚れ物を洗うにも、(風呂や便所の掃除でさえ)、『やむを得ず』

ではあっても 『嫌々する』 のではなく、『漫然と』 でもなく、といって 『合理主義』 でもなく、いわば スナホに

その時その時に適切な微波動
 をコマメに働かすだけのことであるが、説明すれば、水が低きに流れ、気体が

自由に拡散されるような自然サの相似象を、人間の大脳次元で行う気持ちである。






  1. 2013/10/27(日) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ

カタカムナの世以来女であった為に受け持たざるを得なかった役 ①

 私共は四十年以上、男の人々の中で学習を続けてきたが、女であった為、やむを得ず我々の 遠い祖先のおば

あさん達が受けもたされたと同じ役をも
 毎日毎日果さねばならなかった。学習がどんな忙しい時でも、どうしても

その方もいい加減には出来なかったので、ギリギリの時間と体力のキワで、精一杯繰り返しているうち、図らずも、

<カタカムナ> に出合い、そして、現在我々が語ったり書いたりしている日本語の中に、遠い祖先のカタカムナの

世の人々の使っていた思念が、今なお生き続けていることを、マジマジと感受できるようになってきた。






  1. 2013/10/26(土) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ

つまらない仕事から生まれた美しい民芸や民話 ②

 これはどの民族にも共通するスガタであるが、殊に日本人には、その時吟われた歌や、語られた言葉に、知らず

知らず <カタカムナ> の サトリの思念が こもっていて、それが今日まで、日本人の心を、しらぬマに、養って

きた、というものがあったのである。

 『安物の陶器の絵付けを何十年も繰り返してた八十歳の老婆』 などという無名の人々が、優秀な才能 (サヌキ

性) を発揮して成功した有名な芸術家に伍して、勲章をもらったり人間国宝になったりするのも、学歴も無い素人

の民間人が堂々と、一流の学者専門家の研究と肩を並べる業績をあげ得るのも、皆、彼らが、銘々の 繰り返し

仕事をマットウに
 続けているうちに、同等の波動量を獲得 した結果であるということが出来る。






  1. 2013/10/25(金) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ

つまらない仕事から生まれた美しい民芸や民話 ①

 人間が生きて行く上に、どうしても免れることの出来ぬ、それ故に 誰かが引き受けねば ならぬ、面倒くさい

つまらない仕事を、昔から、アワ型人間が、弱い為に、また能力が低い為に、押し付けられて虐げられて、泣く泣く

果している間に、知らず知らず養われて行くもの があり、そのチカラが、多くの 美しい民謡や民話や、民芸品

を生み、また、周囲の人々や、子供たちの心を、知らず知らず、育成して来た のであった。そのような人々が

サヌキ型社会の崩壊を、
目に見えぬところで 支えるカゲの力 となっていたのである。






  1. 2013/10/24(木) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ

いかに文化が進んでもいかなる貴人も他人に代わってもらえぬ繰り返し仕事 ③

 私共の実験は、この方面でも、銘々が 赤ん坊から生き直すつもり で、動物的な日々の生活の繰り返し仕事

にも、人間レベルでの最もマトモなスベ を究明し実践している。そして、立ち方、歩き方、食べ方、眠り方をはじ

め、歯の磨き方一つさえ、私共は今まで、本当の方法を殆ど教えられてはいなかったことに しみじみと驚いてい

る。


 例えば食べ物についても、そしてその後の歯の清掃についても、少しでも早く 「逆序」 のサトリを実行して自分

自身を教え直さなければ、うっかり一般常識に任せていては、病気と入れ歯と耄碌の人生から免れることは出来ぬ

ということを私共は、今にして、つくづく思い知らされている。






  1. 2013/10/23(水) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ

いかに文化が進んでもいかなる貴人も他人に代わってもらえぬ繰り返し仕事 ②

 それ故、その一回一回を、どのような繰り返し方で 過ごすか?によって、人々の健康や寿命や幸福の度合いが

大きく限定されて しまう程、それは 大事なイトナミ なのである。

 人間以外の動物たちは、ひたすら、日々刻々、自分自身の生命保持に専念 している。そしてその為に最も良い

状態を求めて、真剣に忠実に、めいめいのいとなみを少しも 飽くことなく 繰り返している。人間のみが、『面倒くさ

い』 と感じ、『より価値高いと考える』 仕事の方にもっぱら関心を向けてしまったのである。






  1. 2013/10/22(火) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ

いかに文化が進んでもいかなる貴人も他人に代わってもらえぬ繰り返し仕事 ①

 今、我々は、昔の人々が、動物次元で苦労した生活のいとなみの多くから開放された。

 その代わりに、動物的な日常の鍛錬のお陰で、昔の人々が、知らぬ間に獲得していたモノ を、我々は大きく

失ってしまった。

 それでもなお、日々の生活には、食べるものの為、着るものの為等のいとなみに、単純な繰り返し仕事がどうしても

必要である。少なくとも我々は、いかに文化が進んでも、また いかなる貴人でも 朝起きて顔を洗い、食べ、

排泄し、眠る・・・といった、何としても 他人に代わってもらうわけには行かぬ 日々の身じまいの繰り返しをせず

に、生き続けることは出来ない。そしてこのことに付属する繰り返し仕事 (調理・洗濯・掃除等) は、いかに単純な

ものでも全く同じという事はあり得ない。一回一回、少しずつ、必ず違っている。






  1. 2013/10/21(月) 16:46:03|
  2. サヌキ・アワ

ムスビ (アワ性の鍛錬) ②

 面倒くさい辛い仕事は誰にとっても嫌である。要領悪く、お人好しの為にぐずぐずしていて押しやられ、やむを得ず

その役を引き受けていた低次のアワ型人間の中から、やがて、『どうせ誰かが引き受けねばならぬ仕事 なら、

出来るだけ上手に、早く、そして同じことなら 楽しくやろう』 と思う者が出てくる。そして、誰一人認めてくれなくて

も、自分では、昨日よりは今日と、少しでも 向上し たことに、ほのかな 心の喜び を覚えている、というのが、

アワ的発想 である。






  1. 2013/10/20(日) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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ムスビ (アワ性の鍛錬) ①

 昔は、日々の生活のいとなみに、骨の折れる繰り返し仕事が多かった。『嫌な仕事は他人にやらせ、 

自分はやりたいことだけしてすまそう』 とするのは、サヌキ的発想 である。

 強者は弱者に、男は女に、または奴隷や家畜に、嫌な仕事を押し付けて、平気でいられるは、低次のサヌキ型人間

である。

 単純な繰り返し作業には人手を使わず、省力化合理化機械化し、分業化  をはかろうとするのは、高次の

サヌキ型人間現代の文明のヒューマニズムとは、もっぱらこの方向に進行してきた サヌキ型社会のもの である。 






  1. 2013/10/19(土) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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要するに少数者は (アワ量・球感覚・潜象カン) ②

 「少数者」 と言っても、波動量によって、おのずから、その程度には種々の違いがあるが、常に、一方に偏って

流されて行く多数者の支えとして、
社会の バランスをとる力 となる人々である。それは、多数者の中に存在

する 少数者のアワ量の多い者 が、当人の好む好まざるに関わらず、意識するとせぬに関わらず、負わねば

ならぬ役割である。

 私共はそのことを、「何となく」 とか、「おのずから」 の程度にとどめず、ハッキリと少数者自身の認識に

出して、みずから鍛錬し、
マットウに、そして明朗に、その必然の役割を果たさせるべきであると考えるのである。






  1. 2013/10/18(金) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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要するに少数者は (アワ量・球感覚・潜象カン) ①

 少数者は、サヌキ型人間であれアワ型人間であれ、要するに アワ量の多い者、即ち 球感覚、潜象カンを

もつ者
である。

 それ故多数者が、眼前の現象に目も心も奪われている時でも、例えば周囲が皆、戦争協力 ・ 天皇崇拝の思潮

一色に染められている中にあっても、世界の情勢を見回し、戦争終結や戦後のための最善策を考えるとか、また、

人々が我も我もフランスへアメリカへと指向する中で、東南アジアやアフリカに目を向けるとか、また、東京へ大阪へ

と大都市に人々が集中する中で、郷土の文化を育て、あるいは偏狭に住む人々、原住民の伝統等に関心を持たずに

いられぬ、等という人々は 「少数者」 となる始まりである。






  1. 2013/10/17(木) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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右手と左肩の関係は ②

 このようなことは経験的に知っている人はあったであろうが、私共は、上古代語の意味を知るに及んで、廓然と

眼前のひらける思いがした。即ち <ミキリ> (右) と <ヒタリ> (左) とは、<サヌキ> と <アワ> 

のつながりであり、また、<アマ> (現象系) と <カム> (潜象系) の関連であり、ひいて、世の 多数者

と少数者
 の関係に他ならぬものだったのである。

 このことを、ハッキリと認識しなかったばかりに逆序のスベが分からず、筆者の左肩は石の如く凝るにまかされ、

左の耳、左の目まで吊らせてしまう有様であった。

 しかし一たびこのことを 物理として 知れば、もはや今日以上に凝りをつのらせることは避けられるであろう。

(もし逆序のスベがきけば、少しずつ和らぐ方向へ行ける筈である。)






  1. 2013/10/16(水) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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右手と左肩の関係は ①

 右の手 が一生懸命に字を書き、物を作る為に精魂込めて力を入れている時、左の肩 は、黙って、それを

精一杯支えて自分の身を労してくれているのである。

 しかし人間は、自分の右手が、自身の力で働いているとしか思わず、また左の手も肩も、少しも 自己を主張しな

。それ故筆者も最近まで、『右手を使っているのに、どうして左の肩がこんなに凝るのかしら変だな』 と時たま、

右手でちょっと叩いてやる位のものであった。

 右手の作業は主として 「運動」 だから、馴れれば筋肉も発達し、肩の凝りも大したことにはならない。その間

左手は、表立った仕事もせず、筋肉の鍛えも少ないが、右手が思いのままの仕事に専念できるように、重い

アタマごと、それを支えて
 いた。それ故、肩の凝り方は、右よりもはるかに固くなっているものである。






  1. 2013/10/15(火) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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アワ型人間の自覚発憤に待つ以外に突破口はない ②

 『<アワ> の前駆によって <サヌキ> が発生する』 という 物理を成就 しない限り、アワ性の強いサヌキ

型人間の苦悩も、潜在アワ量の少ないサヌキ型 ・ アワ型人間の問題をも包容して、人類のマトモな 「平和社会」

を営む為の 「場つくり」 のスベが開発される筈か無い。適切な 「場つくり」 をしないで、いかに 「努力」 を捧げて

も、「希望」 が実現する筈は無い。 「場つくり」 には 「基礎」 が肝腎である。その為の 「根拠」 を、今、私共は

ようやく <カタカムナ> につきとめたのである。






  1. 2013/10/14(月) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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アワ型人間の自覚発憤に待つ以外に突破口はない ①

 <カタカムナ> が真に 「逆序」 のサトリであるからには、「アワ型人間」 のみでなく 「サヌキ型人間」 の

為にも、事細かに、実習方法が示されねばならないわけである。しかしそれはまだ、先の問題 である。その理由は

ここまで読み込んでくださった読者には、もうわかって頂けているであろう。(まず潜在アワ量の多い 「アワ型人間」

の自覚と発憤にまつ以外に
、この困難な、人類の生 ・ 死に関わる問題を解明する、確実な突破口 (スベ) は

無いと考えられるからである。)

 アワ型人間が、真に鍛錬されることによって潜在のアワ性が発揮されれば、それが 前駆の力 となり、他の問題

は、縺れた糸をほぐすように、順々に解決されて行くものである。






  1. 2013/10/13(日) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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凡人の道 (逆序のサトリの有難さを知る者) ③

 いかに優れた霊感者や易占の類の人々でも、それが単に神秘思想に依存し、「当たる」 ことを目的とするもので

あれば、必ず限界が来る。

 何故なら、すべて 「天然態」 にかなったものでなければ、真実の 「霊感」 でも、「易占」 のワザでもないからで

あり、結局、孔子の言う 『占わずしてマコトあり』 の境地 に一致するものでなければならぬからである。

 しかし孔子にはその体験はあっても方法論 (物理) はなかった。まして凡人が、「無智」 にして、いかに努力を

尽くしても、何を分かることができようか?

 凡人の道は、逆序のサトリによって、自己を鍛錬する しかない。このことを真に認識した者だけが、この道を

行くのみである。しかしもし逆序の鍛錬に習熟すれば、自分の獲得した体験とその方法を、確実に 他者に伝達

することが可能となるはずである。私共は今少しずつそれを実証しつつある。






  1. 2013/10/12(土) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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凡人の道 (逆序のサトリの有難さを知る者) ②

 しかし人間の 「男」 も 「女」 も、<サヌキ ・ アワ> の 「対向発生」 の物理 をまぬがれて、生存を果た

すことはあり得ない。<サヌキ ・ アワ> の <フトマニ> のサトリなしに、人間としての、「男」 と 「女」 

の生命を、全うすることは出来ないのである。

 それ故、「天才」 は 「逆序」 のサトリは無くても済むが、凡人には、「逆序」 のサトリを教えられぬ限り 救いは

無い。
ただ、「逆序」 のサトリがあろうがなかろうが縁の無い者が多数ある中で、私共は幸いにも、凡人ながら

「逆序」 のサトリの有難さを深く知り得る者であった。






  1. 2013/10/11(金) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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凡人の道 (逆序のサトリの有難さを知る者) ①

 このことを 「潜象物理」 で言えば、凡人は、<アワ> の性を受け継ぐものであり、天才は <サヌキ> 

である。
 <アワ> は <サヌキ> に伴わねばいられぬものであり、<サヌキ> は自力で直進する性である。
 
 しかしながら、自力で直進するサヌキのその 「自力」 を発生させるチカラは、<サヌキ> 自体には無い。

 その力が、<アワ>の前駆の性から 与えられるものであることを、カタカムナの天才たちは知ったのである。

しかしサヌキ自身、無意識の内になされている力が、「無限遠対向」 の、「対向発生」 のサトリに示されているもの

であることを、現代人の脳は知らない。






  1. 2013/10/10(木) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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世の天才と凡人

 世の 「天才」 と 「凡人」 との違い を、筆者はようやくハッキリと認識することが出来た。

 「天才」 とは、自分のアワ性を、自力で啓発し得る人々 である。凡人は、「苦労する能力」はあり、実質的には

近付いていても、また、天然自然のイトナミに深く感動する心はあっても、どうしても 自力で殻を破ることが出来な

い。
天才者が、天然自然のヒビキを感じ取り、それを 「コトバ」 にしたものを、あくまで人間を通して 教えられる

のでなければ
、凡人は自力で知ることが出来ない。知ることが無ければサトリではない。一生、生まれつきのタイプ

(殻) から善にも悪にも脱けられぬのである。






  1. 2013/10/09(水) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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好みに耽らぬための逆序のサトリ

 もし <カタカムナ> の 「逆序」 の物理を知ることが無ければ、「それが好みに耽ることだ」 と分かっていても

というより、そんなことは決して好んでするわけではなく、それどころか我ながら嫌でたまらないのだが、「それも

好みに耽ることなのだ」 と言われてしまえば、その通りだ、と認めるしかなく、しかしいかに 「好みに耽る勿れ」

といわれても、それならどうすれば好みに耽らず、自己嫌悪や無常観などの虚しさの感情から抜けられるか?

の方法が示されぬ限り、筆者のような凡人はどうしようもなく、アワ型人間の陰々たる性情から一生逃れられぬ

見込みは無かったのである。






  1. 2013/10/08(火) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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逆序のサトリと少数者の自覚 ③

 もはやそのような大脳波動への結合の仕方は繰り返させてはならぬ。 (もしうっかり出してしまったら、もうその

波動は悪追いせずに放念してすかさず、新しい波動を出し直せばよい。) そしてアワ量増幅の方向へ、マットウな

工夫
 をするよう、「逆序」 の指令をハッキリと与えることである。しかしその為には、先ず 必要なエネルギーの

補給
 ( <アマウツシ> <カムウツシ> ) を行うのである。

 安易についていては 「アワ量」 は増えない。 『若い時の苦労は買ってでもせよ』 と言った昔の人の教えは

<カタカムナ> の 「逆序」 のサトリによって、はじめて適切なものとなり得る。






  1. 2013/10/07(月) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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逆序のサトリと少数者の自覚 ②

 私共の 「逆序」 のサトリ は、このような時にこそ発動させるべきである。前述の如く、自分の 「アワ性」 は

まだ極めて未熟であることは事実なのだから、自分の大脳に劣等感や厭世的な 「感情」 を起こさせている <ミ>

の正直な 「感受性」 の実感は、ハッキリと悪びれずに受け止め、それを 前駆の力 として、自分自身の <ミ> 

の真の内的欲求(潜在アワ量の開発増幅)の鍛錬へ、大脳波動を鞭撻する のがマトモな 「順序」 なのである。

 しかるに我ながらやりきれぬ未熟さ愚かさにひしがれて、感傷的な 「感情」 を、低次の大脳波動を出す方向へ

結合し続けることは、(その方が癖になっているから当面は安易であり、放任していれば必然的にその方に行くが)

それは取りも直さず 「好みに耽る」 ことになる。それでは自分の性格を低次のアワ型に定着させてしまい、真の

生命的な内的欲求 ( <ミ> の心 ) には反する結果となる。






  1. 2013/10/06(日) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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彼らの実験の理不尽さ ⑥

 私共は 『神秘としか言いようのないもの』 の 存在を確かに認める が、それを 「神秘思想」 で追求するもの

では決してない。 (所謂 「神」 「仏」 「アートマン」 「守護例」 「魂」 等は、人間次元の神秘思想の捉えた観念

であり、私共の 「根拠」 とする <カタカムナ> の潜象物理には 神秘思想は全く無い。 同時に 科学思想

でも無い
。 この証明は文献本文に於いて徹底的に究明されたい。)






  1. 2013/10/06(日) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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逆序のサトリと少数者の自覚 ①

 「アワ型人間」 が、自己の未熟さに 劣等感や嫌悪感を持つのは当然 だったのである。

 「サヌキ型人間」 がそれを持たなかったのは、当面の才能や智識等の大脳二次波動に圧倒されて、当然抱くべき

生命カンを、麻痺させていた のである。なぜなら、現人類に許容されている潜在アワ量からみれば、我々の 「アワ

性」 は、もっともっと開発されなければ 生命を全うすることは出来ぬ筈であるから、正直な生命カンが、自己の

未熟さに、劣等感や嫌悪感を 持つ方がマトモ だったのである。

 とはいっても、反省のあまりに悲観的になり、厭世観に陥り、自虐の末自殺に赴くコースをたどるのは、「アワ型

人間」 の 「好みに耽る」 スガタであり、それでは、反省心を欠き、自己の才能に任せて突っ走り、調子に乗って

行き過ぎたり、あるいは意志と違って非業の死に終る 「サヌキ型人間」 の 「好みに耽る」 スガタと、五十歩百歩

である。我々が、ともすればこうしたそれぞれのタイプの 「好みに耽って」 しまうのは、まだ低次の 「サヌキ型」

「アワ型」 に止まっている証拠である。 (また、分かっていながら抜けられないのはエネルギー不足の故であろう。)






  1. 2013/10/05(土) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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宇宙の真理は 「神秘」 ではない

 宇宙の真理は、太陽の照る如く、クマなく明示されている。

 「秘されている」 と思うのは人間の 「眠れる脳」 の故である。

 もし人間がそれを正当に知ることが出来る為には、最も スジの通った、マットウな鍛錬のみがものをいう。

この原則をおろそかにして ( 「眠れる脳」 のままで ) 抜け駆け的に神秘思想で探ろうとする態度そのものが、

人間だけの二次波動に過ぎず、私共には無用のものである。

 人間は、虫の声が良いとか小鳥が可愛い等というが、彼らのいとなみは、そんな のんきなものではない。

幼稚な頃から野の鳥や虫や花や木々たちの一瞬一瞬真剣な生命がけの姿をみるにつけ 『人間だけがこんなことを

していて 許される筈が無い』 という畏れ を感じ、ヤボだとか少女趣味ダトカバカ正直だとかマジメ人間などと

笑う友人の朗らかな声をはにかましく聞きながら、しかしどうしても、その時その時、精一杯、凡人の拙い才を尽くし

続けずに
 いられなかった筆者の六十年の歩みを省みて、今ようやく 『それでよかったのだ・・・』 と頷き、 『その

畏れは正しかったのだ』 と、ハッキリ言えるようになった。






  1. 2013/10/04(金) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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彼らの実験の理不尽さ ⑤

 しかしまた好意的に見ればそれらの実験や研究は、「現象アタマ」 の人々に潜象の存在を啓蒙し、現代科学と

潜象物理との橋渡しをする為に役立つ、として一般人を納得させることはできるであろう。ところが私共の直観鍛錬

の経験を以ってすればそれは、無理な希望 であるというしかない。

 会誌既刊の技術の二、三をマスターしただけでも (トガリ竿、イヤシロチ、性の栄養等の物理)、私共は

相当の霊能者扱い はうけ得るであろうが、それは私共の直観鍛錬の立場とは凡そかけ離れたものであり、

私共はそのようなことで素人を驚かせ、自分に箔をつけようなどとは思いもよらず、ましてそのような次元で、

<カタカムナ> をひろめる意志は全く無い。






  1. 2013/10/02(水) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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