温故知新 ~サヌキとアワのサトリ~

相似象のサヌキとアワの紹介です。

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彼らの実験の理不尽さ ③

 しかも、もし実験の場で (ことに反撥心や拒否反応を示す他者の前で) 「超能力」 と称してそれをやらせようと

すれば、その場ではエネルギーの補給 (協力者) が無い上に、妨害波動が加わっているから、 抹消神経の操

作に無理な負担
 がかかり、当人は神経的に著しく疲労するものである。 (なぜなら、人間の意志で 「逆序」 を

やらせるのであるから、大きなエネルギー(<カムウツシ>)補給のスベが伴わねば不可能である。)

(優れた霊能者、治療師等が、しばしば若死にしたり、悲劇的な人生を閉じる例が多いのも、折角恵まれた資質 

(強いアワ性) をマトモに扱うサトリを知らぬ故である。)









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  1. 2013/09/30(月) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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彼らの実験の理不尽さ ②

 人間の意志や感情 (<イ>の次元のもの) を、天然自然の花や物に通じさせようとするには、彼らとの

共通の <ミ> の波動まで推進させ ねばならぬわけである。そしてそのことは、我々が自然に 心からそう思

う時
 には、おのずから発生している (『まあ綺麗に咲いてくれたね』 とか、『アリガトウ!』 等と心から呼びかける

時、花とも水とも、我々はヒビキ合うことができる) ものである。あるいはまた、 「今夜が山だ」 といわれた病者を、

必死の念いで見守る人々からは、<アマウツシ ・ カムウツシ> のエネルギーが放たれている。奇蹟の起るのも

そのような時である。






  1. 2013/09/29(日) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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彼らの実験の理不尽さ ①

 しばしば行われる 彼らの実験は、 潜象物理で言えば <イ> の次元の二次波動 と 人間以外の生物に

も通じる普遍的な <ミ> の波動とを混同
 し、それを科学的手段 (電気計器的等) を用いて証明しよう

とする
 のであるから、素人をおどかす (納得させる) ことはできても、高度の知性の人々の関心をよぶことはでき

ぬものである。

 およそ日常の我々の精神活動 (意志や感情を伝えたり受け取ったりしている状態) は、<イ> の次元の現象で

あるが・・・実は、その前段に <ミ> の波動が先行している のである。

 通常は、人間の間だけに通じる二次波動で用を足しているが、本当に相手の心にひびき、天然自然のものとも交流

する波動は、<ミ> からの波動でなければ届かない。






  1. 2013/09/28(土) 23:17:50|
  2. サヌキ・アワ
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私共の求める直観力と、霊感 ・ 念力等との違い

 言うまでもないこととして今まで触れなかったが、「透視」 とか 「念力」 とか 「霊感」 とかあるいは「易占」

とかの所謂 「超能力」 の問題は、「潜象界」 へ関心を向けている点では同じように見紛われ易いが、私共の言う

「潜象物理」 や 「直観」 とは、根本的に 異なる次元のもの であることを、一言明らかにしておこう。

 なぜなら、彼らの所謂 「超能力」 とは実は、(普通の人間なら誰でも歩いたり話したり出来るように) 誰にでも

本質的に具わっている能力 (アマ波動共振能力) である。それがことさら 「超能力」 のようにみられるのは、

誰にでも 歩く能力 があるといっても、中には100mを10秒で走れる人がある、というようなものである。

 我々の手に比べれば、一流のピアニストの手は、まさに 「超能力」 に等しい。いずれも天性と鍛錬の賜物である。

それ故 「アマ波動共振能力」 にも、名人天才級の者 が存在しても不思議は無い筈である。






  1. 2013/09/27(金) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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「眠れる脳」 の目覚め ③

 天然の 「順序」 も人間の 「逆序」 も、 「物質」 も 「精神」 も、新しい生命の 「生成」 も 「消滅」 も、

すべてのイトナミの 「根拠」 を、 <サヌキ・アワ> (ひいて <アマ―カム>) の 対向発生の潜象物理 とし

て認識したのが <カタカムナ> のサトリであった。

 潜象系の働く能力を欠く 「サヌキ型人間」 に対する潜象教育について付言すれば、ひたすら 方向性を正す

(カム―アマの方向を、大きく示す) しかないというのが、楢崎皐月の結論であった。このことは、「アワ型人間」

に対しても、アワ性の鍛錬の低い間は同様である。

 潜象の存在が、実際には、いかに微波動次元で精密に、繰り返し繰り返し、 自分に 関わってくるもの

であるか!ということは、私共のアワ性が成熟するにつれ (共振し得ただけずつ)、まざまざと (ミを以って) 感受

されるものである。そのトキをまつ しかないのである。 トキが熟するまで、現象アタマで、(未熟な判断力で)

潜象界を、ああこう穿索することは、全く無益 (ヤボなこと) なのである。






  1. 2013/09/26(木) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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「眠れる脳」 の目覚め ②

 人間の心も相似象として、「霧」 のかかるに任せて (生まれつきのタイプの 「好み」 にまかせて)

『うっとうしさに一喜一憂するような状態』 から、脱出することが先決 なのである。

 生まれつきのタイプは否定できるものではないが (空には又、霧の掛かることもあるが)、人間はそれを軽くいなし

て、「好み」 にふけらせぬように、「逆序」のサトリをきかす ことが出来るのである。

 長年、何をするにもつきまとわれ、生まれつきの執着気質の典型人間の如く抜き難かった 陰々たる感情 が,

忘れるともなく薄れ、最近、既に大いに忘れてしまっていたことに気付き、あえて、くどいを承知で、読者の 「逆序」

の手掛かりの為に、繰り返し述べておく次第である。






  1. 2013/09/25(水) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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「眠れる脳」 の目覚め ①

 このようなことに 心から気付いたり、愕然としたりする、ということは、取りも直さず読者も筆者も、「眠れる脳」が

少しずつ覚めてきた証拠 と思ってよいであろう。

 筆者も 長年モヤモヤしていた物事が、霧の晴れるように、<サヌキ> <アワ>のサトリの相似象によって

分類され整序されたので、今のうちに書きとめておかぬ と、やがて書く気そのものをなくしてしまうであろう・・・。

なぜなら、それは、分かってみればあまりにも 「アタリマエ」 のことである為に、霧の晴れた瞬間から 本来の山の

姿
 が現われて、もとの暗さはあとかたもなくなる ように、人間の心も、<ミ>が片付けば、その下に働く大脳作

用の様相は、忽ち一変してくるものだからである。

 『霧の晴れたように』 というのはあくまでも例えであるが、まことに霧の掛かっている間はすぐ目の前のものも見え

ぬのに、一たび晴れれば今までのうっとうしさは 夢のように覚めて しまうものである。

 しかし霧なら又かかってくれば再び山も木も隠されてしまうが、それはあたりが 『又 霧のかかるような状態』 に

ある為である。本当にカラリと晴れ上がってしまえば、もう、たとえ霧がいかにかかろうとしても、到底 「霧」 の力で

どうすることも出来るものではないということは霧の掛かるのも、「霧」 自体の方に力があるのではなく、「空」の状

態によって、環境(オトワヤマ)の力が発生する 
 ものだからである。






  1. 2013/09/24(火) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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子供に対する愛情にもアワ型か?サヌキ型か? ②

 勿論人間の子には、大脳智能の発育に応じた適切な指導が必要であるから、母親にも、強いアワ性に見合う

理知性の鍛錬 
が伴わねば成らぬが、そうすれば、充分に成熟した果実が 自然に枝を離れるように、

『一個の人格の独立』は、(アワ性の欠如した人間智の小賢しい大脳二次波動でいじくられるよりも) はるかに

スナホに成就されるものである。

 ここで決して忘れてはならぬのは 「アマヘ」 という日本語の思念には、現代語の 「甘え」 の如きスポイル

させる意味は全く無かったことである。真の母性は <アマ> のヤサシサの根に、人智の計り知り得ぬ天然自然の

厳しさを シンから畏れる方向性 <へ> が、ピンと通ったものでなければならない。






  1. 2013/09/23(月) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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子供に対する愛情にもアワ型か?サヌキ型か? ①

 また、アワ型人間の、子供に対する愛情の濃さを、世の評論家たちから『子供も一個の独立した人格であることを

わきまえぬ母親の無智的な利己愛である』 と、一概に、高飛車に否定されて、卑屈になることはなかったのである。

それが、自己愛の未分化な延長 のもの(サヌキ型)であるか? それとも <アワ> の本性に根ざす 母の念い

の深さ、細やかさ
 (アワ性) であるか? を 弁別した上で、自信を以って、生命的な愛情を、(とりわけ三歳まで

の人生の発生期にある子供には、) 惜しみなく降り注ぎ、密着して 育ててよいのである。






  1. 2013/09/22(日) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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女性の為の最も大事なサトリ (内面美、知性美、環境に及ぼす影響)

 女性の存在は環境を明るくし、和やかなものにする。 「女性の環境に及ぼす影響」 というこの物理を知って、

<アマウツシ> <カムウツシ> を受ければ、美学的に 「美しくない女性」 も、驚くほどの美しさ を発揮できる

ものである。 『女が美しくあること』 は、天然の使命 なのである。

 それ故にこそ女性は、化粧や衣服等の外面美の狭い観念にとらわれず 内面美 (<ミ>の充実)、知性美

(<イ>の波動の精神的な向上)の鍛錬を、至上の任務とすべきであるという認識を、新たにして頂きたいのである。






  1. 2013/09/21(土) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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女性のアワ量 (美しくありたい女心の根)

 なお、ここで読者は、女性の為の最も重要な <カタカムナ> のサトリ を改めて想起して頂きたい。

 『美しくありたい』と思う 古今東西の女性の願望 も、実は、単なる個人の好みや見栄ではなく、<アワ>の本

来性にその根があった
 のだという、前述の サヌキ・アワ の電気生理のことである。なぜならその願望は、人前

に出たがる 「サヌキ女」 のみならず、ひとり居を好み、誰に見せるためでもない 「アワ女」にも、深く関わる心理

だからである。

 女性の持つ <アワ> (ホール・女電気) は、物理作用として、男性の持つ <サヌキ> (電子・男電気)を

活性に発生させる力 を持っている。






  1. 2013/09/20(金) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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ミの感受性とイの次元の違いをわきまえるだけでも ②

 気付いたからとて直ちに解決するものではないが、放置すれば、抜き難い性質に定着するしかないのである。

それを、このように転換して行く事こそ、「逆序」の実験の第一歩なのである。それ故、もしこの物理(サトリ)を知らな

ければ、いかに「アタマ」(大脳二次波動即ち<イ>の次元の機能) の優秀な人でも、自分の「心」でありながら

自分の本心がどこにあるか? 自分で自分の心の所在がわからず、自殺に陥るという始末にもなるものだということ

が、納得されたであろう。






  1. 2013/09/19(木) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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ミの感受性とイの次元の違いをわきまえるだけでも ①

 <アワ>の性は、あらゆる生物に普遍的に具わる 最も根源的な 生命のチカラ である。しかしそれは

潜態のモノであるから、誰でも本能的に持っていても、鍛錬されただけ の身のこなしや言葉などの現象を通して、

直観によって掴まぬ限り、科学的手段で検出できるものではない。 しかし潜象物理に基づき逆序のサトリに

よって 認識することは、我々現代人にも決して 不可能ではない。

 <イ>と<ミ>の 上古代語の思念に習熟し、<ミ>と<イ>の次元を弁別 することをわきまえただけでも、

読者の 長年の疑念や苦悩の殆どは氷解 するであろう。とりわけアワ型人間にとって我ながらつくづく嫌だった

虚無感(しばしば述べた劣等感・無力感・自己嫌悪等の入り混じったやりきれぬ感情)が、実は、自分の低次の大脳

二次波動(<イ>の次元のものにすぎぬ)とわかれば、その、今までこびりついていた感情が、逆に、マトモなアワ

性を鍛錬する際の、目安
 となってくれるものであることに、気付くはずである。






  1. 2013/09/18(水) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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孔子 老子 の共通の思想 「無」 「空」の観念 ②

 この 二人の同時代の哲人の思想の根底 にあった 共通の思念 が何であったか?「無」を論ずるなら、

そこまで突き詰めるべきである。それは蘆有三老師が「八鏡文字」といった方向であったに違いない。

 全く何も無い空、などというものは、宇宙には 存在しない という厳然たる 「潜象物理」 を知る者にはそうした

観念用語は、人間だけにしか通じない大脳二次波動 にすぎぬものであることが自明の理である。

( 「空観」 は 「無」 の観念を大乗思想的に展開したものである。)

 あまりにも空しい理屈の横行するサヌキ型社会の大勢に抗して、「無」 や 「空」 という響きに心の拠り所を求める

人々は少なくとも 現世の利欲を離れた心境 に達しているのであろう。しかしその心の掴んだものは、やはり 同じ

大脳次元で造り上げた
 「観念像」 から、抜けられなかった。しかしその程度の思想なら、一般人にも何となく理解

されるから、名声など求める気のなかった人も有名になるのであろうが、あくまでそれは、人類の間でしか通用しない

二次波動である。それ故、天然の <サトリ> の根拠なぞには決してなるものではない。








  1. 2013/09/17(火) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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孔子 老子 の共通の思想 「無」 「空」の観念 ①

 ついでに整理して おくなら、「無」 とか 「空」 とかという観念を、相当な高度の智能の人々まで、恰も最高の

悟りの境地ででもあるかの如くに信棒しているのは気の毒なことである。

 「何も無い」ということは何の価値も無いことである。孔子は、『博亦でさえ何もしないよりはマシだ』といっている。

(しかしまた一方では、彼も「無為」を最高の徳としている。一般に 孔子と老子の言葉 が全く別の意味にとらわれ

ているのも、<イ>の次元でしか 解釈できぬ人が多いからであろう。「無為」は何も老荘思想の専売特許では

ない。)






  1. 2013/09/16(月) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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アワの性とは (イノチの前駆流)

 <アワ>の性とは <ミ>の波動を出している力であり、<イノチ>の 前駆流 である。

 それは、一たび生まれ出た <イノチ> をあくまで養おうとする力であり、その場その場で、最もス早く、生命を

より良く生かす方向 にヒラメク力である。そしてそれは同時に、『これは危ない』というものを逆知して、反射的に避

ける力
 でもある。

 要するに <アワ> の性とは、潜態(カム)の 宇宙生命的な波動に対する、生物普遍の 共振力(ヒビキ)であ

る。そしてその力の方向は、つねに、生命を保全する、という至上原理にのっとって働いているモノである。

 それを 擬人的神秘的宗教的 に解釈すれば、神仏の慈悲とか愛とかということになり、それに対する人間の

原罪とか妄執とかということになるモノであるが、そのような 大脳次元の発想では 到底、解明出来るものでは

なかった。







  1. 2013/09/15(日) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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満二歳にもなれば反生命的な二次波動を出す ②

 『ホントウの反省とは何か?』 『ホントウの愛し方とは何か?』 『ホントウに人と人が信じあえるには何が必要か?』

 『貧しい苦しい生活の中で養われていたモノ、富んだ安楽な暮らしによって、かえって失われてしまうモノ』 

それは一体なんだったのか・・・?
  
 世の男たちが、マブタの母に見たモノ・・・・・・

 世の芸術家が表現しようとするモノ、

要するに、人間の求める 「真実」 とは
 何か・・・?

その根拠を、<カタカムナ> のサトリは、端的に、示してくれていたのである。






  1. 2013/09/14(土) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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満二歳にもなれば反生命的な二次波動を出す ①

 既にこの時期から、このような 反生命的な二次波動(サヌキ性)を出す智能 を、人間の子は持っているので

ある。この時期にアワ性がマトモに鍛えられないと、好みのままに 反生命的な二次波動を出すサヌキ性を制御する

ことが極めて難しくなってしまう。(その制御のスベを、自分の<イ>から<ミ>へ教えるのが「逆序」のサトリである。)

 その二歳の子のアイスクリームを欲求した波動が、反生命的なサヌキ性であった証拠に、翌日その子は病院へ連れて

行かれ、注射の洗礼を受けた。それも一つの「教育」に違いないが、この 時期の周囲の親たち に、この子のアワ

性(生命カン)を マトモに鍛錬する だけの波動量があるか否か、ということが、その子の 一生の幸福度を根本

的に左右する
 ものとなる程、それは重要な問題なのである。現代人の「眠れる脳」の原因もここにあると考えられる

からである。(生命の基底波)






  1. 2013/09/13(金) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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アワ性に対するマトモな教育

 アワ性に対するマトモな教育 がいかに必要であるかということは、人間の子は、満二歳にもなれば、

既に、自分の生命に反することでも、その場の刺激によって 衝動的に欲求する二次波動を錯覚的に出す 

ようになるからである。

 例えば絵本を見ていた子が急に立ち上がり冷蔵庫の前に走って行きアイスクリームをくれと騒いでいる。その子

は風邪気味だったし、その日は寒い日であったし、アイスクリームが食べたい訳ではないのにどうしたことかと、ふと

投げ出された絵本を見るとアイスクリームを食べている子供の絵が描かれていた。






  1. 2013/09/12(木) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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若くして死んだ天才も本当は・・・ ②

 少なくとも人間の子として生まれ出る前に、甚だしい差は淘汰され、いやしくもこの世に生まれ得た者には、

本質的な人間の智能は具わっており、<カタカムナ>のサトリに対し、全く共振波動のない者はないと、私共は

考へている。それよりも、銘々に与えられた潜在アワ量を、全力投球できるように、教育されること が何よりも大切

であり、その 方法を確立すること 私共の実験の目指すところである。

 若くして死んだ天才画家たちは、若死にしたからこそ有名になったということもあろうが、本人としては、死んでから

いかに褒められるよりも、本当は、もっともっと生きて、気の済むまで描きたかったに違いない。それが出来なかった

のも、結局、その才能(サヌキ性)を完全発揮させる「逆序」のスベを知らなかったに帰着する。それだけの高度の

サヌキ性を持つ者は、それに見合うアワ性 (生命力) も当然具わっている筈だということが物理的に考へられる

からである。






  1. 2013/09/11(水) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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若くして死んだ天才も本当は・・・ ①

 また、智能の良さは殆ど生まれつき のものであるから、自分の愚を嘆き他人を羨んでみても始まらない。

しかしまた、智能の発達が人類の特徴である以上、人間として低次の「アワ型」人間 「サヌキ型」人間に止まる者

は、智能の低いことに、根本的な原因がある、ということも 冷厳な事実 である。

 しかし こうした現象を不公平と思うのは 人間の意識であり、自然界の生物の間ではどんな不公平も 「知らぬ

が仏」 で通っている。人類も大よそは 「無知」 の恩恵が行き渡っており、それほどの不公平はないものである。

もし深刻に悩む者には、その 苦悩を克服する能力も また、ある筈である。






  1. 2013/09/10(火) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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智能の高さとアワ量 ②

 ただしそのような強い潜在アワ量を、たとえ生まれながらに持っていても、開発されるべき時期に、マトモに

鍛錬されるチャンス が無いと、無きに等しい状態に終らざるを得ないものである。

 昔から、『若い時の苦労は買ってでもせよ』 などと言われたのは、こうしたことを意味したのであろうが、

いかに希望しても、 適切な方法論が 示せなかったのである。






  1. 2013/09/09(月) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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智能の高さとアワ量 ①

 しかしまた、次のように言うことも出来る。人類の特徴は、大脳智能の発達にあるから、サヌキ型であれアワ型であ

れ、いずれにしても 智能の高い者には救いがある、ということである。

 なぜなら、「サヌキ型」を示す人間でも、智能が高いということは、取りも直さず大脳神経の作用を鋭敏に働かせてい

るもとに、強いアワ性が、潜在している筈だ、ということが物理として考へられるからである。同様に「アワ型人間」の

場合でも、周囲から圧倒され自分でも卑下していても、その 「心」 の地に真に強い潜在アワ量を持つ者なら、結局

それは、智能の高さとして発揮され、人生の最終的な勝負を決するもの と、ならずにはいられないからである。






  1. 2013/09/08(日) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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神秘思想で解釈する必要の無い「環境参与」の物理 ③

 誰も見ていないのに、誰からも強いられたのではないのに、『どうしてもそうしなければ自分の気がすまない』

というものが 「心」 の地にあって、その潜在アワ量から発している波動というものは、たとえ、大脳作用は当面の

生活に忙しく
 働いていても、あるいは本人の気持ちは絶望状態で 死にたいと思っている時でさえ、そうした

意識の上の波動とは別のところ で、刻々に、環境の宇宙生命的な波動 の中に、自分の波動に共振するもの

を、探し求めているのである。

 それは、一たび現象界へ生まれ出たものが、あくまで生命の保全を図ろうとする、<ミ> からの波動であり、

あらゆる生物に普遍の 宇宙生命に共振するヒビキ をもつ波動であり、潜在アワ量の多い者ほど強いのである。

そしてそれは智能の良さや意志の頑張りをこえて、運命を司配する力となるものである。






  1. 2013/09/07(土) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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神秘思想で解釈する必要の無い「環境参与」の物理 ②

 一回の食事の仕度も、いっぺんの歯磨きも、いい加減に済ますことの出来ぬ者を、迂闊に神経質だとか気が小さい

等と貶すことは心無いわざである。一回の食事でも、ことにそれを調える責任者がいい加減に済ますことは、それだけ

生命を粗末に扱うことである。一ぺんの歯磨きでも気のすむようにせずにいられないということは、それだけ 「生きる」

ということに忠実な微波動が、その 「心」 の地にあったということである。もしこのような 「心」 が マトモに鍛えら

れぬと、
しばしば歪みを起こし、なまじ強い生命力が、逆に自分の生命力を損なう結果となる。






  1. 2013/09/06(金) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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神秘思想で解釈する必要の無い「環境参与」の物理 ①

 「医者の不養生」とか「生臭坊主」「学者の無知」、あるいはまた、熱い恋愛結婚をした夫婦が離婚する等という

普通なら起こる筈の無いことが多発 するのも、彼らの医学の勉強や、宗教の修行や、異性の愛し方などが、

いずれも<イ>の次元(人間のみの発する大脳二次波動の次元)でなされていたものにすぎず、<ミ>の波動に

至っていなかったことを物語るものである。(カトリックが 離婚を認めぬのは一つの見識 である。)

 それに反し、若い頃深く 心に思ったことが 一生を貫いていつか 実現してしまう という経験をもつ読者も

少なくないであろう。『心から思ったことが、いつか通じる』 というのは、そのような波動は、たえず環境へ放射され、

「環境の参与」という波動現象 を連鎖反応的に引き起こすからであり、これは神秘思想で超人的に解釈する

必要の無い 天然の物理 なのである。(上古代語では<オトワヤマ>)






  1. 2013/09/05(木) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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そうなりたいと願っても無意識のモーターがかかっていなければ ③

 どんなに我々が、アタマの先で願ったり望んだりしても、その為の「場つくり」が伴わぬ限り、(即ち「潜象過程」

が用意されていなければ)、思うような現象は、発現出来るわけがない。また自分ひとりがいかに努力しても、

環境にヒビクもの がなければ、発生の条件 は整わない。

 自分では心から思っているつもりでも、球感覚(潜象カン、生命カン、<ミ>の波動、要するに<アワ>の性)が

養われていなければ、結局、意識の上で、そう考えている時間 だけの大脳二次波動(<イ>の次元)しか

出せず、正当な「場つくり」をする為の<ミ>の波動にはならないのである。

 この物理を援用すれば、サヌキ型人間の「愛し方」や「反省」のしかたや、「恩」の感じ方等が、とかく真実の

ものにならぬ理由も、納得されるであろう。






  1. 2013/09/04(水) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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そうなりたいと願っても無意識のモーターがかかっていなければ ②

 ところが、もし心マココロ からそう思い込んだ場合は、即ちその思い方が、<ミ>の波動である場合は、しばしば

述べた通り、本人が何をしていても、たとえそれとは全く別の当面の用事をしている時でさえ、大脳波動以前の

無意識のモーターは、かかり放しになっていて 『そうなるように・・・』 あるいは 『こうならぬように・・・』 

『いつまでも愛せられる人間であるように・・・』 等という方向へ、セッセと働いてくれる。そのチカラがある量に達し、

そして環境に丁度ヒビキ合う波動のものが来れば、フとヒラメイて、そのチャンスをつかむ。(実際には、様々の工夫

をこらして努力することになる。) それ故、『思い通りになる』 確立は、非常に高くなるのである。






  1. 2013/09/03(火) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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そうなりたいと願っても無意識のモーターがかかっていなければ ①

 我々は、いかに、『そうなりたい』と願い、あるいは、『こうはなりたくない』と思っても (例えば、『いつまでも若々しく

元気でいたい』と願い、『年をとってみじめな耄碌をしたくない』と思っても・・・、あるいはまた、『あの人と結婚したい』

と思い、『愛されたい』と願っても・・・) その思い方が<イ>の次元の大脳波動の領域のものであれば、思い通りに

なる確率は極めて低い。なぜなら、確かに、そう思っている時は、意識が働いて大脳作用をその目的に叶うように

(例えば健康法、食物、あるいは相手の気持ち等に注意して) 進行させるであろうが、意識の働いていない間は 

大脳波動は休止してしまう。そして、人間が、それを 「意識している時間」 というものは、一日のうち、案外、僅かな

ものであるから、その程度の波動では、とても、思うように人生を進行させる確立は、極めて「あてにならぬ」ものな

のである。(俗謡に、『思い出すとは忘れたことよ、思い出さずに忘れずに』とある通りなのである。)






  1. 2013/09/02(月) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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人間の差なぞ大したものではないのに大きな違いにしてしまうモノ ②

 それを感じるのが<アワ>の性であり、つまり、 自分の生命の不充足感 を抱き、 充足感を無意識に求め 

ずにいられないのが、<アワ>の性である。

 人間には乏しいが、天然には無限に存在し て、絶えず呼びかけていてくれる目に見えぬ大きなヒビキに、少しで

も感応する波動を、もっているか否か?(それを私共は <ミ>の共振波動 というのだが)その違いが、次第に自

分のアワの保有量を増して行くことの出来る者と (苦労する能力のある者と)、一生増さずに終る者との(<ミ>

の感受性を失ってしまう者との
)分かれ目なのである。

 そしてその能力の違いは、生まれつきという程ハッキリしている者もあるが、鍛錬によっては、いやしくも人間な

ら、
カタカムナの世の人々の程度にはなれる筈だ、ということを示しているのが、カタカムナのサトリであると、私共は

判断したのである。







  1. 2013/09/01(日) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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