温故知新 ~サヌキとアワのサトリ~

相似象のサヌキとアワの紹介です。

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猿と人間の生命の不安の感受量

 人間が 猿以上の不安 を感じるのは、それを解消するために働く大脳智能をもつ故であり、

我々がいかにその大脳を使うかは、不安の感受量 によって決まり、それは人類に許容

されている 潜在アワ量の範囲 までである。

 このアワ量を 「猿智慧」 なみに放置し、大脳二次波動のみをいかに働かせても、

我々が動物次元から人間に脱皮することは不可能なのである。(この問題は、前述の通り、

群小地震を何百重ねても、マグニチュードの単位をあげることにはならぬのと相似象であるが、

人間の場合はゲーテの例の如く、 「逆序」 によって大脳二次波動が変換量に達すれば

いや応無くアワ量が増えるということがある得るのである。)






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  1. 2013/06/30(日) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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生命の不安に対する猿智慧とジタバタ運動 ⑤

 生命の不安は生命的なアワ量によって対応するのでなければ解消しない。

(どこまで不安を感じ、どのように対応するかが、人間と猿の相異である。)

 とにかく不安を覚える (感受する性能がある) ということは、それを 解消する為の能力

があるはずだということである。 

(全く能力の無い者は感じることも無く、正も死も、運命にまかすのみである。)






  1. 2013/06/29(土) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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生命の不安に対する猿智慧とジタバタ運動 ④

 このような 『どんな動物よりも獣くさい』 西欧社会の現実に、ゲーテは失望して、

彼の人類史の結末を示す 「ファウスト」 全巻に、「悲劇」 と銘打ったのである。

我々は、とりわけ現代西欧社会の指導者達は、彼の示唆を、決して忘れてはならぬ筈である。

 今も 「ファウスト」 はさかんに読まれているが、「眠れる脳」 の現代人には、彼の 「厳粛なシャレ」

も 「警告」 も通じようが無いのであろう。そしてそのことを生前に予知していた彼の 「絶望」 

の深さは、
「封印」 という決断によって、私共のような 「少数者」 に、僅かに偲ばれるのみである。






  1. 2013/06/28(金) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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生命の不安に対する猿智慧とジタバタ運動 ③

 ここでもし 「猿智慧」 を蔑視する人間があれば、それは、とんでもないマ違いである。

なぜなら、少なくとも 「猿智慧」 は 自然則に従う生物波動 である。彼らは、人間のように、

人間だけの仲間にしか通じない 大脳二次波動 を振り回して自然の生態系への反逆行為を

犯し、人類自身を亡ぼす、というような愚かな真似はしていないからである。

 「現代文明」 なるものの 「無知サ」 は、結局天然の淘汰作用(順序)の中に繰り込まれ、

自分では精一杯賢明に努力しているつもりで、自分自身の墓穴を掘っていることになる。






  1. 2013/06/27(木) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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生命の不安に対する猿智慧とジタバタ運動 ②

 しかし 人類の社会の不安 は、その程度のサヌキ性で解消するものではない、

ということを我々は知っている。ところが、その不安の解消の為に働く我々の 「アタマ」 が実質的には

「猿智慧」 を出ぬ(潜在アワ量不足の)者が多い、というところから、ことは甚だ面倒になる。

 つまり アワ量の裏付けの無い大脳二次波動 の放出する不安は、互いの 疑心暗鬼 を

呼んでエスカレートし、その不安を又、その程度の 「アタマ」 で何とかしようと思考を凝らす

ものだから、現代の世相の如き愚かな応酬 (猿智慧以下の悲喜劇) が、大真面目で

繰り返される。これも一種の ジタバタ運動 である。






  1. 2013/06/26(水) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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生命の不安に対する猿智慧とジタバタ運動 ①

 およそサヌキ型か? アワ型か? という性向が表に出るのは、生活の中で大なり小なり

生命の不安 を感じた時である。そしてその不安を解消して安全を保つ方向へ、判断行為の

機能が動員
 されることになるのが天然自然の 「順序」 である。

 前述の例では、新しくボスになった猿の不安は、前のボスの子を皆殺しにすれば解消する。

 ということはまさに、「猿智慧」 はその程度で アタマ打ち あり、猿の 「感受性」 も

「苦労する能力」(潜在アワ量) もその辺りが限界であり、ということは、その程度の 「サヌキ性」

を出せば、猿の社会では安全  が保たれるということである。






  1. 2013/06/25(火) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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チカラとエネルギーの関係 ②

 そして、後代人が現象にあらわれた力(エネルギー)しか認められなくなったことが、

取りも直さず現代人が、サヌキ性の才能だけを尊重し、サヌキ性の力(エネルギー)を入れることのみに

アタマを働かせ、アワ性のチカラの大事さを忘れてしまった根本原因 なのである。

(筆者が <チカラ> と 「力」 を書き分けねばならぬゆえんである。)






  1. 2013/06/24(月) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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チカラとエネルギーの関係 ①

 ここで一言、チカラとエネルギーの関係 についての、カタカムナ人の直観(サトリ)を

述べておこう。実はこの問題は、現代科学者にはまだハッキリと認識されていないからである。

 チカラとは、本元的な 『潜象(カム)の持続的なあらわれ』 であり、エネルギーとは

電気エネルギー 磁気エネルギー 光エネルギー等のように、その 本元のチカラに基づき、

いくつかの 次元関連が組み合わされて、それぞれの場において発生するものである。

(例えば 「波」 のエネルギーは振動数と密度、電気エネルギーは電流と電圧等)、

要するに、<チカラ> とは何か? という 「直観」 を現代人は失ったのである。

なぜならチカラは潜象であり、アワの性である。






  1. 2013/06/23(日) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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力を抜くことの大事さ ②

 力を養うのはアワ性 であり、アワ性は生命のチカラ である。 生命の補給 は、

力の抜けた状態 でなければなされない。

 アワ性養成の大事さを忘れた現代人は、生命力の補給にも差支えを来たし、昔の人には

少なかったストレス、疲労、急性慢性病、人間関係の悪化が目立っている。

 それでもすぐに死なずに済んでいるのは、四六時中、全身の全ての器官を緊張 させることは

出来ないからである。無意識のうちにノビやアクビをし、体重を移動させなどして、知らず知らず、

力の抜けた部分にエネルギーが補給されているからである。






  1. 2013/06/22(土) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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力を抜くことの大事さ ①

 およそサヌキ型社会では、力のある者が尊重され、力を抜くことの大事さ が忘れられている。

力を入れる のはサヌキ性の働きであるが、力を抜く には、アワ性が働かねばならない。

 力を入れることは、教えられなくても誰にでもやれる。しかし力を抜くことは、ことに現代人には

極めて難しい。

 サヌキ性を養うことは、現代社会ではイヤでもやらされる。 人間の能力、才能 といえば、

イコール サヌキ性の表明とみられ、アワ性の鍛錬の必要は殆ど認識されていない。

そのために サヌキ型社会の弊は 増す一方である。

 力を出すのはサヌキ性であり、我々は力を出さねば生きて行けない。

しかし 力を出すことは消耗 である。






  1. 2013/06/21(金) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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世の指導者にはサヌキ型人間が良いか? ④

 およそ指導的立場に立つ者は、いずれにしても、サヌキ型人間のあずかり知らぬ、カゲの苦労を

アワ量の多いアワ型人間に して貰わなければ、万事、物事は上手く行かぬ ものなのである。

発憤したアワ型人間の場合はもとより、サヌキ型人間が立つ場合にも、アワ量の多いアワ型人間の

支え、すなわち 女房役 が、どうしても必要なのである。






  1. 2013/06/20(木) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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世の指導者にはサヌキ型人間が良いか? ③

 ここで 指導者の問題をつきつめて みると、今日までの有名な指導者は、

(殊に 革命家 と言われた人々は)民衆の代表であり、民衆迎合レベル であった。

一時的人気は得ても、死ねば野となれで、真に民衆は救われはしなかった。

それでも一般人はそれ以上のことを考えはしないから、後世まで彼らの名は残り、尊敬もされている。

 しかし、もし 真の指導者というなら、民衆にはもとより迎合しなければならぬが、その背後に、

自分を支えるモノ を持ち、(哲学とアワ量)、自分の死後にも、自分の志を継ぐ者を、養成して、

遺して死ぬのでなければならぬ筈である。(真の革命が一代で成るわけが無いではないか?)






  1. 2013/06/19(水) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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世の指導者にはサヌキ型人間が良いか? ②

 その点、アワ型人間が 発憤して自己起励 した場合は、生まれながらのサヌキ型人間に

劣らぬサヌキ性を発揮すると同時に、元来がアワ型である為に、サヌキ型人間のような 自己満足感は無く

むしろ、いかなる場合にも内省癖が付きまとっているものであるから、地位権力を固執する欲心がない。

それ故 引け時をマ違わず、指導者の円満な交替、後継者の養成などの配慮が行き届くという

利点があるからである。(それに反し、サヌキ型人間の場合は、いかに落ち目になっても、最後まで

権力の座から離れまいとする悪あがきのための弊害が大きく出る。)






  1. 2013/06/18(火) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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世の指導者にはサヌキ型人間が良いか? ①

 サヌキ型人間 は、自己主張が明白で、積極的だから、指導者に適していると一般に

思われているが、実は、特にアワ量の少ないサヌキ型では、忽ち 同種反発して権力争いを起こしてしまう。

潜在アワ量の多い アワ型人間のサヌキ性を鍛えて、指導的立場に置く方が無難なのである。

 なぜなら、サヌキ型人間は、相当アワ性を鍛錬した者でも、本来性として自己顕示欲が強く独善的

であるから、よほどアワ性の強い女房役の相棒を得ない限り、忽ち周囲と衝突を起こし、

あるいは独裁者になってしまう。





  1. 2013/06/17(月) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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家族でも他人の心は分からないのは 

 他人の心は分からない ということは、自分の感覚できる波長帯以外の色や音は認識できない

のと同じようなものである。判断する神経細胞の結びつきの無い者は、たとえ目や耳では相手の

言葉や行為を、肉体的、視覚的に(<イ>の次元で)感覚していても、無意識領域(<ミ>の次元)

では感受不能であり、したがって、感受不能の(<ミ>の共振の起こらない)波長帯 のものには、

大脳判断力は(<イ>の機能は)作用できないのであろう。

(これは物理現象であるから『なぜ分かってくれない?』『どうしてそんなむごいことを!』 と

いくら言っても、どうにもならぬのである。)

 何としても自分の波長帯を拡大し (振り幅を拡げて、といってもよいし、波動量を増して、といってもよい)

要するに、自分のアワ量を増すことにしか、どの道、解決は無い、ということに帰着するのである。






  1. 2013/06/16(日) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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繰り返し仕事の大事サの物理を教えられて育ったら・・・ ⑥

 お互いがアワ型とアワ型なら問題は無いが、サヌキ型とアワ型なら アワ型が損な役 に

まわり、サヌキ型とサヌキ型では、収まりようが無い。いずれにしても、アワ量の多い方が

少ない者の分をカバーして、補い、カゲで苦労しなければならない。(全ては「物理現象」 なのである。)

 (といっても全く方法が無いわけではない。どのタイプの者でも 「アワ量」を増しさえすれば、

あらゆる人の波動を包容できるようになれる
 からである。)






  1. 2013/06/15(土) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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繰り返し仕事の大事サの物理を教えられて育ったら・・・ ⑤

 また、夫婦・親子・嫁姑のような、互いによく分かり合っている筈の人々の間でも、

互いの心の奥の無意識領域(サヌキ型かアワ型か)の認識が無いために、

些細なことでトラブルを拡大させている。 (例えばサヌキ型の人がアタマの次元

(二次波動)で出す言葉や行為を、アワ型人間は 自分の気持ち ミの波動)で解釈し、

過大に感謝したり同情したりして、何倍ものお返しをする。または相手を喜ばせようとして

自分の食べる分を割いても持っていく。ところがサヌキ型人間はそれをまた、自分の

アタマ (イの次元)で解釈して意外に思い、さては何か下心があるか、それとも

見せびらかしに来たか、自慢しているのか?と逆にかんぐる・・・。

(家庭内でも社会でも、インテリでも大衆でも、この 人間関係は「相似象」 である。)





  1. 2013/06/14(金) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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繰り返し仕事の大事サの物理を教えられて育ったら・・・ ④

 『あなたは決断力があり、統率力が大きい』と言われて『その通りだ』と肯定できるのは、

典型的サヌキ型人間であり、(その他、前述の如く自分の感情を露出し、私の性質は

こうだああだと気楽に言えるのはサヌキ型であり、)そのように言うことすら恥ずかしく、

そして自分は『決断力が乏しく統率力を欠く』と思っているのはアワ型人間である。

 ところが 実際にはそのアワ型人間の方が 統率力があり、正当な決断力を持つ人で

あるかもしれない。なぜならタイプとしてはその通りでも、実際には 保有するアワ量がものをいう

からである。(低次のサヌキ性で 早とちりに 決断されたり統率されたりしてはたまらない。)







  1. 2013/06/13(木) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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繰り返し仕事の大事サの物理を教えられて育ったら・・・ ③

 このサトリを知らぬばかりに、みすみす幸せを失う者の何と多いことであろう・・・。

全ての 無知の故の悲しさ である。

 サヌキ型人間もアワ型人間も、自己の本性を知れば、自分のタイプの 「好みにふける」ことを制御して

真の「反省」が可能となり、「アワ量を養う」スベを実行することが出来るようになるものである。





  1. 2013/06/12(水) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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繰り返し仕事の大事サの物理を教えられて育ったら・・・ ②

 またそれと同時に、<アワ>の本性のままに、つい、やりすぎたり情に流されたりする

心を制御して、自分の中の サヌキ性を正当に養う ことも可能となるであろう。

 また、「サヌキ型」の女も、女と生まれたからには、(やせても枯れても女はアワである。)

もし心から愛する者に出会えさえすれば、アワの心に立ち戻れるはずである。「サヌキ女」が、

自分のサヌキ性をかなぐり捨てて奉仕したくなるような男に出会うことは最高の幸せであるが、

それ程でなくとも、「サヌキ女」もまた自分の本性を理学的に (サトリとして)知って、

自分の中の アワ性を鍛錬 しさえすれば、外に向かっては 悪びれずにサヌキ性を発揮し、

しかし愛する者の為にはよき妻、よき母として、自分の 才能や職業 と、家庭の幸福との両立を、

堂々と全うさせる ことが出来るに違いない。







  1. 2013/06/11(火) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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繰り返し仕事の大事サの物理を教えられて育ったら・・・ ①

 人が、生きて行く以上、為されねばならぬ日々の 繰り返し仕事の大事サ と、

それによって為される<アマウツシ>の物理の実感 と、そしてそのうつされた力によって、

自分達の アタマやココロを養うスベ を、もし 子供の頃から教えられて 育ったら、

我々の社会は、どれ程 住み易いものと なるであろう。

 まして、もし「アワ型」の女が、自分の「本性」を、物理(サトリ)として知る教育 を

ハッキリとうけていれば、(自分の性質が 個人のものではなく、<アワ>の本性 をうけたもの

であることを知れば、)どんなに 自信を以って、アマウツシ量の多い「女の仕事」にいそしみ、

遠慮なくやさしいココロを出して、よき母、よき妻となり、男たちの幸福度を向上的に守る 

真の「アワ」の本性を発揮しうることであろうか!





  1. 2013/06/10(月) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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アワ量を養ういとなみと相手の心 ③

 物理的に言えば同じ「繰り返し仕事」であっても、もしそれが芸術家や、学問・技術・スポーツ等

の分野でなされるものなら、やがて 社会的価値を生む為の必要条件 として、誰にでも

立派に認められている。(芸術の為の鍛錬はもとより、華やかな競技場に出る前のトレーニングの

繰り返しとか、ロケットを打ち上げる前の天文学的な細かな計算や地味な観測の繰り返し仕事等々。)

 ところが 所詮「女の仕事」的なアタマのいらぬ雑事・雑用の類 は、(もしそれがなされなければ

我々の 生活は成り立たぬ にもかかわらず)蔑視され軽んじられている。折角空いている

アタマを 活用させる物理 を現代文化が持たぬ為に、ムザムザと時間を浪費させるばかり

でなく、「女」たちを、ますます 低次元におとしめる結果 となっているのである。

(妄念妄想、自慰的なおしゃべりの類)





  1. 2013/06/09(日) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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アワ量を養ういとなみと相手の心 ②

 しかし実状は、せっかくのチャンスを無碍に逃がし、そのあいている「アタマ」で、

せっかく アマウツシされて活性になった エネルギーを浪費 して) 徒に、

めいめいのサヌキ型・アワ型の性向のままに、低次元の波動を出し、アワ量を増すどころか、

とかく、不満や欲望、嫉妬や憎悪、あるいは自己嫌悪や自虐等の感情を募らせる有様である。





  1. 2013/06/08(土) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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アワ量を養ういとなみと相手の心 ①

 昔の「女の仕事」や、原始的な自給自足の生活の中では、人々の心におのずから

養われていたモノがあった といってもその能率は悪かった。なぜならここでも必ず

正・反の現象が発生し、必ずしもアワ量を増すことにはならぬからである。

 単純な繰り返し作業 は、アマウツシ量が多いからヒラメキが発生しやすい

(単純作業は手足は働いてもアタマはあいているからである。)

その機会に潜象物理を知って、これを マトモに活用 して、アワ量を増す教育がもし、

なされていたら
、我々の 幸福度はどれほど増すであろうか!





  1. 2013/06/07(金) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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正 ・ 反の振り幅のとり方の例 ⑤

 常識理性 では到底そんな事は 不可能 であり、ゲーテも、自身の「転換」をみるまでは

否定していた。宗教や芸術でそれがありうるかの如くいうのは単なる夢か理想にすぎず、

所詮ごまかしであり、現実把握が甘い、とする彼の判断は、確かに、西欧の冷酷な風土の中を

生き抜いた人間の「サヌキ型思考」を最も厳しく突き詰めた結論であったに違いない。

(彼はファウストを盲目にして死なせている。)そしてそれは、まさに 西欧文化の限界 を

示すもの(米・ソの対立、キリスト教徒・回教徒の死闘等、所詮、救いの無い人類を象徴するもの)である。





  1. 2013/06/06(木) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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正 ・ 反の振り幅のとり方の例 ④

 そこにはさまざまな問題があるようにみえるが、それらを抽象すれば、要するに、


    自分は 幸せに長生きしたい。

    相手も また、幸せに長生きしたい。


 この両者の要求を受け入れ、いかにすれば窮極的に、自分も相手も両立して生存を全うする

ことができるか?ということに帰着し、これを物理的に言えば 『正・反の相反する振動を重合

させうる振り幅を持つにはどうすればよいか?』 ということである。





  1. 2013/06/05(水) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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正 ・ 反の振り幅のとり方の例 ③

 この他にも例を挙げれば


    人間は自分の生命を 自分の力 で支配出来るものではない。

    人間は 自分の力 で自分の思想を生み出すしかない。


    <カタカムナ>は 万人の為 の救いである。

    相似象学会誌は 少数者のもの である。


    男が真の男になろうと努力すれば アワ量がふえる

    女が人間として目覚めればサヌキ性が強くなり、アワ量がふえる


    最も 反省しなければならぬ のはサヌキ型人間である。

    サヌキ型人間は、本性的に 反省の能力を欠いて いる。


 このような、常識では矛盾する正・反の思想に対し、自分はどういう判断を持てばよいか?





  1. 2013/06/04(火) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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正 ・ 反の振り幅のとり方の例 ②

 
    人間は太陽から大きな 恩恵をうけている

    人間は太陽に 恩返しはできない


 この正・反の事実に対しても、いろいろの結論がひき出される。


① だから、人間はあるがままに、黙って何もしない方がよい。

② 太陽は勝手に照り、人間はただ受けるだけの存在で、別に恩恵もバチもない。
   だから何をしてもかまわないのだ。

③ 太陽がいかに有り難いとしても、その太陽もまた自分の力で照っているのではない、
   とわかってみれば、数多の太陽をも太陽たらしめているチカラ(賦存勢力)の大きさは
   ちっぽけな我々の賢しらで、恩返しなどできるスケールのものではない。ただ自分としては
   そのチカラを、恩恵としてマトモに受け、その恩にもとらぬよう一生懸命生きる以外にどうしようもない・・・。

④ 有り難いのだの当たり前だのという必要は無い。太陽の莫大なエネルギーを
   人間の為に利用すべきである。

 これらの結論の中で、どれが最もアワ量を多く必要とするか・・・?






  1. 2013/06/03(月) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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正 ・ 反の振り幅のとり方の例 ①


    自分の安全のためには、前のボスの子を 皆殺し にする。

    前のボスの子を殺せば、その怨みが自分にかかるから 殺さない

 
 この正・反の思想はどちらも一応スジは通るし、歴史上の例はどちらにも数多く見られる。

さて、自分ならどうするか?(この際、前述の如くどちらかの片方に偏して結論することは

容易であるが、今は、両方を満足させる思想でなければならないのである。)





  1. 2013/06/02(日) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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サヌキ女が増えた為のバランス作用(男のアワ化) ③

 そこでヒッピーの仲間に入ったり、あるいはまた、昔の人々が散々やってみて、殆ど

効果のなかった方法のリバイバル に(そうした実状に無知の為に)ことを新しく乗せられてしまう。

 しかしそれで当人の「アワ性」が満足するなら何をか言わんや。また、関心が現象系のものに

終始し、反省心を欠く「サヌキ型人間」にはもともと関係のないことであろう。

 ただ、もし赤ん坊の頃の正直サ、スナホサをもう一度取り戻して、自分にも、人類として

具わっている筈の潜在能力(「眠れる脳」)を何とかして再開発してみようと、真剣に考ヘる読者なら、

ここに述べる アワ量増幅の物理 即ち『正 ・ 反の思想の振幅の間でマトモに振動する』

というサトリに共振を感じられる筈である。そしてその為の手がかりは、本稿の中にもなおいくらでも

見出せる筈である。





  1. 2013/06/01(土) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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