温故知新 ~サヌキとアワのサトリ~

相似象のサヌキとアワの紹介です。

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サヌキ女が増えた為のバランス作用(男のアワ化) ②

 あまりにも「サヌキ女」が増え、はにかみの心を忘れて表へ出たがる(アワ性を喪失した

母親や妻 が多くなった現代では、やむを得ず 男がアワ的に ならずにいられず、

(男性に育児や料理をマスターさせ)それによって末端的に辛うじて、バランスを取ることに

世の識者たちも汲々たるのみ、(ことはサヌキのアワ化バケですむ問題ではない。)

世相の歪み は殆ど極限状態にある。これは、原爆の保有数量の均衡によって辛うじて

平和を保つしかないと考える人々の「アタマ」と同じ型の、アワ性欠如の発想 である。

 しかしまた、たとえ疑いを抱いてみても、現代人の持つアワ量ではどうしようもない、

というのが偽りのない現実であり、これもまさに三千年の歴史の証明済みである。

その ただならぬ空しさ を何となく感じる若者たちが、意欲を失い無気力になる

のも無理からぬものが確かにあるのである。





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  1. 2013/05/31(金) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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サヌキ女が増えた為のバランス作用(男のアワ化) ①

 また、アワ型人間も、その「アワ性」が低次にとどまれば、たえずサヌキ型の人々に圧倒され、

利用されて振り回され、それに対しことらも低い「サヌキ性」を連発して、ますますバカを見ることになる。

 いずれにしても アワ量を増す というマットウな努力なしに何とかうまく立ち回ろうとすれば、

持ち合わせの低い「サヌキ性」によって、大脳次元でやりくりするしかないから「アワ性」は歪み

衰え、機能的にアタマのよい者が一応優越してうまい汁を吸うことになる。

しかし所詮、人間次元のみにしか通じない大脳二次波動の応酬に救いはなく

「自然サ」は失われる一方である。現代の世相がまさにそれであるが、人々は

『人生とはそういうものだ』と思わせられ、疑いもしない のである。





  1. 2013/05/30(木) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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最後のプライドは自殺 ②

 もっとレベルを上げ、マンネリを脱したいと思えば、どうしても 目的を、現象系から潜象系へ移し

(金儲けや名声より自身の 精神の充実へ)、即ち、アワ量を増す方向へ 関心を向上させて

一生懸命にならぬ限り、不可能である。このことに気付く者のみが大成する。

 「独創性」や「多様性」や「融通性」「抽象性」等の大事さは、サヌキ型人間にも考えられるが、

「アワ量を増す」という努力なしにそれをやろうとすると、鼻持ちのならぬ軽薄な人柄 が作られ、

結局目的に反して、人の心を打つどころか、世人から疎まれ、見捨てられてしまうことになるのが

落ちである。(その意味では、一般庶民の感受性というものも、「トキ」というフィルターを通せば

案外たしかなものとなる。)





  1. 2013/05/29(水) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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最後のプライドは自殺 ①

 「アワ量の増幅」という 発想を失った人間 の、「サヌキ性」の行きつく最後のプライド は、

『自分の一生を自分の手で完結する』と称して自殺することであり、それこそ、

生物の「自然サ」を失った人間の「自由」とは、『自分の生命を生かすことではなく

自殺する権利 でしかない』、という限界を示すものである。

 しかしまた付言すれば、サヌキ型人間が 現象的な目的 (有名になるとか金儲けとか)で

突進していても、もし心から一生懸命になれば、おのずからその人の 全アワ量が投入 され、

それはそれなりに人の心を打ち、彼らの「目的」はある程度達せられるであろう。

しかしそれはすぐ 頭打ち になってしまうということである。






  1. 2013/05/28(火) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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生物の「自然サ」を失った人間

 初めて出会った言葉や事件には、(既往の神経細胞の結合と照らしてみて、)

正直にそれをわかろうとし、矛盾する思想や事件に出会えば、一回一回、それを

正直に受け止めて (先入見にこだわらず)何とかマトモな結論を生み出そうとして

揉まずにいられない のが、人間の智能というものの本来のスガタ である。

 誰でも、赤ん坊の生長期には、アリアリと示していた この正直さ こそ、

我々が、高度の智能をもちながら「自然サ」を失わずに生き続ける上の、

必須の態度でなければならなかったのである。

 人類以外のあらゆる生物は、今なおその態度を正直に守り、それ故に危なげなく生存を

続けているのに、人類のみが大脳のなまじいな発達の為に、この 根本態度を忘れ

経験を短絡して、人間社会のごまかしや、馴れ合いを募らせ、危うく亡びかけている。





  1. 2013/05/27(月) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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正 ・ 反を受け入れず一方だけを取ればことは簡単だが・・・ ②

 しかしその方が一般にはわかり易く、共振者は多いのである。

 そもそも<カタカムナ>文献に対する態度も、『歴史的、科学的証明が無い限り認めない。』

とか、『自分は霊感的にわかるから証明などいらない』 というような低次の一方的な波動では、

「サヌキ型思考」にせよ 「アワ型思考」にせよ、マトモな判断は出来ない。

我々の人格は、くれぐれも 偏った発達に任せてはならない





  1. 2013/05/26(日) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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正 ・ 反を受け入れず一方だけを取ればことは簡単だが・・・ ①

 しかしもしその際、正 ・ 反の考え方の『どちらも受け容れる(否定できない)』という

態度を取らず、一方だけを認め、他方を拒否、又は無視することが出来れば、むしろ 

ことは簡単で結論は容易に 出せる。

 例えば『人間の「アタマ」なんて頼りないものだ』 『だから鍛えても仕方が無い』

とか、あるいは 『人間は「アタマ」を鍛えるしかない』 『だから鍛えれば人間は万物の霊長になれる』

等というように、片方だけに偏して結論してしまえば苦労は無い。しかしそうした考え方には

幅が無く、(振動の幅が出ないから)、それ以上の 新しい思想は生まれない

(年はとっても精神年齢は成熟しない。)





  1. 2013/05/25(土) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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人間の無知と英智 ③

 このようにしてもんでいる内に、いや応なくそれぞれの 振動の幅が次第に大きくなり

始めは 心の両端に 遠く離れて 正反に渦巻いて いた 矛盾する思想 が互いに

振り幅を拡大するにつれ、重なり合う部分が多く なり、遂に全く 重合するに至る(フトマニ)。

このようにして遂にそれがある極限に達した時、その正 ・ 反のいずれをも、無理なしに

抱含しうる 新しい思想が生み出される ことになる。

 言いかえれば我々の考へ方がそのような大きな振り幅を発しうるアワ量を持つまでは、

矛盾する 正 ・ 反のものを、許容しうる解決 は、常識次元では全く 出し得ない

ということである。(若い頃、身も世もなく思い悩んだことが、今は難なく解決できるようになった

自分に気付くのは、いつしか振り幅が増していたのである。)






  1. 2013/05/24(金) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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人間の無知と英智 ②

 そこで 正 ・ 反の両者は、それぞれの考え方について、精一杯、データを集め、

それを整理しては、心の中で対決をつづける。 どちらの側の考え方についても、

例えば『人間の無知さ、愚かさ』について、あるいは又『人間の英智の発達』について、

古来多くの智者たちが何冊もの本を出している程資料はつきない。

 
 確かに人間は「無知」である。しかしその人間の大脳が、天然自然には決してあり得ぬ


現象を発生させていることも事実である。(農作物の栽培とか、鉱石精錬等々・・・

自然現象に任せていては起こる筈のないこと を「人間の欲望の為に発生させる能力」を

持ってしまった。)だからこそ我々はその「アタマ」を鍛えねばならない。そして我々のアタマが

つねに、天然の順序から逸脱せぬ意志や欲求を、発生するようにしなければならない。

それには、どのような 鍛え方をしたらよいか・・・?





  1. 2013/05/23(木) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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人間の無知と英智 ①

 『人間の智慧(アタマ)なんてはかないものだ』という考え方と、

『しかし人間はその「アタマ」を鍛えるしかない』 という考え方との、正 ・ 反の思想

に対して、自分はどういう態度をとればよいか?

 一見矛盾するこれらの 正 ・ 反の考え方 は、どちらもマ違いではない。

となると、その全く相反する二つの考え方の内を、どのような振動を以って揉めば(カムカレバ)

両者を受け容れることができるか?自分は現実に、どういう結論を出せばよいか?

ということになる。





  1. 2013/05/22(水) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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オソレとアマヘと甘え ②

 そしてこの正 ・ 反の振動の幅が、その人の生き方としてあらわれるわけであるが、

アワ型人間にしてもサヌキ型人間にしても、サヌキ性の強い者は、(ということは潜在アワ量の多い

筈の者ということであるが、)出来る限り自分の力で努力しなければ気が済まず、いささかも自分に

甘えを許すことが出来ない。 サヌキ性の弱い者は、(ということはサヌキ型にせよアワ型にせよ

アワ量が少ない者ということであるが、) 安易について 自分より波動量の多い者に

甘えてかかる。 (甘え方にも畏れ方にも色々あるのは、タイプとアワ量の違いである。)


 いずれにしても「アマヘ」と「オソレ」の真意(上古代語の思念)を知らぬ限り、この正 ・ 反の

振動を重合しうる結論を出すことは無理である。要するに 真に深く「オソレ」ることの出来る者は

真に心から「アマヘ」ることが出来る、ということを、ミを以って感受 するところまで揉むことである。






  1. 2013/05/21(火) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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オソレとアマヘと甘え ①

 例えば『自分のしていることは冒涜ではないか?もしマ違っていたら大変だ』という心の底からの

オソレ」 と、『でも自分に正直に一生懸命やるしかない』という大きな

アマヘ」 の信頼との、正 ・ 反の振り幅 を、どうフルエ (共振)して行くか?という問題である。


 日本語の「あまえ」の語源はカタカムナの上古代語の思念にある。即ち、自分の生命の支配者への

大きな信頼感を以って、ひたすら、その<アマ>の方、身を任す 心の方向性 を示すものである。

(したがってここでは「アマエル」ではなく「アマル」と書くべきであろう。)そして「オソレ」とは、

その 方向からソレる ことを何よりも畏れる、という意味である。

(したがって、「おそれ」も単なる恐怖ではない。 「あまえ」も単なる甘えではない。)






  1. 2013/05/20(月) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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正 ・ 反の振り幅のとり方の実例

 <ウツシ>(エネルギー補給の物理や技法)については文献解説の項に述べるが、

ここでは、波動量を増す為の 正 ・ 反の振り幅 のとり方の例を

実際の本稿の文章の中から少々あげておくことにする。





  1. 2013/05/19(日) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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大脳の本分を守らせるにはミの充実 ⑧

 関心を持つことが多いと、いつ、どこで、どのヒラメキが発生するかわからない。

とにかくメモしておかねば、ヒラメキは波動 であるから忽ち流れ去り、再び取り留めるあてはない。

 それ故、書きとめたメモは、洗濯の水や料理の油や掃除のゴミにまみれることが多い。

それでも手を束ねている暇は筆者には無い。また、机上でしんねり考え込んでいて

ヒラメクものでないことを知るからである。

 恰好良く散歩や手芸をする 余裕の無い身 には、家事雑事の手仕事 を

惜しみなく働くことが 最高のレクリエーション(エネルギー補給)である。





  1. 2013/05/18(土) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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大脳の本分を守らせるにはミの充実 ⑦

 その作業は 何時間続いても飽きる事が無く、疲労も感じない、しかし現実の時間は

どんどん経つので、睡眠時間も食欲もかまってはいられない。

 しかしここでまた「逆序」の教えを思い出し、限度をわきまえ、随時、エネルギーを補給し

(力を抜いて首を<クヒ>にし、<ウツシ>を行い)、食事は控えて胃腸を保護する。

そうすれば体重こそ三五キロそこそこを出られぬ者も、生命のツナは保たれることを、知る故である。

 現在までの会誌は、皆、このようにして発生したコトバの一部である。





  1. 2013/05/17(金) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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大脳の本分を守らせるにはミの充実 ⑥

 心から関心をもつこと、があり、いつも 念頭にかかって いるものがあると、
 
前述のように 無意識の内にモーターのかかった状態で 発行が進み続けている。

そして、それがある程度にマトマった時、(大脳作用や身体の現象面では何をしていても、

そのことに支障をきたすことはなしに、即ち当面の自分の意志とは別の内心から)「ヒラメキ」

として、それが、大脳次元へ浮き出してきてくれる。

 自分の大脳を 忠実な協力者 に鍛錬してありさえすれば、そのヒラメキを受けて

大脳は自ら働き出し、持ち合わせの経験内容(大脳神経細胞の結合関係)を

精一杯に動員して、そのヒラメキの内容に 最も適切なコトバを抽出しよう としてくれる。





  1. 2013/05/16(木) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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大脳の本分を守らせるにはミの充実 ⑤

 このように断言できるのは、筆者にもその実感があったからであり、その実例も知っている。

筆者はいやしくも自分の<ミ>に覚えの無いことは、決して書いていない。もし「相似象」の

会誌を切れば
筆者の血が滲むと思われるほどである。また「参考文献」の名が殆ど無く、

用例にはどうしても自分たちのことを書かねばならぬのは、私共の「実験」以外に、

他に、こうした「逆序」の実例を知らぬからである。

 その点で、ひたすら<ミ>を以って、自分の思考を突き詰める態度を示されたことは、

(今にして<カタカムナ>のサトリからみれば批判すべき余地もあったとはいえ)、

何ものにも変えられぬ 無上の「恩」の授かり である。





  1. 2013/05/15(水) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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大脳の本分を守らせるにはミの充実 ④

 <ミ>のヒラメキに応じて「アタマ」を使っている間は、時間を忘れるから、トキの密度は増し

(早く経ち)、アッというマに日は暮れ夜は明け、しかも疲れは少ない。(『身体は疲労して眠たい

筈だのに「アタマ」が回転して止まない時がある。そういう状態は研究家にとってチャンスなのだ』と

楢崎皐月も語っていた。)

 しかし反対に、もし<ミ>のないことに、意欲や強制で大脳波動を酷使すれば、消耗が甚だしく、

虐使に堪えかねた大脳作用は逃避をはかり、最後は「自殺」を考えるものである。





  1. 2013/05/14(火) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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大脳の本分を守らせるにはミの充実 ③

 大脳はいくら使っても良い。というより精一杯働かすべきであるが、つねに<ミ>を以って

聴き、<ミ>を以って読み、<ミ>のヒラメキ(感受発生)によって発動する、という

大脳自体の本分は、かたく守らせる ことである。

 大脳作用が、(たとえその能力がいかに優秀であっても)もしこの分際を越え、自分が

主人気取りで、二次三次の波動を使役し、そして当人がその 大脳の下克上 を放任すると

あれば、その人は、我が身(ミ)の低さ、無知さを示すことになり、その結果は、

世間には通用しても、私共の実習には、認められるものではない。





  1. 2013/05/13(月) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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大脳の本分を守らせるにはミの充実 ②

 会誌を読むにも、出来る限りの <ミ>を以って読む。 自分に共振する波動量のない

場合も、<ミ>で読むことは出来る。というより、<ミ>で読む程度であれば、読むにつけ、

自分自身の<ミ>のほどが<ミ>にしみて「実感」される。その 苦しさが前駆の力

即ち新しい刺激となって (潜在アワ量に訴えかけ、それを振い立たせる ことになり)

無意識領域にモーターがかかり、現象面の大脳次元や手足が何をしていても、

地の<ミ>では、そのことに関心を持ち続ける状態を保ってくれる。

自分の心身に、この態勢を会得させること が、私共の「実習」の入門 である。






  1. 2013/05/12(日) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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大脳の本分を守らせるにはミの充実 ①

大脳の作用は<ミ>の感受に基く』という 大原則 を守る為には、自分自身の<ミ>に

充実が無ければ
 ならぬ。その為には、従来のような「難行苦行」方式は物理的ではなく、

確かな効果は期待できない。

 先ず何よりも、大脳作用(<イ>の次元)に対する<アマウツシ>と、<ミ>(感受性)に対する

<カムウツシ>の技法を行い エネルギー(元気)を補給する ことである。

 それでも不十分な時は、アマウツシ量・カムウツシ量の 多い人に接触する ことである。

直接会えれば最高だが、声を聞くだけでも(電話・テープ)よい。顔を見るだけでも、写真でも良い。

勿論書いたものを読むことでも良い。とにかく<ウツシ>をうけ、「対向発生」を祈求することである。





  1. 2013/05/11(土) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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実習の実際の思考の進め方 ③

 しかるにじっと机にしがみついて <ミ>のない「アタマ」をひねくる位なら、

机を離れ眠った方がまし
 である。昼間なら立って掃除・洗濯・料理・細工ものなどの

手仕事をした方がよい。(<イヤシロチ>なら散歩するもよいが、何もなければ靴磨きでも、

ガラス拭きでも鍋底磨きでもよい。細かく手指を動かす繰り返しの単純作業の方が良い。)

そうすれば無意識のうちに 生命力が補給 され、ヒラメキの出る可能性が増える

からである。万一ヒラメキが出なくとも、少なくとも、健康の為にも、家族の為にも

良いことになるから、丸損にはならないであろう。





  1. 2013/05/10(金) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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実習の実際の思考の進め方 ②

 自分の <ミ>に覚えのないことを「アタマ」(イ)で穿索するのは無駄である。

<ミ>のヒラメキなしに大脳次元(イ)で呻吟するのは、従来の人間の犯した愚考を

真似ることであるから丸損である。

 もし<ミ>に浮かんだものがあるのにコトバ化ができぬ(大脳が上手く働いてくれぬ)時は

エネルギー不足であろう。また<ミ>に浮かぶものが無いのは力不足であろう。

いずれにしても エネルギーの補給が先 である。





  1. 2013/05/09(木) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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実習の実際の思考の進め方 ①

 ここで、振り幅を増す 為の実際の 思考の進め方 について言及しておこう。

 先ず一つの考えが浮かぶ。それについて<ミ>を以って、考えられる限り考へる。次に、

これと反対の意味について考エる。これも極限まで考へる。それから、その「正」「反」の考エを、

矛盾なく抱含できるだけの考へ方をつきつめて行く。
 
 その際、大事なことは、大脳作用を先立ててはいけない。 自分の<ミ>の<ヒラメキ>を待ち、

<ミ>が感じただけずつ、大脳作用を働かして適切なコトバに表現させていくという

大原則を守らせる ことである。(この大原則が天然態の「順序」(順当なスジミチ)であり、

その順序を守るべく自分の大脳を教えるのが、人間次元の「逆序」(順序を全う為の逆のスジミチ)である。)



 

  1. 2013/05/08(水) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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アワ量を開発する実験の原理 ②

 一般に一生変わらぬ筈の固有振動を『アワ量を増すことによって変える、』ということは、

矛盾するようであるが、生まれながらの固有振動の振り幅を増して『高調波を獲得する』、

ということによって可能となる。しかしそれは大脳二次波動で上乗せしただけで出来るものでは

ないから、歴史上極めて稀な 天才や正覚者にのみ可能な特殊現象 であり、

至難のわざとされていた。要するに、この『振り幅を増す物理』を知らなかったからである。

 <カタカムナ>の<ウツシ>とはその為のサトシであった。





  1. 2013/05/07(火) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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アワ量を開発する実験の原理 ①

 ここまでつきとめた上で、改めて私共は、先ず、自分の「思想」、自分の「観念」というものを、

真に自分自身の<ミ>からのものとして(大脳二次波動の次元にとどめさせず)獲得し、

それをマトモに向上させ、私共の 潜在アワ量を開発する実験 を

(固有振動を増幅的に高める為の鍛錬実習を) 始めたのである。

 その 原理は、自分の「感受」と「判断」に正直に、<ミ>を以って対応すること である。

自分の<ミ>が、正直に「関心を持つこと」について、「正」と「反」の振り幅を以って

考へる、ということが、我々の精神作用に於いて、新しい思想を生み出す 

(アワ量をフヤス)為の基本条件 である。





  1. 2013/05/06(月) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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アワ量増幅の物理 (振幅とアワ量) ⑧

 世界的な風潮に乗って、才能を発揮し成功をおさめ、世の勝利者になることをよしとする人々に

根本的な疑問を感じ、さりとて、敗北感や自己嫌悪や虚無感の惨めな思いのまま死んで行くのは

たまらない。自分といえどもこの世に与えられた生命は全うしたい。自分のような者が、全能力を

つくして 打ち込めるものは何なのか? 求めても探してもどこにもマットウな解明の得られなかった

「アワ型人間」の 六十年の苦悩が、問題の根をここまで掘り下げ させたのである。





  1. 2013/05/05(日) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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アワ量増幅の物理 (振幅とアワ量) ⑦

 ここでもう一度、「サヌキ型人間」と「アワ型人間」の違いを想起して頂きたい。


 大脳智能が機能的に優れている人々(大脳神経細胞の連絡、回転、抽出作業等が優秀で

俗に「アタマが良い」といわれる人々)によって、大脳二次波動の<イ>の次元で様々な

理論や観念が空転され、<ミ>の 波動量を増す方向とは無関係 に、人間界だけに

通用する「現代文明」なるものが作り上げられ、得々として 自らの墓穴が掘られている

この現代人のやりきれぬ有様の原因は、どこにあったか?・・・・・・





  1. 2013/05/04(土) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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アワ量増幅の物理 (振幅とアワ量) ⑥

 そしてこの赤坊の頃から三歳の頃までに発揮していた精神波動(<ミ>の感受から<イ>の

判断へ)の<イトナミ>のパターンを、それ以後も受け継ぎ続けて行けば、人間特有の精神的生産

(思想や観念)の発生に於いて、我々が 人類的に許容されている波動量の限界 まで、

振動数も、振り幅も、拡げて行ける筈である。(少なくとも一般現代人の脳のように眠らせてしまわずに

我々の祖先のカタカムナ人の獲得した波動量に近付ける筈である。)





  1. 2013/05/03(金) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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アワ量増幅の物理 (振幅とアワ量) ⑤

 このようにして、我々は、人間生活に必要なあらゆるものごとを、一つ一つ、

神経細胞に結合させて、身につけてきたのである。

 三歳までに一生の基礎が つくられると言われるが、まさに生まれたばかりの

何もわからなかった赤坊から、この時期の人間の子の、この種の機能の目覚しい開発ぶりは、

我々の赤坊が、昔も今も、カタカムナの上古代人の頃と同じ大きな「アタマ」を持って

生まれてくることの意味
 を、改めて私共に考えさせてくれるのに充分である。





  1. 2013/05/02(木) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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