温故知新 ~サヌキとアワのサトリ~

相似象のサヌキとアワの紹介です。

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人間関係とサヌキ型 (心の通じ方はアワ量次第) ①

人間関係の中でしばしば 行き違いを生じる のは、「アワ型」人間の感じるものが、

「サヌキ型」人間には通じないことがある場合である。

(というより分かってくれていると思った人に、全く裏切られることがあって、

初めて自分との本質的な性格の相違 に気付くというのが実情である。)

「マゴコロ」が通じるとか、「恩」を感じ、人生「意気」に感ずる、というような現象は「サヌキ型」人間

にもないことはないし、その気持ちは一応誰にも普遍的に通じるから文学や芝居でもよく扱われるが、

その通じ方は、そのひとの アワ量次第 であって、低次の「サヌキ性」は、うがっていえば、

物質現実面の利害に対する共振作用 として現れる。




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  1. 2013/03/31(日) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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「大いなる力」への畏れ ④

このように、一方では心から厳しく畏れながら、(もし逆鱗に触れた者は、「目が潰れる」どころではない。

その厳しさは、たとえそれまでに長年、どんな功労があったとしても、、逆らえば、忽ち生命は

吹き消される、という事実を以って、筆者は見せられてきた。)


しかしながらその一方では、たとえ生まれつきの能力は低くとも、(それは自分の罪ではない)

ただ心から 正直に 精一杯努力していれば、このマゴコロはきっと通じてもらえるという

安心感がある。(この二つの心が日本語の「オソレ」と「アマヘ」の真の意味であろう。)

そしてこの 正・反の振り幅 が、いつか私共のアワ量を増し、

それが私共の真の救いとなって行くものであるに違いない。





  1. 2013/03/30(土) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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「大いなる力」への畏れ ③

私共は、私共の生命を支配している大いなるモノ、(カタカムナ人はそれを<カム>とよんだ)の

逆鱗に触れること を、日々刻々畏れながら、しかしその心の奥の方では、

今はその<カム>に帰一している私共の遠い祖先のカタカムナ人から、(逆序のサトリを示してくれた人々から)

いつか、『おう、お前たちも、やっとそこまでわかったか!』と、一寸驚きながら

ニッコリしてもらえるような アワ量を、どうか持ちたいものだと、ひそかに念じている・・・。






  1. 2013/03/29(金) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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「大いなる力」への畏れ ②

そして、人間がこの心を復活させぬ限り、人類の生存を 根底から脅かしている現代文化の方向

を変えることは出来ないと断言できるのであるが、このような心は・・・・・・・

しかし、昔の人々のような 原初の生活 をしなければ保てないものであろうか・・・・?

私共は、現代人として、 大脳智能は高度に鍛錬しながら「自然サ」を失わぬスベを、

(高次のアワ量を養うアラカミチ)「逆序のサトリ」に得たのである。

私共は微力であるから大きなことは考えない。

ただ、自分自身と、有縁の人々だけで、そのスベを実践していくまでである。





  1. 2013/03/28(木) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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「大いなる力」への畏れ ①

一人一人が、『自分は自分の力で正直に、精一杯、生み出すしかない』と心から思う時、

同時に、『その自分は、自分の力で生きているのではない』ことを知る。

そして、自分を生かし、地球を、月や日を動かしている 大いなるチカラ への

心からの 畏敬の念が生まれる。

<アワ>の心のヨミカエリである。





  1. 2013/03/27(水) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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生まれつきの低さを嘆くより、鍛えれば発生する物理を ④

要するに、筆者としては一人一人に誠実をつくし、筆者のアワ量不足のために勉強会の

『人を失い、言を失う』(言うべからざる者に言えば言を失い、言うべき者に言わざれば人を失う -孔子)

ことを深く誡めているが、所詮は、筆者の 現有アワ量以上の波動は出せない。

それ故、過ちがあれば、個々、逐次に修正するとして、あとは、天然の淘汰 に任すのみである。




  1. 2013/03/26(火) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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生まれつきの低さを嘆くより、鍛えれば発生する物理を ③

私共に出来ることは、正直に精一杯、自分の「アワ性」を養い、アワ量を増して

低次の「サヌキ性」を発しない人間となるように努めることである。私共にとって、

人生の目的も希望もこの一事をおいては無い のである。

この態度を徹底 していれば、互いに注意し合って、相手の「アワ性」を引き出すようにし、

能力の低い者にも 正しい方向性を失わせぬように することが出来るであろう。

互いに能力の差やタイプの違いはありながら、何のタブーも無く、つねに人間としての

本質本性に向かって、方向を正して ゆくことが出来る為には、<カタカムナ>の

サトリの スケールの包容力 がなければ不可能だったのである。





  1. 2013/03/25(月) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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生まれつきの低さを嘆くより、鍛えれば発生する物理を ②

智能の低い者が、 『お前は低いからダメだ』 と言われてしまっては立つ瀬がない。

低い者もそれなりのバランス(自然サ)のあることを知った時、

私は私としてヨミカエれる のである。

唯々、一生懸命努力するしかない。自分の能力が果たしてどの位あるか?

それは他人はもとより、自分自身も、誰も知ることは出来ない。

筆者もその点では勉強会の一人一人と全く変わりはない。





  1. 2013/03/24(日) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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生まれつきの低さを嘆くより、鍛えれば発生する物理を ①

生まれつきの潜在能力の乏しさは、本人の罪ではない。 それ故にこそ、親や教師の立場の者の

役割が大きいのであるが、(人生の発生時、すなわち赤ん坊から子供時代の教育の重要さ、)

しかしそれもまた、成人となってしまった私共の場合は、親や教師を怨んでみても仕方ない。

嘆いてみても甲斐がないことに悩むより先ず、必要なエネルギーを補給して、

何とかして「アワ量」を引き出すことに努めるべきである。

『今は保有していなくとも、鍛えれば(場をつくれば)発生する』 という天然の物理を知ったので

あるから、私共はとにもかくにも、自分のアワ量を増すことに、人生の全てを賭ける気持ち

で全力を投じることにしている。





  1. 2013/03/23(土) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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なるべく楽をしようとする人間 (学派学閥の横行) ⑤

借り物の言葉や、ミのない行為は、親子の間にも通じない。たとえ「子供をなぐる」というような

一見サヌキ的で低次元の動物行為でも、それが<アワ>の 本心から発したもの であれば、

響くものがあって、親子・師弟・友人などの人間関係をつなぎとめる一縷の綱ともなるものである。

今となってはあるいは遅いかも知れぬが、しかし私共の勉強会は、

この<サヌキ・アワ>のサトリの実習に賭けている。

今の私共にとって、これ以外に、緊急になすべきこと はないのである。





  1. 2013/03/22(金) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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なるべく楽をしようとする人間 (学派学閥の横行) ④

赤ん坊の育て方や子供時代の教育 が何よりも大事だというのは、人々にこの

<サヌキ・アワ>のサトリが無いと、人生の基礎をつくる時期を、無為に放置し、その間に銘々の

性向(サヌキ型かアワ型か)を野放図につのらせ、あるいは全く逆の教え方をして、本来、

平衡的に育つべき「アワ性」を萎縮させて しまうからである。

能力が低ければ低いなりに、正直に自分の力を精一杯出せばよい。

そうすれば、自分の持つ「自然サ量」一パイの 生産が恵まれる。

そしてそれはそれなりに、他の人の心にも、花にも虫にも響き得る、

天然の波動と共通の本質をもっている。




  1. 2013/03/21(木) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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なるべく楽をしようとする人間 (学派学閥の横行) ③

このように「アワ性」も「サヌキ性」もその発達が低次元に止まれば、種々の 歪み現象 を

引き起こし、目先の利欲や一時的な安楽にひかれて、肝腎の生命を全うする為の、

正当な対応の出来ぬ人間 をつくりあげてしまう。

(しかしその方が 圧倒的に多数 である為に衆をたのんで己を正統化し、少数者は不当に無視される)





  1. 2013/03/20(水) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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なるべく楽をしようとする人間 (学派学閥の横行) ②

なるべくらくをして幸せになりたいという人間欲望が、現代文明を推進してきたのであるが、

それが、奴隷や階級の差別を生み、精神面でも、自分の力で自分の思想を生み出そう とは

せず(自分の「アワ性」を養う努力を厭い)、とかく安易に、他人の思想の生産物 (学説や理論、技術等)

の受け売りで調子を合わせ、(学派・学閥・学会、党派、画壇・楽壇・文壇、家元制度等を繁盛させる)

低次の「サヌキ型人間」を横行 させている。




  1. 2013/03/19(火) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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なるべく楽をしようとする人間 (学派学閥の横行) ①

しかし人間は、なるべく自分の力を使わず、少しでも らくをしよう とする。

そしてこのことは肉体的な面のみでなく 精神的な生産 についても同様である。

なるべくらくをしようとすること自体は、何も人間だけの罪(性向)ではない。生物なら皆、

エネルギーの経済 をはかるものであるが、人間以外の動物は人間のような大脳智能が

ない為に、工夫作用が乏しい のである。そのことが結果的には、「自然サ」を

失わせぬことになるのであり、人間はなまじいの「アタマ」の先の賢しらが、

かえって身を亡ぼす因となっているのである。





  1. 2013/03/18(月) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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能力の低い者 (養わなかった者) ②

「啓発する力」とは「生み出す力」である。「生む力」は、どんな者でも、人間以外のどんな

単純な生物でも、虫でも魚でも皆持っている。そして人間以外のものは皆、正直に

自分に与えられた力を 精一杯 使って生み出している。(皆それぞれの「自然サ量」を持っている。)

我々も、いかに智能の低い者でも、自分が生きている限り、心から生みたい と思えば、

生む力は具わっている 筈である。


生む力とは<アワ>の性であり女性の本質であるが、女だけのものではない。

<アワ>の性は、男でも女でも、必ず持たぬ者の無い 生命の力 であり、

生む力の無い生物はない のである。





  1. 2013/03/17(日) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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能力の低い者 (養わなかった者) ①

『今は能力が無くても いつ発生されるかも しれぬ』・・・ということは、決して言葉の綾や

感傷的な希望などではない。しかしまた、『アワ量の少ない者は、自分で啓発する力が無い

ということも、冷厳たる事実である。(ただしこれも、その人に『啓発する能力が無い』と言う事ではない。)

要するに、今、その人に能力が無いのは、『養わなかった 為に』量が増えなかった、

その結果、啓発力が、『無きに等しい状態に止まっている』 という「今」の現場を、

とらえているだけのことである。





  1. 2013/03/16(土) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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筆者の態度 (正・反の両面を持つ自然サ) ③

この両面の態度は筆者に於いて、何の矛盾も無い

というより、このように 正・反の両面を持つこと が<カタカムナ>を学ぶ者の自然サである。


(人間の判断行為にも、一方的に偏せず、つねに 正・反の振り幅 をもたせなければ

より向上的な波動は発生するものではない。それが後述する「アワ量増幅の物理」である。)





  1. 2013/03/15(金) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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筆者の態度 (正・反の両面を持つ自然サ) ②

すなわち、一面では、孔子・釈尊以来、人類的に未解決のこれらの問題と、未曾有のカタカムナ

文献解読との関係を鮮明にし、私共の勉強会の抱えている前記のような一部始終を、

『物理として、巨察的に大きくわきまえている』 ということであり、それと共に、

他の一面では、<カタカムナ>を学ぼうとする 有縁の人々 に対し、あくまでも、

『今は能力が無くても、いつ発生されるかもしれない』 という人間の可能性を否定することなく、

いかなる場合にも最後までその人の将来に望みを失わず、先ず鍛錬に必要なエネルギーを補給

させ(<カムウツシ><アマウツシ>のスベを教え、)微波動にわたって、一人一人に

その場その場に ふさわしいアワ量を以って 誠実を尽くし続ける、ということである。





  1. 2013/03/14(木) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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筆者の態度 (正・反の両面を持つ自然サ) ①

このような二つの問題点、すなわち、能力の高い者 に対する適切な指導法と、

能力の低い者 の扱い方という、一般論では片付かぬ困難な問題に対する

勉強会の責任者としての 筆者の態度 は常に一貫している。





  1. 2013/03/13(水) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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孔子 釈尊も人情に流された「落ちこぼれ」や「早とちり」の扱い ⑥

ハッキリ言えば、どの社会にも、どのグループにも、発生せずにいない「おちこぼれ」 や

早とちり の人々を、どう扱えばよいか? 殊に、アワ量保有量の少ない者が、

能力以上の行為に出ようとする場合の処置をどうするか?ということである。

私共の勉強会に於いても、<カタカムナ>のサトリを、人類最高度の哲科学として究明し、

楢崎皐月の後継者を要請する一方、少なくとも<カタカムナ>に縁のある限りの人々を、

いかにすればその分に応じた人生の幸せを全うさせられるか?

そうした人々への対応のスベも、ゆるがせに出来ぬ課題 なのである。

(そしてこのことは、現実社会の秩序を保つ為の政治や教育のありかたに通じる、根本的な問題である。)





  1. 2013/03/12(火) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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孔子 釈尊も人情に流された「落ちこぼれ」や「早とちり」の扱い ⑤

筆者自身、カタカムナ文献解読の上に、自分のアワ量の不足の為の冒涜を、何よりも畏れている。

唯、私共と、過去先人との違いは、私共が、このような 一部始終をわきまえている 点である。

先天的に能力の低いもの(潜在アワ量の少ない者)には、それなりのバランスというものがあり、

そこに、おのずからなる救い がある。皆が皆、最高度の潜象物理をマスターしなければ

ならぬということではない。分に応じた判断行為をとる(自然サを失わぬ) ことで、

冒涜の罪は免れうるであろう。

 
孔子の言う 大学・小学の別 をはじめとして、昔から習い事に、入門、破門の制度とか

初段、中級、奥許し等の 格付けが必要とされた のも、低次の「サヌキ型」人間の

トラブルを防ぐ、サヌキ的な工夫だったのであろうが、所期の効果はなかった。





  1. 2013/03/11(月) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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孔子 釈尊も人情に流された「落ちこぼれ」や「早とちり」の扱い ④

『釈迦のサトリは釈迦の最後の言葉に直にきくしかない』として、梵語で涅槃経を読んだ

富永半次郎は、釈迦と同じ言葉を使う彼の弟子たちが、釈迦の真意を正しくきけなかった

驚くべき事実を発見した。すなわち同等の体験のない者(共振波動をもたぬ弟子達)は、

師の<ミ>から出た言葉を、自分の大脳次元の内容で聞き間違いをしてしまい、

自分では分かったつもりになっていた、ということである。





  1. 2013/03/10(日) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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孔子 釈尊も人情に流された「落ちこぼれ」や「早とちり」の扱い ③

顔回のような天才や、誰の目にも明らかな悪人に対しては 全くミスのなかった孔子 も

そしてまた、一般人には見分けの付かぬ郷原(高等偽善者)に対しても厳しい批判を受けながら

自分の弟子の、低次の「サヌキ型人間」や「アワ型人間」の扱いには 不徹底であった為 に

死後、足をすくわれてしまった。

(後世に孔子の真意は伝わらず、この事は釈尊に於いても正に相似象であった。)





  1. 2013/03/09(土) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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孔子 釈尊も人情に流された「落ちこぼれ」や「早とちり」の扱い ②

誰に対しても同じように誠意を尽くす、ということは、原則として「善」であるに違いないのだが、

実はそれも相手のアワ量次第である。 もし、自分の波動量では受け切れぬほどの親切を

もらった者にとっては、それは必ずしも「善」とはならず、寧ろ全く逆に作用して、

「凶」と出る危険の方が多いのである。

(筆者が『人情に流される』ことをくれぐれも誡めるのはこの故である。)

(『徳二三なれば動いて凶ならざるは無し』)




  1. 2013/03/08(金) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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孔子 釈尊も人情に流された「落ちこぼれ」や「早とちり」の扱い ①

いかに<カタカムナ>のサトリのスベ(方法論)を以ってしても、私共の勉強会が

公開のものである以上、皆が皆、最高の知性度に達するものではない。

本人は、純粋の善意のつもりであっても、実際には前述の如き人々が混入し、

冒涜の罪を犯す者の出る危険度は充分にあり得る。

私共の勉強会の二つの問題点とは、一つには潜在アワ量のある者に、潜象物理に対する

正しい理解 を与えることであり、もう一つは、どうしても 理解できぬ者の扱い方 である。

(これは、孔子や釈尊等の勉強の場においても、至難の問題であった。)





  1. 2013/03/07(木) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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サヌキ型人間の深刻な問題 (イの次元でしか受けられない) ②

要するに人間なら男も女も具わっていないもののない二つの性の、

<サヌキ>の性とは、いわば「肉体生命の力」(アマの性)であり、

<アワ>の性とは、「精神生命の力」(カムの性)である。

そしてその人の潜在アワ量とは、<サヌキ>の性と<アワ>の性として

発現されるもとの力(潜象(カム)の賦存勢力の量)である。


このフタツの性が相伴って鍛えられ発揮されること(フト)によって、人類は<ヒト>と言いうる状態になれる。

(片方では<ヒト>とは言えないし、また、片方だけではそれがいかに優秀でも限界があり、

人間としての許容量いっぱいまで達することは不可能だというのが<カタカムナ>の<フトマニのサトリ>である。)





  1. 2013/03/06(水) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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サヌキ型人間の深刻な問題 (イの次元でしか受けられない) ①

「サヌキ型人間」が特に深刻な問題 をかかえているのは、サヌキ型人間とは、

上古代語で言えば、もっぱら <イ>の次元(現象系)で反応を示すタイプ であり、

<ミ>で受ける波動を出すことが極めて困難な生まれつきだからということである。その為、

<ミ>で受けなければならぬ精神的な波動も<イ>で受けて、自分では分かったつもりになっている。

低次のサヌキ型人間には、「反省」ということが出来ぬという事実は、このような潜象物理によるのである。





  1. 2013/03/05(火) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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二つの問題 ③

私共の勉強会では、自分一個の責任 で自分を鍛錬することが 何よりも原則 であるが、

アワ保有量の乏しい者 は、(サヌキ型にせよアワ型にせよ)自力で自己を啓発する力が

ない為に、この基本態度すら守れず、誰かをあてにし(トラの威を借り)、または 群れを組んで

(同じ程度の仲間を集めて)低次の「サヌキ性」を振り回す ことになる。

本人は 善意のつもりで冒涜 の罪を犯すのは、この種のタイプである。

(また、日本人の団体行動好き(職場旅行、集団娯楽、宴会・カラオケ・お花見等)もこの種の人々である。)





  1. 2013/03/04(月) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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二つの問題 ②

およそ、強いサヌキ性を示す者は、アワ性も強いものである。しかしその「アワ性」(生命カン)

の正当な養成を怠れば、能力の高い誠実な者ほど 世に利用され、こき使われ、

もともとそれを求める性向がますますのせられ、助長される一方で、持ち前の「サヌキ性」は

一応満足されても、生命は非業に失われる。(ケネディ大統領の死等・・・)

まして、<カタカムナ>の実習を「サヌキ型」でやろうとして、終わりを全うできるわけがない。


更に注意を要するのは、智能が低い為に一見、「アワ型」人間のように見える場合の

「サヌキ性」の問題である。低次の「サヌキ性」は、「サヌキ・アワの四相のサトリ」の適用を誤り、

自分の中のアワ性を拡大解釈し、自分を「アワ型」であると自己陶酔的に錯覚して、

低次の大脳波動を放出させては憚らない。




  1. 2013/03/03(日) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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二つの問題点 ①

前述の如く「サヌキ型」人間は、常に自己中心的に、もっぱら現象系の方向に働く<サヌキ>の

特性を自覚し、ひたすら自己の「サヌキ性」の方向を 向上的に正す ために、その「サヌキ性」を

上回る「アワ性」を養う ことに努め、本来、「サヌキ型」人間には関心の無い

潜象への感受性を起励 し、「逆序」によって、活路を切り開くしか道がないのだ、

という事実を厳しく認識してかからなければならないのである。

その為にはまず、必要な エネルギーを補給 するスベを実習しなければ、効果は上がらない。




  1. 2013/03/02(土) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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