温故知新 ~サヌキとアワのサトリ~

相似象のサヌキとアワの紹介です。

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「ル」 の思念

ル  は、 テ の図象文字が左に九〇度回転したものである。






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  1. 2012/11/30(金) 00:00:00|
  2. 単音思念 マワリテメクルの部
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「ク」 の思念

ク 「ク」の図象は、左(正方向)に倒せば現象界の ヘ への図象となり、

右(反方向)に倒せば潜象の ス になる。

つまり、自由、自由にするの思念






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  1. 2012/11/29(木) 00:00:00|
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「メ」 の思念

メ 「メ」は、ノ 「ノ」のトコロ軸が左に九〇度回転した形である。





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  1. 2012/11/28(水) 00:00:00|
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「テ」 の思念

テ 「テ」は、マ 「マ」と タ 「タ」の合字である。




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  1. 2012/11/27(火) 00:00:00|
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「リ」 の思念

リ 「リ」の図象文字は、ワ 「ワ」の図象を割った形。




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  1. 2012/11/26(月) 00:00:00|
  2. 単音思念 マワリテメクルの部
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「ワ」 の思念

ワ 「ワ」の図象を中空の球の球面として捉えている。

具体的にはシャボン玉の輪の思念である。




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  1. 2012/11/25(日) 00:00:00|
  2. 単音思念 マワリテメクルの部
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「マ」 の思念 

マ 図象文字で示される、大円の円周上にある小円は、
      「マ」の微分量であるマリの密度の高い集団(コロと言う)を示す。



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  1. 2012/11/24(土) 00:00:00|
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単音思念 マワリテメクル の部

マ ワ リ テ メ ク ル









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  1. 2012/11/23(金) 00:00:00|
  2. 単音思念 マワリテメクルの部
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「イ」 の思念

イ 「イ」は現象界に現れる最初の微粒子で、五(イ)つつの

物理的素量(電気、磁気、力、トキ、トコロの素量)の重合したもの、すなわち「位置(イチ)の素量」のこと。



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  1. 2012/11/22(木) 00:00:00|
  2. 単音思念 ヒフミヨイの部
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「ヨ」 の思念

ヨ 「ヨ」には、世、夜、酔う 等に共通する「混沌」の思念がある。


「ミ」の領域から更に正反の波動が発展すると、マリの密度や、速度の差が異常に大きくなり、
そのために、マリの流れの一部が横にそれて、回転する過流(ヨコシマ・横に転がったマの示し・邪まのココロ)
を作ることになる。



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  1. 2012/11/21(水) 00:00:00|
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「ミ」 の思念

カ 「カ」は、ヒ「ヒ」からフ「フ」の段階を経て、物質や生命に発展する過程として、

いわゆるミ「ミ」の領域が存在する。








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  1. 2012/11/20(火) 00:00:00|
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「フ」 の思念

フ  「フ」は、二つ、振る、震える、触れる、深い、塞ぐ、伏す、増える、吹く、膨らむ、太る

等の正反の思念がある。




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  1. 2012/11/19(月) 00:00:00|
  2. 単音思念 ヒフミヨイの部
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マトメ ⑨

今、私共には、それが人類の滅亡を加速する「反」の天然態であることがわかっている。

しかし、わかっているだけでは仕方が無い。

人類史に唯一つ「正」の天然態文明の存在したことを、そして、それこそ、

人間の生命のヨミカエリのスベとして、人類文化の真の文芸復興 (ルネサンス)の根拠

となるものであることを、今、私共はようやくつきとめた。

しかしながら、私共には、彼らを上回る「場」がつくれず、我々日本民族も、

彼らの滅亡の文化に、殉ずるしかないのであろうか・・・?

今日まで命脈を保ってきた<カタカムナ>の後裔たちに、筆者は切に訴えたいのである。




  1. 2012/11/18(日) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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マトメ ⑧

人類の特徴は大脳智能の発達にあり、「アタマ」なしに人間のどんないとなみもあり得ないのであるから、

まず、「サヌキ性」の鍛錬の進んだ文化が優位に立つのは当然のスガタであるとしても、

その文化が更に向上する為には、「高次のアワ性」の支えが無ければならぬ、という、

サヌキ、アワの原則(サトリ)は、人間の個人の上のみでなく、人類の文明、即ち東西文化の特性の

問題の上にも、大きく援用されねばならぬ筈である。

人間のアタマが動物次元を脱皮できぬ限り西欧も東洋も、低次のサヌキ型・アワ型社会に止まり

(米ソ対立、ベトナムインドアフリカ情勢)、弱肉強食的な天然自然の「順序」にマカスしかない。




  1. 2012/11/17(土) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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マトメ ⑦

私共は、肉体的には男であり女であるという制約からは脱けることはできぬが、

<サヌキ・アワ>のサトリを活用すれば、精神的には、誰でも、めいめいの内にある

<サヌキ><アワ>の本質本性を育てることができる。それによって男も女も、

自分の性来の欠けた面を養い、<フトマニ>のサトリを発揮して、新しい思想を生み出すことが

出来るという道を知ったのである。

西欧文化・東洋文化の対立と、日本の伝統とを比較すれば、西欧は、現象系のものに関心を向ける

「サヌキ型」であり、東洋は「アワ型」ということになる。

それに対し日本は「アワ型」(東洋的)には違いないが、とりわけ我々日本人は、目に見えぬカゲの面を

大事にし、つねに正・反のバランス感覚を忘れぬ意味で、<カタカムナ>の伝統を受け継ぐ

フトマニ型」というべきであろう。

(日本人にテレ性やはずかしがり屋が多いのは、『<アワ>は表に出るものではない』

という、その本性の故であろう。)




  1. 2012/11/16(金) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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マトメ ⑥

また、サヌキ型人間もアワ型人間も、お互いに、同じタイプの者の気持ちは良く分かるが、

反対のタイプの者の心は、察しようが無い程わからないものである。

その為に、善意の人々の間にも行き違いや誤解の為の不幸が尽きず、適切な対策も無かった。

私共は<カタカムナ>の<サヌキ><アワ>の<フトマニ>のサトリに出会い、これこそ我々現代人の

「眠れる脳」を覚まし、人類三千年の苦悩から脱出するスベであると判断したのである。

アワ量が多い」ということは「多様性がある」ということであり、「融通性がある」ということであり、

抽象性(本質を抽き出す力)が高い」ということであり、要するにそれは、

イノチ(生命保持)の力である。

アワ量とは、「自然サ量」であり、「潜在エネルギー」であり、女性の本質を示すものであり、

男をも、真の男性たらしめるものである。




  1. 2012/11/15(木) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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マトメ ⑤

もとより、「アワ型」人間にもピンからキリまであり、単なる「お人よし」や「人間嫌い」、

または、「おせっかい」「世話好き」の類にとどまる程度から、次第に進んで、世の矛盾を苦にし、

それを改善する為に、哲学・科学・宗教・医学・教育・政治等に道を求めるようになる。

しかし、真に潜在アワ量の多い者は、どの道にも満足できず、たとえその道で

世間的に認められても、内心に、何か満たされぬ空しいものが残る。

この種の人々は、今まで、真に自分の求めているものが何であるかをつき止め得ずに

(それが自分のアワ量を増すことであり、その為の潜象物理を求めていたのだとは知る由も無く)

ただ自分の求めるものに似た波動に出会うと(神や仏を説く宗教や哲学等には)何となくひかれるけれど、

心から共振し切れるものは無く、またそのわけも分からぬままに、せいぜい、捨て身の気持ちで純粋な

奉仕の仕事に献身するか、それとも神秘思想か、あるいは無常観的な諦めを見据えて、

生命の終わるのをまつしかなかった。




  1. 2012/11/14(水) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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マトメ ④

「アワ型人間」は、そのような「現象系のもの」より潜象的なものに関心があり、

着物にしても、上は地味にして裏地や下着に凝るとか、他人にも、陰ではよくつくすが、

実は、人を集めてさわぐよりも、ひとり静かにいる方を好むものである。

幼い頃から人前に出ることをはにかみ、一人の方がらくであり、いつまでいてもあきない。

人間よりも花や蝶に、都会よりも自然に親しむ傾向があり、人間不信に陥りやすい。

教えられなくても「神」や「仏」を拝み、自分がたとえ幸せでも、自分だけが何不自由ないことに

痛みを感じ、不幸な人を見れば無視できず、日向の人より日陰の人に、豊かな生活の人よりも

貧しい人々や病人、障害者の身の上が気にかかる・・・。




  1. 2012/11/13(火) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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マトメ ③

注意を要するのは、真にアワ量の多い者が、いざという時、最も強い「サヌキ性」を

出す(身を殺して仁を為す)というのなら本物だが、しかし、強い「サヌキ性」を出す者が皆、

アワ量が多いのではない、という点である。「サヌキ性」は大脳次元で具体化されるものであるから、

智能の優れたものは、アワ量が伴わなくても、強力なサヌキ性を放出できる(独裁者ヒトラー等)。

しかし、アワ量の裏付けの無い「サヌキ性」は、一時的には、華々しい成功を見ても所詮、

反生命的な破壊行為に陥るものである。




  1. 2012/11/12(月) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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マトメ ②

「サヌキ型人間」は、サヌキ的な方向、(即ち現象系のものに向かって)自己のアワ量なりの

求め方(生き方)をする。(それにもピンからキリまである。)

「サヌキ型人間」の指向する「現象系のもの」とは、例えば彼らは、身に着けるものにも

人の目に立つことを好み、子供の頃から人前に出たがり、物怖じせず、野山に遊ぶよりも

野球場や遊園地へ行きたがり、自然の生物に対しても、図鑑で分類したり、解剖したりすれば足りる。

長ずるにつれて、金銭や物質への執着が強まり、自己の才能の満足、智的な満足、名誉や地位の満足等

へと欲望は進行するが、要するに、学問をするにも、政治、経済、芸術、運動等の各方面の職業につくにも、

つねに指向するものは世間に認められて有名になり、豊かな生活をし死後にまで名を残すことである。

たとえ医療や社会事業、教育、宗教、革命等の社会奉仕的な仕事に従事していてさえ、

本心の目的は、自身のサヌキ性の満足にある。





  1. 2012/11/11(日) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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マトメ ①

「サヌキ型人間」は、サヌキ的な満足を求め、

「アワ型人間」は、アワ的な満足を求める。

「サヌキ型人間」は、より大きな「サヌキ性」のものには自動的に共振を感じるが、(類は友を呼ぶ)

同種の「サヌキ型」には反撥し、「アワ型」にひかれる(異種親和)。

「アワ型人間」も、より大きな「アワ性」のものに強い共振を覚え、「サヌキ型」にひかれる。

どちらが良いとか悪いとか、上とか下とかということは無い。それが本来性なのである。

そしてこの銘々のタイプは生まれつきのもので、人間の意志で変えることのできぬものである。

もし両方を比べるとすれば、それは銘々の<アワ>の保有量の違いである。

(そして、前述の如く<アワ>の保有量は、銘々の生まれつきの固有振動数によって

 許容量に限界があり、それにはピンからキリまでの<サ>、即ち、高度の天才から低次の凡人・

 異常者までの様々の程度とニュアンスの「差」があらわれる。また、同じ人間でも場合によって
 
 発生するアワ量は一定ではない。)




  1. 2012/11/10(土) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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「ヒ」の思念 

ヒ  「ヒ」は、一つ、秘そか、秘め事、姫、平たい、広い、拡がる、開く、彦、人、響き、光、陽、日、火、

などの漢字に付した和音の意味を抽象すると、静から動への出発点、ものの始まりを意味することになる。




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  1. 2012/11/09(金) 14:43:17|
  2. 単音思念 ヒフミヨイの部
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カタカムナの解読とサヌキ・アワのサトリの関係 ⑥

ところが人間の「アタマ」の欲求は、それだけの基礎も無しにその真似をやろうとして

独裁者、専制君主を生み、あるいは又その幣をおそれて民主主義、社会主義、共産主義を生んだ。

いずれもその根拠とする哲学の程度が、彼らの文化度を明示している。

(今なお原住民的な命脈、即ち指導者がまともなオヤゴコロを保っているところでは、

 日本でもアイヌ・サンカ、または沖縄地方等の社会には、古代的な秩序と相似の現象がみられるが、

 その根拠は精霊的神秘思想を出ず、その命脈も危機に瀕している。)





  1. 2012/11/09(金) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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単音思念 ヒフミヨイの部

ヒ  フ  ミ  ヨ  イ






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  1. 2012/11/08(木) 14:42:26|
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カタカムナの解読とサヌキ・アワのサトリの関係 ⑤

人間の「自由」には、そのような制約をマスターした上で与えられる自由と、

それを拒否する自由とがあり、前者は生存を全うし、後者は群から離脱する覚悟がなければならぬ。

人間の社会も、このような「天然態」をもつものでない限り、存続を全うすることは不可能である。

とはいうものの現代の人類の社会に、これだけのことを自信と責任を以って、厳然と

果しているケースが一つでも存在しているであろうか?

人間以外の猿たちの社会では保たれているこの秩序が、まだ人間社会になかったということは、

このような厳然たる指導方針を確立し、且つ環境の変化に応じて工夫改善しうる能力を発揮するに

足るだけの哲科学的根拠(サトリ)が、有史以来の人類にはまだ無かったという一言につきるのである。






  1. 2012/11/08(木) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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カタカムナの解読とサヌキ・アワのサトリの関係 ④

<サヌキ><アワ>の本性の違いや「サヌキ型」「アワ型」の特徴を、「アタマ」で理解し、

ただ弁別するだけのことでは、単なる「智識」に過ぎない。

それが自分自身の『アワ量を増す』という至上目的にかなう、最も有効な方法として活用されなければ、

筆者がこれ程 強調する意味が無い

およそ群をなして生活しなければならぬ動物にとって、その集団(民族)の一員としての必要な

オキテをミにつけさせることは、厳然たる約束事である。

この根本条件を教育する上に、微塵も容赦はいらない

子供を甘えさせ大衆にこびる政治は、この最も肝腎の要(カナメ)を失ったものである。

このオキテを守る者は受け容れ、守らぬ者は捨てる。そこに曖昧な誤魔化しや妥協は許されない。

それが真の親切(オヤゴコロ)というものである。




  1. 2012/11/07(水) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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カタカムナの解読とサヌキ・アワのサトリの関係 ③

我々二十世紀の人間が<カタカムナ>を解読し、彼らの上古代文明に対応する<アラカミチ>

を創造するには、我々現代人の智能も、カタカムナの上古代人のアワ量に相似して働かなければ、

物理的に不可能なのである。

(また、これは、関係者だけが秘密結社のように地下にもぐって苦労していればよいというものではない。)

我々が民族的に、本当に夢から覚めるには(眠れる脳を起こすには)まず我々自身に、自分のミの程を

知らせねばならない。<サヌキ><アワ>の「性」のサトリは、

そのための最も能率のよい方法論(スベ)なのである。




  1. 2012/11/06(火) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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カタカムナの解読とサヌキ・アワのサトリの関係 ②

<カタカムナ>は、天皇家統治下の二千年、秘匿されていた。

極地に住む人が、長い間潜んでいた太陽を久々に仰ぐように、今や我々の前に<カタカムナ>は

そのスガタを現した。 しかし現代人の「眠れる脳」がせいぜい「念力」・「透視」・「霊感」程度

薄目をこすりながら撫で回す如き有様では、到底、そのナゾを知ることは無理というものである。

(況やこの文献を、もしも私利私欲のためにたくらむ者があれば、忽ち厳しい(物理的な)「バチ」が

当たるであろう。平十字氏は巻物を迂闊に見ただけでも『目が潰れる』と言っている。)




  1. 2012/11/05(月) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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カタカムナの解読とサヌキ・アワのサトリの関係 ①

なぜ読者に、「<サヌキ><アワ>の性」ということの認識をこれ程に求めるかというと、

自分自身「アワ量」を増さぬ限り、カタカムナの解読のスベは無いからである。

読者がもし『自分はカタカムナの<サトリ>の意味が知りたいのであって、<サヌキ><アワ>の

ことなどどうでもよい』と思っていられるなら、その「アタマ」を切り換えなければ

たとえ<カタカムナ>の文献は、公開されていても、永久に神秘に包まれたままに終わるであろう。

太陽がこれ程あからさまに照っていても「太陽」のナゾを我々の科学者は殆ど知ってはいないように・・・。)




  1. 2012/11/04(日) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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「少数者」が発生する必然性 ③

その結果は、少数者の方からは多数者の気持ちはよく察しられるが、

(かつて自分も同じような振動数であったのだから当然察しがつくが)

多数者からは少数者の気持ちはわかりようもない。(全く経験の無いことだから察しようもない)ことになる。

このようにして「多数者」の中から、「少数者」がどうしても出現する必然性が生じるのである。

一概に少数者といってもやはり様々の程度があるが、真の少数者は、「逆序」のサトリを知る者である。

そしてそれは、動物次元の「アタマ」の固有振動が、人間次元の<カシラ>に増幅されたことを意味する。

私共は敢えて少数者になりたいわけではないが、現状を認識すれば、必然的に

少数者の道をたどらざるを得ないのである。




  1. 2012/11/03(土) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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