温故知新 ~サヌキとアワのサトリ~

相似象のサヌキとアワの紹介です。

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「ナイチンゲール」に象徴されるモノ ②

ただ、彼らの中の、アワ量のよほど多い者のみが、何となく有名になり

その他の名もなく流れ去っていったカゲの力の(名もない<ヌシ>たちの)

象徴として後世に残るものである。

ナイチンゲールも、まさにその一人であったと考へられる。

何となく有名なこの人のことを私共は殆ど知らなかったのだが、最近になってはじめて触れた

彼女の人となりと言葉には、私共の心を強く打つものがあった。




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  1. 2012/09/30(日) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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「ナイチンゲール」に象徴されるモノ ①

今日まで、いかなる政治形態の下にも、またいかに悲惨な戦争や差別の横行した世にも

その中には、必ずアワ量の豊かな人物が在って、恵まれぬ人々や救いのない境遇の人々の

支えの役を果たしてきたものである。

彼らの仕事はカゲのもの(アワ的な性格のもの)であるから、殆ど後世に正しく

伝えられることもないのであったが、しかし有史以来の幾多のサヌキ型人間(英雄たち)の

破壊的所業にもかかわらず、我々の民族が今日まで存続し得たのは、このカゲの力

があったからこそに違いないのである。




  1. 2012/09/29(土) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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<アワ>保有量が決め手 ②

我々が銘記すべきことは、「男」も「女」も真に人間としてその生命を全うしようとすれば

(即ち、「男」らしく「女」らしく成長するには)<アワ>の保有量を増すことが

決め手となるものである、ということである。

「アワ型」であれ「サヌキ型」であれ、どこまで自分の中の「アワ性」が養われたかによって

自分の生まれながらの「サヌキ性」

(即ち、才能や、人柄や、種々の仕事として表面に現れる現象性の程度

が定められることになるのである。




  1. 2012/09/28(金) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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<アワ>保有量が決め手 ①

要するに、我々は誰でも「サヌキ型」か「アワ型」かのいずれかに属し、それは生まれつきのものであり

その制約は、我々が男に生まれるか女に生まれるかの違いと同じ位に、死ぬまで付きまとうものであるが

しかしまた、それは動かすことの出来ない程決定的なものではない

一人の人間の中に「サヌキ性」と「アワ性」の無い者はなく、相手に応じて「アワ性」を出したり

「サヌキ性」で付き合ったりしているものである。また、同じ人間でも、

成長の過程においてサヌキ性の鍛えられる時期と、アワ性の伸びる時期がある。

自信に満ちて明るく振舞っていた子供が(サヌキ性発達期)、

思春期になって、自分を疑い、他人に劣等感を持つ様になる(アワ性発達期)、

このような波は、人生に繰り返しあらわれるものである。






  1. 2012/09/27(木) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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男と女のアワ量 ②

ちなみに、一般的に言って「サヌキ男」のサヌキ量には、いかなる「サヌキ女」のサヌキ量も

かなわぬのは当然であるが、真に「アワ性」の強い女が、人間としての許容量一杯まで

高めた場合の「アワ量」には、いかに高度の「アワ男」のアワ量もかなわぬはずである

しかも、そのような「アワ女」は「サヌキ男」のサヌキ量のみでなく、アワ男のサヌキ量にも匹敵する

「サヌキ性」を持つことも可能なはずである。

このことは「男」と「女」の本性を抽象すれば『男(サヌキ)は所詮「精子」であり、女(アワ)は「卵子」である』

ということになる故に『女は女の子を生むのみでなく男の子も生める

という物理に帰一する天然の生理現象なのである。

その強い女を、社会的に甘やかせば、男はたまったものではない。

「男尊女卑思想」は、男の(下手な)自衛策であった。




  1. 2012/09/26(水) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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男と女のアワ量 ①

女の発する「サヌキ性」は、男一般のもつ「サヌキ性」とはおのずからニュアンスが違うから

『女は業が深い』とか『魔ものだ』などと特殊扱いされるが、いやしくも「女」として

生まれた以上、たとえ「サヌキ女」のタイプであっても、痩せても枯れても生まれつきの

本性としては、サヌキ量よりアワ量が多いはずである。

(もしサヌキ量の方が多ければ、男に生まれていたはずである。)

このことは男についても同様で、男の中の「アワ性」は、女一般のもつ「アワ性」とは

趣が違うものであるが<アワ>の本性に変わりは無いから、真の「アワ男」なら、

自分の母親や妻には動物的に甘えながら、精神的には女性一般を蔑視するような

(日本の智識人に多い)未成熟な様相を呈することはないはずである。




  1. 2012/09/25(火) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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低次の「サヌキ型」 ④

ただし、その大切な子供時代を放置しておくばかりか、あまつさえ逆の教え方をして

(「アワ型」人間にも「サヌキ型」人間にも 一律に自己主張を奨励するような「新教育」をし、)

智能の弱い低次の「サヌキ性」で突っ走る「軽挙妄動型人間」や「サヌキ性」は低いが

アタマはよい「知能犯タイプ」の始末の悪い人間をのさばらせてしまってから

社会道徳や法律で規制しようとしても、その効果は極めてあてにならぬものであることは

今日の世相をみれば明らかである





  1. 2012/09/24(月) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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低次の「サヌキ型」 ③

なるべく早く(子供のうちから)そのタイプを見分け、少しでも「アワ性」を育てる方へ教育することが、

本人のためはもとより、社会の秩序を保つためにも、最も効率の良い解決方法なのである。

そして、いかに「サヌキ型」人間でも、必ずその内に「アワ性」を持たぬ者は無く、

一方の力が強ければ、他方の力も必ず潜在的に具わっているはずだという

物理の原則にてらして、これは決して不可能なことを言っているのではない。





  1. 2012/09/23(日) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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低次の「サヌキ型」 ②

昔から、お寺や教会に定期的に集めて、絶えず説教をしていなければ、自分たちの低次の

サヌキ性を振り回すのみでなく、低次のアワ型人間をも刺激して、低次のサヌキ性を出させ

周囲に迷惑をあたえてトラブルのタネになるのが、主としてこの種の「サヌキ型人間」である。

(今なお、定期的強制振動の手段として、一日に五回の自己規制(祈り)を強制されている民族もある。)





  1. 2012/09/22(土) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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低次の「サヌキ型」 ①

「サヌキ性」の強い者は(男も女も)自己を現象の中心において判断行為し、

潜象(見えない部分)を認めぬ態度をとる。

それに対し、常に潜象(見えないもの、自分以外の環境)を気にするのが<アワ>の性である。

同じく智能が低く、低次にとどまる場合でも「アワ型」人間は、自分自身を不幸に陥れることはあっても

他人を積極的に害するような行為に出ることはまず無い。(親子心中位なものであろう)

しかし、「サヌキ型」で、アタマの機能(智能)は良いのに、低次元(アワ量の少ない状態)に

とどまる人間ほど、始末の悪いもの はない。

なぜなら、自己に対する反省や悔悟の能力が無いからである。

ハッキリ言って、男でも女でも、最も「教育」を必要とするのは、低次の「サヌキ型人間」なのである。




  1. 2012/09/21(金) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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「アワ性」の強い者 ⑨

癌であることを患者に告げるべきか否か?という問題も、医者側の人生観で一律に定められる

ものではない。要するに、患者が、アワ量の多い者なら知らせたほうが良いが、

低次のアワ型・サヌキ型人間なら、言わぬ方が良いだろう。

どんな不遇な運命の中でも、いかなる逆境に落ちてもその苦労に堪えて生き抜き、

あるいはまた、どんなにスポイルされるような状況にあっても(過保護・教育ママ・しらけの世代等)

それに流されずに生存を全うできるのは、アワ量の多いものである。

すべての決め手となるものは、<アワ>の保有量である。



 

  1. 2012/09/20(木) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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「アワ性」の強い者 ⑧

祈る対象の「神」の名は何であっても要するにその人の アワ量なりの<カミ> しか

見ることは出来ない。まして「神」を持たぬ人々は日々の判断行為の基準が無く、

その場その場の安易につき、利欲に迷うしかないのを、責めなじることは物理ではない。

低次のアワ型人間には、それなりにその人の心にヒビクように、サヌキ型人間でも

その人なりにヒビクような教え方接し方をするのが、アワ量の多い者のおのずからなる役割である。

それ故、医者や教師などの 指導的立場の者は、専門技術の勉強と共に

自分のアワ量を鍛錬することが必須の条件なのである。





  1. 2012/09/19(水) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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「アワ性」の強い者 ⑦

宗教者の態度にも、おのずから、サヌキ型・アワ型が出る のは当然である。

日本のキリスト者の中にも、いかなる弾圧にも拷問にも屈せず、殉教しても悔い無しとする

サヌキ性信仰を貫く者と、生命の救い主をひたすら信じ、すべてを投げ打ってひれ伏す心で祈る

浄土信仰的なアワ性の信者もある。

というより、キリスト教も、日本人に於いて真のアワ型人間のものとなったといえるであろう。

何故なら、「神」をも「あなた」と二人称で呼びかけ、契りを誓う ことの出来る、

またそうしなければ救ってもらえぬと思う精神構造の西欧人には、日本人の「ヒレフス心」は

不可解なものである。「ころび」と「かくれキリシタン」の結びつきも、「神」に対する

感じ方のスケールの大きさが、日本人独特の融通性 を示したものと考へられる。




  1. 2012/09/18(火) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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「アワ性」の強い者 ⑥

「サヌキ性」は現実指向の性 であり、「アワ性」は、先天的に潜象共振の能力 である。

そして、低次のサヌキ性・アワ性の人々を迎えるのが、御利益宗教(現世救済)であり、

それをスナホなアワ性へ導き、銘々の能力なりの「自然サ」のある生き方に安じさせようとするのが

浄土信仰(天国極楽、永遠の生命の思想)の類である。

その辺りで満足し、疑いを持たなければ「救われた」という実感を持つことが出来る。

低次のサヌキ型・アワ型人間の特徴は、低次の宗教でも「救われる」ことであり、

苦労する能力のある者(潜在アワ量の多い者)と否との本質的な違いはここにも現れるものである。





  1. 2012/09/17(月) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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「アワ性」の強い者 ⑤

しかしながらまた、女が強いサヌキ性を出す時 それはすべてサヌキ型人間だというわけではない。

たとえば、長年堪えに堪えていたアワ女の、心のカゲに蓄えられていたサヌキ性が、遂に

我慢に我慢の緒がハチ切れて、どんなサヌキ男もあっけにとられるような

鋭い言動となって放たれることがある。

このことは、男の場合も同様であって、そうした時も、もしサヌキ・アワの性のサトリを

知っていれば、自分でその後始末を適切につけることが出来るが、

その認識がないと、行きがかりから心にも無い不幸な結末(離婚・家出・辞職・暴力等)に陥り

一生ホゾをかむ事になるケースが多いものである。





  1. 2012/09/16(日) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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「アワ性」の強い者 ④

「アワ型人間」は、まず相手の受け取り方を気にし、常に自分を卑下し、他人を先立てて

自分は背後に回ろうとする。それは、「謙譲の美徳」という意識の奥にある、自分の

生命の安全感 による(人に悪く思われることは、生命の不安につながる)のが本心である。

また、同じように成功者といえる状態になっても、「何か、空しいもの」を感じるのも

アワ型人間のその本心の求める生命の充足感は、サヌキ性の 現実のものでは満たされぬ からである。





  1. 2012/09/15(土) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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「アワ性」の強い者 ③

その意味で、深刻な悔悟や反省の念は、低次の「サヌキ型」の男女には先天的に欠如 している。

それ故、「アワ型」の者ならそれをまた苦に病むところを彼らは自ら

『楽天的な良い性質だ』とか、『竹を割ったようなサッパリした性格だ』などと思えるのである。

彼らの未分化な「アワ性」は、常に自分本位に、自分を許し甘やかす低次の「サヌキ性」を放出している。

「サヌキ型人間」が、陽気に自分を誇り、自分の子を褒め、人前に出たがり、他人からなんと言われようと

気にせず、素直に自分の気持ちを押し出して、成功すれば自分に才能があり、自分が努力したからだと

幸福感に浸り、失敗すれば相手が悪いからだと怒ったり恨んだりしていられる。





  1. 2012/09/14(金) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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「アワ性」の強い者 ②

とにかく<アワ>の性は カゲにマワルもの であるから、コントロールを失うと

(カムウツシが欠乏すると)「僻み」「執着」「虚無」「厭世」等の自虐的な歪み現象を生じやすい。

いかなる場合にも相手のために悪しかれと思ったり、生命を損なうようなことの出来ぬのが

<アワ>の性であり、自分の都合や保身を先立てたり、失敗の責任をひたすら相手に押し付ける

ようなサヌキ的な行為はどうしても出来ず、その位なら自分を殺してしまう方に

自分の「サヌキ性」を内攻させ 自分を責めてしまうのが、男女共に「アワ性」の強い者の常である。

(人魚姫・野菊の墓・鶴女房等の物語として描かれれば人の心を打つが殆ど表にはでないものである。)





  1. 2012/09/13(木) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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「アワ性」の強い者 ①

すべての女が『可愛さあまって憎さ百倍』の行為に出るものでは決して無い。

真に「アワ性」の強い者は、どんな相手に対してもその中に存在する「アワ性」を見てしまう

その為に、「サヌキ型」人間のあずかり知らぬ苦労を背負い込むのである。

 
もし、相手が強い怒りや憎悪をぶっつけてくれば、反抗心で受け止めるよりは

圧倒されるばかりであろうが、一瞬後には、打ち返す行為を発するよりも、

相手をそのように怒らせ憎悪させた原因が、自分にあったことを気づかうものである。

あるいはまた、「サヌキ型」の者なら自分の能力に「自己満足」や「優越感」を感じていられる

ところでも、「アワ性」の多い者は逆に「自己嫌悪」や「劣等感」を感じるものである。





  1. 2012/09/12(水) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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世阿弥の「能」の限界 (般若の面) ⑥

それ故今日まで優れた天才(男)が、それにふさわしい伴侶を得るスベが無く、せいぜい

「悪妻であること」によって、反面教師的に鍛えられる程度の内助の功にとどまるしかなかったのである。


孔子も釈尊もゲーテも・・・・いずれもそれに ふさわしい配偶を得なかった 為に

孤独の天才に終始して<フトマニ>のサトリを成就することはできなかった。

また、天才的な女性はしばしば、幸せな結婚の相手を得ず、独身に終わった。





  1. 2012/09/11(火) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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世阿弥の「能」の限界 (般若の面) ⑤

男に愛される「サヌキ女」も無いわけではないが、それも、下町の利発な女とか

維新の志士の影にいた女たちのように、生まれつきのアタマはよくても無学な者が好まれる。

よほどの「アワ男」でない限り、とにかく 男が女に求めるものは<アワ>の性である。

そして女は、(少なくとも自分が女に生まれたということは「サヌキ性」より

「アワ性」が多かったということであるから)男一般に比べれば一応アワ的である。

しかし、少しでも女が何かしたいと思えばサヌキ的になり、高次の「アワ性」を

養うことは 物理的に難しい ことなのである。






  1. 2012/09/10(月) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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世阿弥の「能」の限界 (般若の面) ④

なまじ女が向学心を抱き、賢くなろうとすれば「アワ性」を失うものだ。

ということが、何となく定説のようになってしまったのも、

後代人が<サヌキ><アワ>の四相のサトリを失った故である。

その為には、男の場合は、一応<サヌキ>の本性を貫きながら「アワ性」を養うことが

比較的可能であったが、女には、真に自分の「アワ性」を豊かに保ちながら

「サヌキ性」を鍛えて、人間の「女」として脱皮 する マトモな方法がなかった のである。





  1. 2012/09/09(日) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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世阿弥の「能」の限界 (般若の面) ③

その角を取り去り、裂けた口を噤めば、

その顔の輪郭は、前シテの「小面」や「増」の美しい面と同じ骨格である。

我々が錯覚してはならぬのは、このような女は、女性には違いないが、あくまで

「サヌキ女」のタイプの例であり、それが<アワ>(女)の本性では決して無い ということである。

その意味では、さすがの世阿弥も、真の「アワ女」の極 を描いた「能」。はまだ作れなかった


古今東西、女の「アワ性」をテーマにした作品は多いが、いずれも無智的な

「サヌキ性」の弱い、低次のものばかりである。

そういう「アワ女」なら、聖書や仏典にも出てくるし、我々の身辺にも

色町の貧しい女とか田舎の無学な老婆たちの中にも見られ、世の男たちが

「瞼の母」とか「永遠の女性」などと憧れるのは、大抵 この種の女である。




  1. 2012/09/08(土) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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世阿弥の「能」の限界 (般若の面) ②

さすがに「能」には、男女の本性を鋭く掘り下げた名作があり、

男女の「面」にもそれを如実に現すものがある。(道成寺・葵上・井筒・求塚 等)

般若の面 も、女の面の傑作であるが、しかしながら、あの面の突出した角や、

耳まで裂けた口は、いかにも「女」の業(ゴウ)とか、魔性などと言われるものを

象徴する恐ろしげな形相であるが、それこそ「女」の中の「サヌキ性」を示すものにすぎない。

いかに強気に振舞っていても所詮それは女の本性ではない。

いかに怨んでみても憎んでみてもどうにもならぬ、女がアワの本心を

尽くすべき相手を失った 時の、まさしくこれは、悲しみの極みの泣き顔 なのである。




  1. 2012/09/07(金) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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世阿弥の「能」の限界 (般若の面) ①

言うならば、男なら、強い「サヌキ性」の奥には深い「アワ性」を湛え

女なら、高い知性に裏付けられた豊かな「アワ性」を、人の親としては

優しくて賢い母、頑固でも話せる父を、等・・・。

様々な希望や理想や願望の人間像を、何となく思い描く者はあっても

今日まで、真に男女の本質本性を、このようにハッキリと「コトバ化」した哲学も

宗教も無かった。このような真の「女」の性「男」の性を、極限まで描きつくした

文学も演劇も芸術作品も、まだなかった ようである。




  1. 2012/09/06(木) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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女性問題の解決 ③

ところが、このような物理を知って、動物次元 の「アワ性」をこえた 高次の人間 としての

「アワ性」を養うためには、エネルギーが与えられねばならない。

ことに、動物次元の「サヌキ性」「アワ性」に与えられるエネルギーの補給(<アマウツシ>)

のみでなく、人間次元の精神性のエネルギーの補給(<カムウツシ>)がなされねばならない。

(有史以来の「眠れる脳」の人々には、この発想が全く失われていた。

 しかし、エネルギー無しに新しいものが発生できるわけが無い。)


それによって人間は、動物次元の「アタマ」から、人間独自の<カシラ>へ進行する事ができる

という点では、男も女も全く変わりは無い。

そして、ここに至ってはじめて、男も女も、真に「人間として」の人生が実るのであり、

人間次元において<カム>のチカラ(創造力)を発揮し、<ヒト>という名にふさわしい

文化を持つことが可能となるのである。

現代人の 男女同権思想の基礎 は、ここに置かねばならぬはずである。







  1. 2012/09/05(水) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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女性問題の解決 ②

<カタカムナ>の<フトマニ>のサトリによって知り得たことは、女が真の「女」になり、

男が真の「男」となることによって、真に人間(<ヒト>)としての結合(<フト>)を

果たす条件がみたされ、それによって我々は、はじめて 人類に与えられた恩恵 を

一人前に成就 することになるという物理であった。

男が真の「男」となるには、<サヌキ>の本性を貫いて直進しながら、

精神的には<アワ>の性を養わねばならない。

女もまた、真の「女」の本性を全うするには、低次の無智的な「アワ性」に止まるわけには

行かない。さりとて、「サヌキ性」が高じて女の本性を失うに至っては惨めな悲劇を見る。

とすれば、必然的に、その「サヌキ性」を上まわる、高次の「アワ性」を鍛えなければならない。

要するに、男も女も<アワ>の保有量を増すことが「極め手」となるわけである。


(このことは、異性の仲のみでなく、男同士の青春の情熱をかけた契りが挫折されぬ為にも

女同士の敬愛や信頼の関係が失われぬ為にも、おおよそ 人間関係が、

有終の美を全うされる為にはどうしても必要な条件なのである。)





  1. 2012/09/04(火) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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女性問題の解決 ①

「アワ型」の女にも理知性の高い者もあるのだが、しかし一般人には 無智的な「アワ女」

好まれ、また、女が「アワ性」を保つためには、無智的であるしかないとされていた。

事実、女が少しでも人間性に目覚めて、自分の 理智性を鍛えよう とすれば

前述の如くたちまち「サヌキ性」があらわれ、世人はそれを『女のくせに』とか

『女だてらに』等と見、男性から反発されるばかりでなく、同性からも足を引っ張られる。

このことは、男についても同様で、何かの目的をもって努力しようとすれば

先ず養われるのは「サヌキ性」である。しかし、男の場合は「サヌキ性」の強い男が更に

男の本性 を高めようとすれば、必然的にアワ質が増し それが前述の如く

スナホに世にも人にも敬意を以って受け入れられるのである。

ところが、女の場合はそれが全く逆に作用してしまう。

しかしながら、「女」がこのレベルで アタマ打ちになっている限り女性問題に解決は無い。

ということは、ひいて「男」にも、そしてまた、取りも直さず「女」自身にも、

真の幸福な人生は無い、ということである。




  1. 2012/09/03(月) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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「嫉妬」は「女」の本性ではない ⑥

女の嫉妬」と共にしばしば言われる「男の浮気」も、本質的な捉え方ではない。

それは生理的な共振現象(配偶者のあるなしに関らず、自分の振動にあうものに出会ったということ)

であるから、男にも女にも起こる。ただ、それをどう解釈し、自分の行為をどう規制するかは

大脳智能の参与のしかたであり、それによって人柄が決まるものである。

大脳は、あれこれデータを並べるだけで、決定する力は大脳次元には無い

アワ量次第でその力が発生するのである。


サヌキ型人間の「愛」は、自分の幸せのために すなわち自分が幸せになりたいために

その人が欲しい、というのが本音である。

アワ型人間は、それが 相手の幸せに なるのでなければ、自分の「愛」を

表に現すことも 出来ないのが、その本質である。

いずれも、それを 真の愛 にまで高めるには、アワ量を増すしかない。

「嫉妬」とか「執着気質」等というような、本質から離れたところ で何を論じても

いかに研究を続けても議論はかみ合わず、アワ量の少ないものからマトモな生産(解決法)は生まれない。




  1. 2012/09/02(日) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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「嫉妬」は「女」の本性ではない ⑤

他の女の元に通い、子をもうけたような夫に対してすら黙って見送り

影で夜寒につけてその身を案ずるのが(「井筒」の女)「アワ型」の女である。

それ程のアワ量の無い低次の者でも「アワ型」のタイプであれば、相手の

生命を害するような行為 は決して出来ない。

せいぜい世をはかなみ、己を責めてわが身を投ずるのが関の山である。(「求塚」の女) 

嫉妬は、相手の「アワ性」をくすぐる手管にはなっても、本質に迫るものではない。

あくまでもそれは アワ量不足 の為の 歪んだサヌキ性のあらわれ

相手の幸せを思うよりも、相手を失いたくないという自分の欲求から発生する「サヌキ性」のあらわれ)

であるから、敢えて強行すれば相手の「サヌキ性」と正面からぶつかり、(同種反発して)

相手を離反させるのみである。(道成寺の男のように)



井筒

求塚(菟原処女の伝説)




  1. 2012/09/01(土) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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