温故知新 ~サヌキとアワのサトリ~

相似象のサヌキとアワの紹介です。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

「嫉妬」は「女」の本性ではない ④

「可愛さあまって憎さ百倍」ということが、男女の「愛」の普遍的なスガタのように

いわれるが、「愛」の「極」が「憎」であると思うのは、甚だしい認識不足 である。

極限はすべてアマに還るものであり(アオニヤシ)心からの「愛」と思ったものが

「憎」に変わるのは、極限まで行った結果の場面転換 である。

どのような転換のしかたをするか?が、サヌキ型・アワ型の違いであり

愛の極が憎になり嫉妬の行為に出るのは、女ではあっても、サヌキ性の強い者である。

真に「アワ性」の強い女であれば、愛する男がたとえ自分に背いたからとて

取り殺し焼き尽くす程に怨みつのる(「道成寺」の女の)ようなマネはできる筈が無い。

それこそ、女の中の「サヌキ性」のなすわざである。

安珍・清姫伝説




スポンサーサイト
  1. 2012/08/31(金) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
  3. | トラックバック:0

「嫉妬」は「女」の本性ではない ③

純然たる「生命の不安」という 動機 があった時「アワ性」が出るか?

「サヌキ性」が出るか?が、「アワ型」「サヌキ型」の 分かれ目 である。

そしてそれを決定的な現象とするのが、その人の、その時の アワ量 なのである。

すなわちその人のアワ量次第で、それなりの「サヌキ性」が出るわけである。

「サヌキ性」が強いということは、才能があり魅力があるという有利な条件であるが

アワ量の裏付け がないと、一転して嫉妬・憎悪等の 反生命的感情 を

烈しく発生させてしまうことになる。




  1. 2012/08/30(木) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
  3. | トラックバック:0

「嫉妬」は「女」の本性ではない ②

犬猫にも見られる嫉妬や抗争の現象は、本来は、自分の生命が脅かされる不安から

発生するものであり、人間の場合ももとよりそうした動物面は持っているから

初発の動機が純然たる 生命の不安 にあることは同様である。

しかし人間の 嫉妬感情 は、もっぱら 大脳次元において触発 され、

その人の「サヌキ性」の強さだけエスカレートされた行為となる。

したがってそれはあくまで 反生命的な(反アワ性の)二次波動 であり

「嫉妬」が女(アワ)の本性などでは決して無い




  1. 2012/08/29(水) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
  3. | トラックバック:0

「嫉妬」は「女」の本性ではない ①

嫉妬が「女」の本性だなどと、相当の文学者や哲学者、心理学者まで思っているのは

<アワ>の本性を知らぬのも甚だしいもの である。

「嫉妬」が女の本性であるかのごとく錯覚されたのは、女には無智的な者が男よりも多く

自分の中の「サヌキ性」をこらえ性もなく露呈してしまうからである。

その証拠に、男の嫉妬の方が、しばしばはるかに陰険で深刻な場合が多いものである。

「男」であれ「女」であれ、何かに向かって突き進む力は「サヌキ性」である。

したがって、どんな女にも「サヌキ性」のない者はないから、たとえ「アワ女」の

タイプの者にも競争心や嫉妬、憎悪等とよばれる反抗的な情動が全く無いことはない。






  1. 2012/08/28(火) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
  3. | トラックバック:0

女性問題の難しさ ⑥

近代の西欧の知識人に高く評価された「日本の女」(明治の女)の実力は

そのようにして培われた「アワ量」によるものであった。

しかしその名残で、戦前の日本では、女ならすべて「アワ女」の型に押し込められ

はみ出す者は「悪女」とされた。

今日では、サヌキ性の強い女(サヌキ女)は大っぴらに男勝りのサヌキ性を鍛錬し

男たちの社会に入り込んで高い評価を得ている。

しかし『女も、男と同様に外に出て働く権利がある』と主張する女権論者は

自身が「サヌキ女」のタイプであることを認識し、世の大多数の女は

自分と同じタイプではないことを忘れてはならない。

なまじ女を啓蒙して「サヌキ化」させることの危険を経験的にわきまえていた

昔の教育者が、すべての女を家の内へ閉じ込めようとしたのは

「サヌキ女」の存在を無視 したための誤りであり

今日の社会の風潮は、その 反動現象 である。




  1. 2012/08/27(月) 07:37:57|
  2. サヌキ・アワ
  3. | トラックバック:0

女性問題の難しさ ⑤

そこには批判すべき点があるにしても、とにかく昔の 女に課された心身のしつけは厳しいもの であった。

(その女に育てられた男のしつけも厳しかったわけである。)

明治以前のよく鍛えられた女には、明治以降の過った知育をうけた女より

その苦労のカゲに、養われていたもの があったのである。

そしてまた、「女」には不法な圧迫にも無理な鍛錬にも 堪える力が 

生理的、本質的に「男」よりも具わっていることは事実である。

(もとよりその陰には、それだけの「苦労する波動量」のない女たちのみじめな

人生も多かったことも事実であり、その対策も 正当に考慮 されねば女性問題は解決しない。)





  1. 2012/08/26(日) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
  3. | トラックバック:0

女性問題の難しさ ④

ところがその「女」が、少しでもものを考へ出し、人間性に目覚めて勉学の志を持ち始めれば

いや応なく「サヌキ性」の方が表に出てくる。もともと「女」にも「サヌキ性」のない者はいないのだから

その方が刺激されればそれが目立ってくるのは当たり前である。

昔の女はその「サヌキ性」を、忍耐や犠牲や節操や謙譲の徳を養うことで

(最後は女の操を貫く為に死ぬところまで)昇華させていた。





  1. 2012/08/25(土) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
  3. | トラックバック:0

女性問題の難しさ ③

とにかく表へ出るチカラは要するに「サヌキ性」である。

それ故、「女」の中の「サヌキ性」が少しでも目覚めてくると、そうした押し付けは

たちまち反発される。しかし、「女」が<アワ>の本性を失えば、社会の秩序は成り立たない。

この矛盾を解決する原理を現人類はまだ持っていなかったのである。

現在でもなお、大抵の「女」は、生理的に「アワ性」を多く持つ者が多いから、

自分で目的を見出してそれに向かって強く突き進むよりも、そうした「サヌキ性」は

愛する男に求め、自分は<アワ>の役にまわっていたいのが本心である。




  1. 2012/08/24(金) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
  3. | トラックバック:0

女性問題の難しさ ②

なぜなら、女(アワ)の本来性は<サヌキ>に 前駆しながらしたがうものである。

(前駆といっても、その形は表へは現れない潜象的なチカラである。)しかし女の中にも必ず

「サヌキ性」があり、特にサヌキ性の強い「サヌキ女」も存在するという問題があるからである。   


昔の女が、朝は夫より早く起き、夜は後から寝て夫や家族のために働きながら

決して表へは出ず、陰の役割に徹するのを「美徳」とされたのは<アワ>の本来性を

現実の型にはめて、すべての「女」に押し付けた所に無理があったのである。

なぜなら、<アワ>の本性は確かにそのようなものであるが、

現実の「女」は「アワ性」ばかりで生きているのではない。

女の裏にある「サヌキ性」の問題が解決されていなかったからである。




  1. 2012/08/23(木) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
  3. | トラックバック:0

女性問題の難しさ ①

その際男性はマトモに努力すればするほど、「サヌキ性」が発達するのみでなく

より高次の「アワ性」を養わねばならぬことになる。

「男性」が真の男となる条件は、<アワ>の保有量を増す事であり、

増しただけ<サヌキ性>も向上し、社会的にも認められ、豊かになった「アワ性」は

「幅広い包容力」としてスナホにほめられ「親分」とか「慈父」とかと

慕われる人格を作り上げることになる。

ところが、女性の場合はそうは明快に行かないところに難しさがある。

女性が特に注意しなければならないのがこの点である。




  1. 2012/08/22(水) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
  3. | トラックバック:0

「性」に対する基本認識の根拠 (サヌキ・アワの本性と、男女の「性」の電気生理) ⑥

いかに生まれつきの「サヌキ性」が優秀であっても、それにふさわしい「アワ性」に

支えられていない限り、個体としても、人類の種としても、終りを全うすること はできない。

また、いかに豊かな「アワ性」を持つ者も、それにかなう「サヌキ性」を鍛錬しない限り

無智の故の不幸に陥る 危険がいっぱいである。

そして我々は、いかに「サヌキ男」でも「アワ性」のない者は無く

「アワ女」でも「サヌキ性」のない者は無いのである。

そしてまた、両者は相補い合って発達し、一歩一歩向上過程をたどるものである。




  1. 2012/08/21(火) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

「性」に対する基本認識の根拠 (サヌキ・アワの本性と、男女の「性」の電気生理) ⑤

今日までの世人の「男」というもの「女」というものに関する概念には

このような最も 基礎的な認識が欠けている。

(生物学者はもとより、最も進歩的な知識人の「女性上位論」や「第二の性」論にして然りである。)

「男も女も人間として基本的には同権である」という一般通念も、

その「基本」を何処まで突き詰めているのであろうか?

私共が<カタカムナ>に出会って知らされたのは、先ず我々は皆、男(サヌキ)・女(アワ)

四相のどれかのタイプに属して生まれついている、という「基礎認識」を持つことであり

次に「人間(ヒト)として」の「基本態度」とは、めいめいの生まれつきの

「サヌキ性」「アワ性」を相伴って高度化しなければならない、ということである。

そしてその意味で、前述の如く、動物次元の個体生命の保全の為のみではなく

精神的な向上 と、知的生産の為のフトマニのサトリが示されていたということである。




  1. 2012/08/20(月) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
  3. | トラックバック:0

「性」に対する基本認識の根拠 (サヌキ・アワの本性と、男女の「性」の電気生理) ④

このように異性の接触によって、男性も女性も、自己の個体生命を活性に保ちうるのであるが

その率は、男性の方が致命的に大きい。 俗に『女やもめに花が咲き、男やもめにうじがわく

といわれることが当たっているのも、女性は一人でも生きるには差し支えないが、

男性にはそれが極めて難しいという、この電気物理の故である。

要するに、男・女の「性」の別は、何よりも先ず、

自分自身の健全な生命活動の為に存在するのが、第一義の意味である。

「種」の生殖のための性行為や性欲の満足は、男・女の個体が

健全な成熟を見た後での話 である。





  1. 2012/08/19(日) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
  3. | トラックバック:0

「性」に対する基本認識の根拠 (サヌキ・アワの本性と、男女の「性」の電気生理) ③

我々が忘れてはならないのは、前述の如く人間の男も女も、

それぞれのうちに正・反性(サヌキ性・アワ性)

を併せ持たなければ生きていかれぬということである。

しかし<アワ>は陽電気性(ホール・女電気)であるから、環境から

<アワ>のみでなく<サヌキ>をも発生させて取り入れることができるが

<サヌキ>は陰電気性(エレクトロン・男電気)であるから

自分独りで<アワ>を環境から発生させて取り入れることができない。

それ故、一般に男性は、電気の足りない状態 にあり、しかも、女性を通さなければ

取り得ない。 その為に足りないものの充足を求めて、男性に性の衝動が生じる、というのが

男女の性の「電気生理」である。




  1. 2012/08/18(土) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
  3. | トラックバック:0

「性」に対する基本認識の根拠 (サヌキ・アワの本性と、男女の「性」の電気生理) ②

<アワ>(女)の本性は、<サヌキ>の発生に前駆し、<サヌキ>をかもす力であり、

<サヌキ>を巻いて、つねに<サヌキ>の進むミチを守り、<サヌキ>のミの安全を保つべく

前後、左右の四方から、十字(ト)に(直角的に)働く<イモ>のチカラである。

とれは天然自然に発生する<マクミ>(磁気素量)のナリ(本来性)を多く受け継ぐものであり

その本質は<カム>の潜象系に属し、<ウツ>(渦)としては左マワリ(左旋性の力)である。




  1. 2012/08/17(金) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
  3. | トラックバック:0

「性」に対する基本認識の根拠 (サヌキ・アワの本性と、男女の「性」の電気生理) ①

自己の保全の為に、利欲の為に、意地や義理人情の為にひたすら突っ走る程度の「サヌキ性」から、

仕事の為、発明・発見の為、使命感の為、国の為、恩人の為、愛の為、芸術の為に

身を殺してかえりみぬ高度の「サヌキ性」まで、様々の違いはあっても、結論的に要約すれば

<サヌキ>(男)の本性とは、身(ミ)の危険を恐れず、目的に向かって

直進しようとする<イサキ>の性である。

それは天然自然に発生する<イカツミ>(電気素量)のナリ(本来性)を多く受け継ぐものであり

その本質は<アマ>の現象系に属し、<ウツ>(渦)としては右マワリ(右旋性の力)である。







  1. 2012/08/16(木) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
  3. | トラックバック:0

現代人の「眠れる脳」と少数者の存在 ②

昔もやはりそういう者は少数者であったかもしれないが、その数がますます少なくなるにつれ、

少数者の肩にかかる比重 は大きくなる一方である。

なぜなら、多数者が感じないものを感じ、それ故に悩み苦しむ者が存在することによって

社会のバランスが辛うじて保たれるしかないからである。

<カタカムナ>の<サトリ>は 万人のための救い である、と言いながら

相似象会誌は 少数者の為の物 である、というのは、今自分たちの 微力によって

成し得る役割
 をできるだけ 重点的につきつめた からである。

(微力のままに、自己の好みや人情に流され てアブハチとらずにモトもコもなくすことは

 もう私共にはゆるされない からである。)

その意味で私共は自分自身の 直観鍛錬 に当たり、先ず自分自身を

「サヌキ・アワの正反四相」のサトリにてらして究明することから始めたのである。

(その為に必要なエネルギーの補給法則即ち<アマウツシ><カムウツシ>のスベについては別述する。)





  1. 2012/08/15(水) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
  3. | トラックバック:0

現代人の「眠れる脳」と少数者の存在 ①

有史以来、人間は誰しもより良く生きようと願いながら現実には

自分たちの「アタマ」の使い方を 一方的に偏らせ、多くの脳を眠らせてしまう方向へ

進行してきた。今それが人類の滅亡へ赴くミチだといわれても、

あまりの発想の違いに途惑うばかりかもしれない。

そのような大多数の現代人にとって<カタカムナ>の<サトリ>は無縁のものである。

大多数の人々は、自分の脳が眠っているかどうか など、考えもしない、感じもしない

まして覚まそうなどとは思いもしない。しかし、現代人の中にも、何となく共振を感じる者

(わかりたい、覚ましたい、という衝動を持つ者)が存在することも事実である。






  1. 2012/08/14(火) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
  3. | トラックバック:0

四相のサトリと直観鍛錬 ③

今日までの「男性論」「女性論」、ひいて「人間論」は、とかく人間の「アタマ」の次元

での思考を出ず、たとえ『神からの授かり』という思念で述べられたものであっても

その「神」とは何か?の 究明が不徹底 であったから、人間次元の「独断」や「片思い」

の域を出でず、「希望」や「理想」の投影に終わっていた。

私共もやはり人間次元の「アタマ」で思考するしかないが、その「アタマ」を<カシラ>に

して<カムカヘル>ことによって(<カム>のチカラの代行者としての「逆序」のサトリを得て)

天然には起こり得ぬことを行いながら、自然の秩序に逆らわぬ生き方を全うすることができる

という<カタカムナ>の<サトリ>のあることを知ったのである。




  1. 2012/08/13(月) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
  3. | トラックバック:0

四相のサトリと直観鍛錬 ②

その性来は、殆ど 終生変わらないものであり、我々に出来ることは、いかにして

天然の「序」にしたがいながら、自分の本来性(優位の方の性)を損なうことなく

欠けた面(低い方の性)を養成して、高次のバランスへ もって行くか?である。

「サヌキ性」に偏しても「アワ性」に偏しても・・・

いずれにしてもトラブルのタネである。

バランスをとることが先ず必要だが、低次元でつりあうより、願わくは高い方へ持っていって

できるだけ『自分も生き、他人も生きさせる』ミチをとりたい。






  1. 2012/08/12(日) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
  3. | トラックバック:0

四相のサトリと直観鍛錬 ①

ここで改めて、本題の<サヌキ・アワ>の本性について認識を新たにして頂かなくてはならない。


なぜなら、我々は現人類として前述のような潜在的能力を具え持っていることは、

物理として言えるのであるが、具体的には、人間の中の男(サヌキ)か、女(アワ)かの

正反四相の中のどれかのタイプに属して生まれてくるものであり、私どもの鍛錬は

そこから(自分の意志以前に生みつけられたタイプから)出発しなければならないからである。





  1. 2012/08/11(土) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
  3. | トラックバック:0

苦悩する能力 ④

「アワ型」人間が、せっかく豊かに持つ「アワ性」のために、深い苦悩(自己嫌悪・虚無感・絶望 等)

に陥り、みずからを亡ぼすに至る(エネルギー不足の歪んだ「アワ性」は反生命的な「サヌキ性」を発生させる)

このような悲劇を防ぐには、自身の性格を認識して<アワ>の本性を知り、この力を補給する、

<カムウツシ><アマウツシ>のスベを実習することが何よりも肝要な生き方となるのである。


要するに、「サヌキ型」も「アワ型」もみずからの鍛錬を怠れば、軽挙妄動の低次元

にとどまり、あるいはまた、アタマの先の智識はあっても「モラトリアム人間」の状態から

みずからを 起励することは出来ずに、終わらざるを得ないのである。




  1. 2012/08/10(金) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
  3. | トラックバック:0

苦悩する能力 ③

このようにして、我々が多かれ少なかれ現状に対して不満を感じ

苦悩する心を起こすのは<アワ>の力であり、それはより良く生きようとする

生物普遍の方向性に基づく 生命力の発露 である。 それが<アワ>の本性である。

ところがこのように<アワ>の本性が発揮されるためには先決条件として

それ相当の エネルギーの補給(上古代語では<カムウツシ>)が必要である。

もしこの際にエネルギーの補給が欠けると、たとえ生まれつきは「アワ型」の性格であっても

また、誰しも苦悩したくて苦悩する者はあるはずが無いのに、あたかも

『好みにふける』が如くに 苦悩に沈着し、遂に堪えかねて「死」へ逃避するハメにも至る。


 

  1. 2012/08/09(木) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
  3. | トラックバック:0

苦悩する能力 ②

「苦悩する能力」の発生源 こそ <アワ>の本性 であり「生命の力」である。

よりよく生きよう とする 生物普遍の方向性 が人間の 大脳智能と結びついた時

強い自己主張力(サヌキ性)を発生する。

そして、現象面にはそのようなサヌキ性の力の働いた結果の「判断行為」しか現れないが

その影には必ず「そうさせている前駆力」(宇宙的な生命力を受け継ぐ<アワ>の性

が潜在しているはずなのである。

「苦悩すること」は辛く、反生命的な行為であるから、誰にとってもしたくないことに定まっている。

しかし、現状に満足できぬ「感受性」を持つ者は、より良い状態を求めて

「苦悩する心」を起こさずにいられない。

そのような 反生命的な状態 からは少しでも早く脱出したい、どうしたら脱け出せるか?

この思いがここでも、アワ性の前駆力 となって 次のサヌキ性の力を発生させ

それが 大脳智能の働き となって、実際に苦悩から脱出するための方法を工夫するのである。





 
これらの作用は、無意識領域(上古代語では<ミ>の潜象過程)でなされている。

「意志」や「意識」等とよばれる精神作用は、ようやくこのあと(上古代語では<イ>の次元)で

浮上してくるわけ である。




  1. 2012/08/08(水) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
  3. | トラックバック:0

苦悩する能力 ①

『苦悩する能力』などと言い出し、『苦悩する能力のある者はそれを 解明する能力もあるはず だ』

というのも、また『体験派も智能派も(「アタマ」も「ココロ」も「サヌキ性」「アワ性」も)

低次元に止まる限り「人間という名の動物」から脱皮することはできない』とか

『現代人の「眠れる脳」を覚ますのは不可能ではない』などというのも

いずれも我々が現代人という「種」に属して生存を保っている以上

少なくともカタカムナ人の開発していた智能レベルまでは行き着く可能性を

誰でも一応、具え持っているはずだと判断するからである。

このことはカタカムナ文献の解読に基づく実習実験によって突き止められたことである。




  1. 2012/08/07(火) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
  3. | トラックバック:0

脱皮の為の方法とエネルギー ③

上古代語ではそのエネルギーを<アマウツシ><カムウツシ>と言い

カタカムナ人はその補給方法(スベ)まで、物理として解明していたのである。

後代人は感受性が劣化すると共にそのサトリを失い、十万年来、どの赤ん坊も

人類として具え持って生まれ、正当に開発されるはずの脳の多くの部分を不当にも

眠らせて』しまっているのである。





  1. 2012/08/06(月) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
  3. | トラックバック:0

脱皮の為の方法とエネルギー ②

このようなエネルギーについては科学も未解明であり

しいて説明しようとすれば、上古代語が使えないために

前述の如き回りくどい表現をとらなければならないが・・・。

しかし、実際にはそれが何であるかという 認識はなくとも 結構

しらぬマにそれを補給して
、人間らしい生活(猿には見られない精神的成長、人格の向上等)

を果たしているのである。

ということは、我々の生命力(「感受性」と「判断力」)は

それを感受し、駆使する能力を潜在的に

(我々のアタマがそれを意識しようがしまいが、生まれながらに)

具え持っているということである。





  1. 2012/08/05(日) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
  3. | トラックバック:0

脱皮の為の方法とエネルギー ①

このような動物次元の「サヌキ性」を脱皮するには、

それを 上回る「アワ性」(前駆の力)が必要である。 

我々がこのような「アワ性」を発揮するためには、それを可能とするだけの

エネルギーが与えられなければ ならない。

(「サヌキ性」を発揮するための大脳次元のエネルギーのみでは足りない。)

すなわち人間特有の 高次の「アワ性」発揮のためのエネルギー

もはや動物次元の活動に必要なエネルギー(大脳神経細胞を操作するための電磁気的なエネルギーや

細胞の新陳代謝のための物質栄養の補給)

のみでは、どうしてもマに合わないもの である。 




  1. 2012/08/04(土) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
  3. | トラックバック:0

動物次元からの脱皮 ②

しかしそれが入り込むためには、適切な 場つくり が必要であり、その為には人間の

意志や感情よりも以前の過程(潜象過渡の状態)に介入しなければならない。

しかもその介入のしかたは、天然の「順序」にかなったものでなければ、いかに人間が強く

「意志」し、深く「願望」しても、人間の求める結果は決して得られるものではない。

我々が 天然自然の営みに介入 して 人間の欲求を通そうと すれば

離れ猿が前のボスの子を皆殺しにする程度の「サヌキ性」では一時的には成功したかに

見えても、結局天然の淘汰(「種」の滅亡)を早める結果を見るのが定である。




  1. 2012/08/03(金) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
  3. | トラックバック:0

動物次元からの脱皮 ①

要するに、人間以外の動物たちにも、悲しみ、喜び、驚き、不安、期待、競争心

苦痛、快楽等の表情はみられるが、怨んだり憎んだり、あせったり悔やんだり嫉妬したり・・・・、

まして自分の能力の低さを嘆いたり、悩んだり発憤したり、というような精神行為となると

人間の進化は格別である。しかしその発達も一歩一歩(感受機能と神経細胞の結合 されるずつ)

進展するのであって、その様相はまさに物質の 結晶構成と相似象 である。

そしてそこにはおのずからなる天然の「序」が働いており、それは人間の「意志」や

「感情」よりも 以前の要素が支配的 である。

しかし人間の意志や感情(願望や発憤等)が全く無力なのではない。





  1. 2012/08/02(木) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
  3. | トラックバック:0
次のページ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。