温故知新 ~サヌキとアワのサトリ~

相似象のサヌキとアワの紹介です。

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感受性と判断力 ③

しかし彼らとしては、めいめい自分に与えられただけの

「感受性」と「判断力」を精一杯使って生きているだけのことである。


赤ん坊の様子を見ていてつくづく感心するのは、自分の機能の 未開発のものには

全く関心を示さず、当面の感受性のままに「快」ならば、神のごとく 笑み

「不快」の限度を超えれば 悪魔のごとく 泣き喚き、当面の欲求を主張して

いささかも譲ろうとしないすさまじいばかりの「サヌキ性」である。





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  1. 2012/07/31(火) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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感受性と判断力 ②

動物機能の中には反射的に短絡して行動するものも多いが、いずれにしても

外的内的な刺激に対する何らかの「感受」なしに行動や思考のみが発するようなことは本来あり得ない。

現存するあらゆる生物は、今までにそれぞれの種の中で最高の進化を遂げたスガタであり

その巧妙さは他の種のものには及ばぬ高度さを持っている。

我々がいかに最新の科学技術をもってしても、鮭たちのように生まれた川をさかのぼったり

白鳥たちのように毎年何千里を飛んでまわる等というマネはできないし

昆虫や植物の営みにも、我々はただ驚きの目を見張るばかりである。




  1. 2012/07/30(月) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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感受性と判断力 ①

生物が生存を保つために具え持つ能力を最も抽象すれば、

「感受性能」と「判断力」に帰するということはしばしば述べたが、

あらゆる生物は 感受性能 のあるだけの 判断行為力 を持っている。

能力の無いものは感じない

「感じる」(反応を示す)ということはそれに対して「行動しうる」(対応できる)ということであり

人間のような感受器官や判断力は持たないものの、刺激に対し取捨選択の行為がなされた以上は

その間に 何らかの感受性と判断力 が働いたはずである。





  1. 2012/07/29(日) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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サルと人間の「サヌキ性」 ⑧

したがって、我々「人類」の中には、身体的にも精神的にも 様々な発育段階の者 が存在しうる

わけであって、ことに身体的には人間の「種」の条件を具えていても、なんらかに事情によって

知能的には「猿」に近い状態に止まる者も発生しうるし、ピンからキリまでの大きな幅があるわけである。

しかし大部分の者は、人間の「種」が「現人類」というカタチに 定着した時の智能

(それを<カタカムナ>のサトリにみるのであるが)までは、発育しうる能力を原則として

当然、具え持っているはずである。

(現代科学は少なくとも十万年来の人類の脳の容量は、本質的に変わらないとしている。
 
 我々の赤ん坊の「大きな脳」はその為に用意されているに違いない、と考へる。) 




  1. 2012/07/28(土) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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サルと人間の「サヌキ性」 ⑦

このように、人間の智能も、そもそもの始まりは他の動物と同じ次元から出発し

危険を感じただけ判断し行動する という原則に従い、天然の順序 のままに

一歩一歩、感覚機能と脳の神経細胞 とを 順々に結合しながら発達していったのである。

その状態を我々は今日でも我々の赤ん坊の発育のスガタにその相似象を見ることが出来る。

すなわち、人間の子供は(進化論ではないが)そのときの発育の 形態に応じた生態 をとって

「魚」の時代(羊水中)から、蛙・亀・蛇の時代(両生)―猿の時代(四足生活)を経過して

次第に「人間」(直立・二足歩行)の時代に入っていくわけである。  




  1. 2012/07/27(金) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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サルと人間の「サヌキ性」 ⑥

すなわち、自然界には平常時・異常時に応じた 自動制御の回路の切り替え が

「天然態」として働いて、おのずからに生態系の保全が形成されている。

(<カタカムナ>の上古代語ではこのことを<クシサリ>または<オノヅサリ>という。)

この枠をはみ出した人間の社会が、動物並みの「猿知恵」で、彼ら以上の生き方が出来るわけがない。

この問題を突き詰めて、絶望的に人間の理性の限界をみたのがゲーテであり、

私どもはその「理性」を更に教え、より高次の「アワ性」を養うことによって

より高次の理性(サヌキ性)を発生させようというのである。





  1. 2012/07/26(木) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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サルと人間の「サヌキ性」 ⑤

それによって個人的に身の安全を計ると共に、種族としての子孫の末永い生命を

保全する「大きな知恵」が人間の「文化」として発揮されなければならない。

このようにして次第に「自分も生き、相手も生かす」という方法が工夫されるわけである。

前述の猿の「子殺し」の行動は、霊長類以外のライオン等の社会にも見られることが

報告されており、昆虫類の異常発生時の自殺行動とも通じる、一連の淘汰現象と考へられる。






  1. 2012/07/25(水) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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サルと人間の「サヌキ性」 ④

真に 猿知恵を脱皮 するためには、「サヌキ型」人間は

まず自己本位の理知性の働くのが自分のタイプであるとしても

同時に相手の身になって、父を殺された子を憐れと思う慈しみの心(アワ性)を養い

「アワ型」人間は、相手に対する同情心のみでなく理知的な配慮(サヌキ性)を抜からず

共に 持ち前のタイプに欠ける面を上回ったアワ性・サヌキ性 を鍛錬することに

努めなければならない。





  1. 2012/07/24(火) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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サルと人間の「サヌキ性」 ③

この時、人間が「猿知恵」以上のものを出すとなると

「サヌキ型」人間も皆殺しはやめて、理性的に自分の身の安全を計るために

相手を手なずける事を考へるだろうし、「アワ型」人間は、もともと殺すに忍びないのだから

いずれにしても、アワ的処置(殺さない)をとることになる。

しかし計算づくの「サヌキ型」人間のやり方では、父を殺された子の怨みは残るし

理知性に欠けた「アワ型」人間では、後に災いをみる不安が残る。




  1. 2012/07/23(月) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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サルと人間の「サヌキ性」 ②

ところが状況によって、例えば猿の社会に関する調査では

まず群れの中の最も強い「サヌキ男」がボスになるが、ともすれば

離れ猿にのっとられ、新たにボスになった「サヌキ男」は

前のボスの子を皆殺しにするという。  

しかし猿の知能はその辺でアタマ打ちらしいが(我々の仲間にも似た程度の者は多いが・・・)

いやしくも人間なら、そこで壁にぶつかった「サヌキ性」に対し

同じく自分の内にある「アワ性」を発揮して、より安全に身を守る為の高次の知能が開発され得る。

前のボスの子を皆殺しするようなやり方では、「明日はわが身」の危険を感じるからである。




  1. 2012/07/22(日) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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サルと人間の「サヌキ性」 ①

この物理(サヌキ・アワのサトリ)を知ろうが知るまいが、我々が 自己を鍛錬して

向上しようとすれば、必然的に養われるのは、自分の内の「サヌキ性」である。

そしてこの「サヌキ性」はあるところまで突き進めば、必ず壁にぶつからざるを得ない。

例えば、自然の動物は、同じ種の中での殺し合いを防ぐ 自動的な制御 の働きがあり

普段はライオンでさえ満腹時には傍を通るウサギも襲わないといわれている。




  1. 2012/07/21(土) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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性格のタイプと保有量 ④

このように、サヌキ・アワの四相の分類法は銘々の性格を知る上に

最も基本的なより所であるとともに、人間の 人格の高さ や 知性度、成熟度

のような、従来計りようもなかったものをも、「量」として直観しうる

「基準」となるサトリである。


この時の「量」とは<サ>をはかる量であって、絶対的な数値量ではない。




  1. 2012/07/20(金) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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性格のタイプと保有量 ③

いずれにしても、「サヌキ型」も「アワ型」も保有する「サヌキ量」「アワ量」

が多いほど、人間としての教養人格(文化度)が高くなるということであり

それは銘々の 錬次第で増幅される ものであるから、願わくは

銘々が自分の中の 両性を相伴って向上発達させる ことが望ましいのは当然である。




  1. 2012/07/19(木) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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性格のタイプと保有量 ②

女の場合にしても同様であり、さらに女でありながら

「アワ女」のアワ量が「アワ男」のアワ量より少ないとか

「サヌキ女」のサヌキ量が「サヌキ男」や「アワ男」のサヌキ量よりも多いことも有り得る・・・等

四十八通り位の組み合わせが出来るはずである。




  1. 2012/07/18(水) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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性格のタイプと保有量 ①

このように四相のサトリは、自分の性来がそもそもどのタイプに属するか?を

認識することによって、自分の 直観鍛錬の方向 が大きく定まるほどの重要なサトリであるが

ここで注意しなければならないのが、それはあくまで 個々のタイプ として言えることであって

一概に 絶対量のように取り違えてはならない ということである。


例えば男の場合にしても「サヌキ男」はタイプとしては<サヌキ>の性が強く

<アワ>の性が弱い者であるが、しかしその人の保有する「サヌキ量」の方が

「アワ男」の保有する「サヌキ量」よりも少ないことも大いにありうる。

同じような意味で「アワ男」のアワ量より、「サヌキ男」のアワ量の方が多いこともある。



 

  1. 2012/07/17(火) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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最も単純明快な分類法 ③

真の<サトリ>(真理)というものは、単純明快なもの である。

それはスジが通り、適用は広い。

自分にも相手にも誰でも、何時でも何処でも、トッサにでもこれならマに合う。

男も女も「サヌキ型」か?「アワ型」か? しかなく、

同一人でも時によって「サヌキ性」が出るか?「アワ性」が出るか?しかないからである。

それ故にまた、一歩解釈を誤ると、正反対の結果が生じることになる。

適用を誤らないためには、銘々が自分の日々刻々の判断力(直観)を鍛える以外に無い

というこれもまた、単純明快な解答である。 







  1. 2012/07/16(月) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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最も単純明快な分類法 ②

ことに、生まれた時からじっと見続けている母親なら

自分の子供のタイプをマ違うことはまず無いだろう。

(そしてそれが人間の一生にとって最も大事なことなのである。)


誰でも(男でも女でも)はじめて出会った刹那から「サヌキ型」か「アワ型」かのタイプを出している。

一時間・二時間、一日・二日、生活を共にすれば誰にでも、相手のタイプをつかめないことは無い。

何故なら、この四相の分類法は極めて単純明快だからである。

(そしてその重積がやがて「「執着気質」などと呼ばれるものになって行く。

 科学や易占の分類も、その根はここから出ているのである。)

  1. 2012/07/15(日) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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最も単純明快な分類法 ①

人間の性格について、科学や易占等の分類を更に掘り下げ、

最も根源的なものを抽象したのが<サヌキ・アワ>の四相のサトリであり、

もうこれ以上分けることは不可能だというものである。

 
これなら、誰にでも分かり易く、また適用をマ違うことが殆ど無いはずのものである。

なぜなら、この四相のタイプは、いかに慎み深い教養のある人でも

(決して本心を明かさない人でも、誰でも)

トッサに無意識の内に、本人の意志以前のものが 刻々の動作や言葉つき となって

最も端的に表れずにいないもの だからである。




  1. 2012/07/14(土) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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有効な適用のきかない分類法 ⑥

「本質」を把握せずに、二次三次に起きている現象を

いかに研究しても徒に「論文」の数を増すのみである。

学問的にいかに分類するも勝手だが、それによって自分自身の心身の向上につながるものが

得られるのでなければ意味が無い。





  1. 2012/07/13(金) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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有効な適用のきかない分類法 ⑤

「サヌキ性」の強い者も、それが低次元に止まり自己の性格に対する認識なしに突き進んでいれば

必ず壁にぶち当たり、甚だしい不幸な結果(絶望-自殺)に陥る危険もある。

いずれにしても<サヌキ・アワ>の四相の認識を持たず、低次の「サヌキ性」「アワ性」に

任せていれば、生命を全うすることは出来ないのである。

要するに「執着気質」などという分類は、既にあまりにも 多くの要素が入り込んで いて

理論としては立派に成り立つようでも、実際の場に当たって、有効な適用が出来ない。

何故なら、我々の精神作用の支配的関連が何であるか? という直観、
 
即ち、「執着」とか「反抗」などという「現象」を起こさせているモノは何か?

我々の精神作用(生命活動)を大きく支配しているものは何か?

要するに「現象」に関わっている「潜象」の賦存勢力 を感受し、判断する能力を欠いているからである。





  1. 2012/07/12(木) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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有効な適用のきかない分類法 ④

『執着気質だ』と言われたためにかえって「病的」になるのは「アワ型」の人であり、

そもそも「サヌキ型」人間は「執着気質」にはならないものである。

(サヌキ型の人でも執着的になる時があるのは「アワ性」の面が出た場合であるが、長続きはしない。)

しかし、「アワ型」の人間であっても、自分の執着的な気質に反発を感じて、それを逆に

「良い性格」にしてしまうことも決して不可能ではない。

しかしそのためには、その人の内にある「サヌキ性」が発揮されなければならない。

(「アワ性」の強い者は必ずそれに匹敵する「サヌキ性」を潜在的に持っているはずである。)




  1. 2012/07/11(水) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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有効な適用のきかない分類法 ③

粘着気質等というような分類法 には、適確な方針も解決法も成り立たない。

という理由は、分類の仕方の 底が浅いからである。

その浅い底をもっともっと掘り下げ、人間の心を根底から動かしているものは何か?

という、最も 支配的な賦存勢力との関連を突き止めた上での分類でなければ

正当な解決法は見出せるものではないからである。




  1. 2012/07/10(火) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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有効な適用のきかない分類法 ②

例えば

『お前は粘着気質だ』 と言われると、かえって執着的になって、自分を病的状態に陥れてしまう者も出る。

それゆえ、そうして病的状態が高じて自殺にでも至れば執着気質は「悪いもの」とされるが、

しかし、名人とか天才とかいわれる人々は大いに執着的であるから、その人々にとっては

「良い性格」ということになる。 そこにはなぜ執着的になるか?

それなら、どのように指導し鍛錬すればよいのか?という適確な方針 が無い。

問い詰められれば、常識的な道徳的説教でもするしかない有様である。






  1. 2012/07/09(月) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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有効な適用のきかない分類法 ①

『他人の気持ちは中々分からない』

というのは、自分のタイプと異なる者は 神経細胞の結合のしかたが違う からである。

(わかるためには、その結合のしかたを類推しなければならない。 しかしその結合の仕方は、

 生まれた直後から始まり誰一人全く同一ということはあり得ない。)


しかしまた、「全く分からない」という事も無い。

なぜなら、それは誰でも銘々の裏に「サヌキ性」「アワ性」を持たない者は無いからである。

結合の仕方が複雑、巨大化した所で分類された方法

(理性・感情、思考・感覚、あるいは粘液質とか、執着気質などという分け方)

では、容易に相手を見抜くことは出来ないばかりか、自分自身の性格を判断し、コントロールすることさえ難しい。





  1. 2012/07/08(日) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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四相の分類と教育法 ⑥

日々の人間関係においても、

相手が「サヌキ性」ならこちらは「アワ性」の面をもって接すれば調和するし、

相手が「アワ性」でくる時は「サヌキ性」を出していられる。

同じ人でも、時によって「サヌキ性」の面を見せる場合と「アワ性」を出す場合がある。



サヌキ型の者がいつでも「サヌキ性」を出しているわけではないし

アワ型の者がいつも「アワ性」ばかり見せているわけでは決して無いが

その根にある性向は一生変わらないものである。

真の愛とか「同情」とか、「相性」というものも

この<サヌキ・アワ>の四相のサトリを持たなければ、不徹底である。






  1. 2012/07/07(土) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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四相の分類と教育法 ⑤

そのために、いかに 末端的なことで誠意や愛情を尽くしていても、

この根本をつかんでいないと、せっかくの苦労が報われぬばかりか逆効果を見ることになる。

(カンが良ければ何となく上手くいき、自ずからふさわしい行動をとる。)


互いに善意であるはずの夫婦親子等の間に、しばしばトラブルが生じるのは

殆どが、相手に対する無知 即ちサヌキ・アワの四相のサトリの欠如から来ている。





  1. 2012/07/06(金) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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四相の分類と教育法 ④

ともすれば、その逆をし、生まれつきの性向の傾きをひどくし

犯罪者や異常者を育て、あるいは神経症、変質者、うつ病、自殺等に追い込んでしまってから慌てるのである。

何故なら、親や教師たちが自分の性格(大きく分ければ「サヌキ型」か「アワ型」か)を

押し付けて、しかったりおだてたりするためである。(タイプの異なる他人の気持ちは親子でも中々分からない。)

たまたま上手くタイプが合えば良いが、逆の教え方をされてしまう場合が案外多い。

(「サヌキ型」の子に「アワ型」の教育はまだしも、「アワ型」の子が「サヌキ型」を押し付けられてはたまらない。)







  1. 2012/07/05(木) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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四相の分類と教育法 ③

例えば

「サヌキ性」の強い者には、自己を主張するよりも自分を反省し、 

相手の気持ちを察する「アワ性」を養わせなければならないし、


「アワ性」の多い者には、正当に自己を自覚する判断力や理智性(サヌキ性)を

鍛えさせなければ、平衡を得た人格は得られない。





  1. 2012/07/04(水) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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四相の分類と教育法 ②

それゆえ、現代科学、心理学、あるいは易占等の分類法よりも優先すべきものであり

我々がパートナーを選び、配偶を見出す際の「相性」の基本になるものである。

したがって、本人はもとより、とりわけ親や教師の立場の者は

自己及び相手の性格を見抜く上にこの四相のサトリをわきまえることが

何よりも肝心である。

何故なら、それによって接し方や教育法が全く逆になるからである。





  1. 2012/07/03(火) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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四相の分類と教育法 ①

A 男の中の <サヌキ>性の強烈なタイプ (「サヌキ男」)

B 男だが<アワ>性の強いタイプ (「アワ男」)

C 女だが、男勝りなタイプ (「サヌキ女」)

D 女の中の<アワ>性の豊かなタイプ (「アワ女」)


この四相は、人間の性格を論ずる場合の最も 根本的な分類 である。

何故ならこれは、時代も民族も貧富も賢愚も超えた

最も根源的な支配的要素に基づく分類
 だからである。





  1. 2012/07/02(月) 00:00:00|
  2. サヌキ・アワ
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