温故知新 ~サヌキとアワのサトリ~

相似象のサヌキとアワの紹介です。

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『ミを入れる』 生き方の実行について 47

 このカタカムナ人のサトリを現代人の知能を以て、マットウに諒解し、
みずから「ミ」を以て実行して生きる人(現代のアシアトウアン)に、どうか、
読者の中からその人が発生してホしいというオモヒをこめて、従来の「本」という
概念には無い本
(会誌)を書いた次第である。

 現代人の親には子供をマトモに育てる能力はない有様であるが、今、もし
我々現代人がこのことを本当に諒解ワカレすれば、次の子供をマトモに育てることが出来る。
このようなヒトリ・ヒトリの新しいチカラの発生が、人間の真の文化・文明の発生
つながるしか無いと、考るからである。

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  1. 2014/12/01(月) 14:55:30|
  2. 『ミをいれる』 生き方の実行について

『ミを入れる』 生き方の実行について 46

 カタカムナ人のオサは、自分たちの開発した生命発生カタカムナ物理サトリ子孫に伝えるために、
カタカムナ文献
を造って、「アシアトウアン」(少数者)を鍛え教え、一般多数者には、
「アシアトウアン」から、人々の実際の生活・環境に即して教え導くことにしたのである。

 何故なら多数者というものは、自力でカタカムナ文献(生命発生カタカムナ物理サトリ)を理解
して実行しうる能力は無いものだからである。

 民族の文化の度は、「アシアトウアン」則ち、少数者の質と数によって決まるものである。

 昭和の敗戦以前の日本の文化は曲がりなりにも、このようにして伝えられたもので
あったのである。






  1. 2014/11/30(日) 14:44:15|
  2. 『ミをいれる』 生き方の実行について

『ミを入れる』 生き方の実行について 45

 カタカムナ人は、この自分たちの開発したサトリを人々が実行し、子孫に伝達するために、
「アシアトウアン」のサトリ考えていたのである。
(「アシアトウアン」という上古代語は、『生命発生の物理カタカムナ』を知り、自分の生命力(感受アワ性とサヌキ)を
鍛えてそれを実行しうる人、という意味である。)






  1. 2014/11/29(土) 14:34:24|
  2. 『ミをいれる』 生き方の実行について

『ミを入れる』 生き方の実行について 44

 「人間脳」の進化した我々現代人は、(現代科学の知識の程度ではなく、)
この自分たちの生命発生の物理カタカムナを正しく知り、自分の感受アワ性とサヌキの生命力』を
マットウに鍛えて健康で長寿の生存を全うし、
次々と生まれてくる子供に、自分たちの
知った生命発生の物理カタカムナ』を教えて、子供の固有振動の基礎をしっかりと育て、子供は
養育された「生物脳」のアマナによって自分の感受アワ性を鍛え続け「人間サヌキ脳」(の神経細胞)を
どんどん開発して、教えられた『生命発生の物理カタカムナ』を、(「人間脳」で記憶するだけでなく、)
自分の生命力感受アワ性とサヌキによってマットウに身につけて成人し、健康で長寿の生存
全うする。そしてまた、次の子供に、自分の知った生命発生の物理カタカムナと、生命力感受アワ性とサヌキ
鍛える「ミを入れる」スベを教えて育てる・・・・・・。このような生き方・育て方を、実際に実行オコナヒ
続けなければ、「人間脳」の進化した人類は、マトモに生命を持続して、人間の文化・文明の
社会を造る
ことは出来ないものである。






  1. 2014/11/28(金) 14:02:34|
  2. 『ミをいれる』 生き方の実行について

『ミを入れる』 生き方の実行について 43

 しかし、このことが、マトモに出来る為には、もう大人になってしまった現代人の
親の程度の能力では不可能である。

 『生命の発生』といっても、現代人の考えているような「生命」という特定のものが
あるわけでは無い。

 生命力感受アワ判断サヌキ・行為力である』といっても、「感受性」とか「脳」という
特定のものが最初から存在するのでは無い。

 我々の「生命」が、何から、いかにして「発生」するのか?我々の「感受アワ性」が、
いかにして「判断行為」を出すのか?






  1. 2014/11/27(木) 14:33:50|
  2. 『ミをいれる』 生き方の実行について

『ミを入れる』 生き方の実行について 42

 そして『ワタシのココロ(生物脳のアマナ)には、ワタシが赤ん坊の頃から見たり聞いたり
したがいっぱいつまっていること。そして今、ワタシが何かを見たり聞いたりすればその
「ミ」がワタシのココロに入り、そこから新しい「」 が生まれて(カムからワけられて)、
ワタシの新しいイノチ になり、ワタシは食べたり歩いたりして生きていられること。』このような
オホきなカムの存在チカラ実感○○を、「人間脳」の知識として記憶させるのでは無く、「人間脳」を教えキタエ
るよりも前から、その場・その場の子供の「生物脳」の感受アワ性を鍛えて(則ち「生物脳」の
アマナココロ「ミ」を入れて)その生命力アワを蓄積して、子供の一生の固有振動の基礎に、子供の
ワカル程度のコトバづかいで教え、植え込むことが、肉体カラダに必要な食べるもの・着るもの・
快い入浴・睡眠を与えることと共に、日本人の子供にとって最も必要な、大事な育て方である。







  1. 2014/11/26(水) 14:15:32|
  2. 『ミをいれる』 生き方の実行について

『ミを入れる』 生き方の実行について 41

 だんだん成長してくると、動物のもたぬ「人間脳」も発達してくるので、ミを入れずに慌てて
駆け出して転んだり、何かを落として壊したり、何か失敗することが起きてくる。その時は
『あ、「ミを入れ」なかったからョ、まずかったネ。いつも、何にでも、「ミを入れ」てやるのヨ』と
教えることである。  

 そして、子供がどんどんコトバを覚え、自分から判断・行為を出すようになれば、
その発達のレベルに応じて、「ミ」というコトバの意味、「ミを入れる」ということの意味を、
則ち、『ワタシのイノチは、父の「ミ」と母の「ミ」が一緒になって生まれた新しい「ミ」であること。
「ミ」はワタシの一番小さなイノチのタマであること。イノチのチカラには、「ミ」のココロアワ
アタマのサヌキがあること。』則ち、日本語の四十八語の思念に示されるカム・アマ・フトタマ
ミ・ミコト・フトマニの潜象物理カタカムナ意味ココロを、則ち、自分たちを始め、自分の目の前の木や花や
鳥や虫や、山や川や海や空や、月や星や太陽や・・・そのすべてのモノのオクにあって、
そのすべてのモノを生み、生かしているオホきな「カム」の存在の感受○○を、則ち、「ワタシ」
「ワレ」というコトバは『ワタシのイノチは、その大きなカムのワからヒトリダチして出たものタシ
というイミであり、『ワタシのイノチのココロもアタマも、その大きなカムのワからワケられ
たものである』というイミであること。






  1. 2014/11/25(火) 13:29:06|
  2. 『ミをいれる』 生き方の実行について

『ミを入れる』 生き方の実行について 40

 実際の育て方としては、この新生児から三歳児期ミツゴの間に、子供が動物性のままに
「ミを入れて」好・嫌の判断行為をしているトキをみつけて、『まあうまく「ミを入れ」てるネ』
とか、『あなたは「「ミを入れる」のが上手ネ』という風に、「ミを入れる」というコトバをそのまま
使って、『こういう風にすることが「ミを入れる」ことなのだ』と、本能的な感受で覚えワカラセさせる
(「生物アワ脳」のアマナを養いヤシナヒ育てる
)ことである。

 三歳児期の子供に「ミを入れる」ということコトバを教えてわからせることは出来ないが、今、
自分が感受しているこの状態が「ミを入れる」ことだというその「感受」を、意識に出して
ワカル
ことは可能である。(一回「ミを入れ」れば、一つ感受アワ性を鍛え蓄積ヤシナヒしたことになる。)






  1. 2014/11/24(月) 12:49:12|
  2. 『ミをいれる』 生き方の実行について

『ミを入れる』 生き方の実行について 39

 新生児・三歳児期ミツゴの子供は、動物と同じで、本能的に「ミを入れ」て生きているから、
例えば、見たものが好きなもの(生命によくないもの)、または、もう満腹で不必要なもの)の
トキは、ガンとして口を閉じ、いくら食べさせようとしても、首を振り手足をもがいて拒むものである。

 (それ故、この時期に、本当に栄養的にも、品質的にも身によいものを、適量食べさせる
ことを実行して育てれば(「生物脳」の生命アマナの固有振動の基礎植え付けインプットておけば
『育てやすい子』になり)、その子は一生、自分の健康な食生活を保ちうる性来ナリの人になれる
のである。)






  1. 2014/11/23(日) 12:37:03|
  2. 『ミをいれる』 生き方の実行について

『ミを入れる』 生き方の実行について 38

 人間の子供は、現代人のように、「人間サヌキ脳」の開発・鍛錬の教育をする前に、胎児や
新生児・三歳児の頃から、「生物脳」の鍛錬、則ち「ミ」を入れて感受アワ性を養う生き方の
実際のスベを、四十八の日本語の習得と同時に、教えて「ミ」につけさせるべきものである。

 一生の固有振動の基礎○○○○○○○を、このように養い育てれば、将来のものごとの判断・行為が、
おのずから方向性をもつものとなるから、従来の現代文明の教育のように、「人間サヌキ脳」の
欲望の能力を野放図に発達(増長)
させ、その為の弊害を生じてから、宗教・道徳・法律等で、
それを反省させ抑圧し、禁止・懲罰するという現代人のやり方(生き方)よりも、はるかに
容易やさしくで無駄や弊害がなく、能率よく、子供にとっても、親(大人)にとっても、その方が楽で、
幸福度の高いものである。






  1. 2014/11/22(土) 12:15:52|
  2. 『ミをいれる』 生き方の実行について

『ミを入れる』 生き方の実行について 37

 まことに、「ミを入れる」ということは、何ら特別のことでは無かった。最も「アタリマエ」の
天然自然カムアマの「マノスベシ」を、人間が実行して生きるスベが、『何をするにも「ミを入れて」生きる』
ことだったのである。

 三十年、一生懸命のオモヒで勉強してきた「カタカムナの潜象物理サトリ」と、「ミを入れる」というスベが、
このトキ(渡辺ユリコの死)、ようやく、そしてはじめて、筆者の「アマナ」の中で、ハッキリと、
結びついたのである。






  1. 2014/11/21(金) 12:04:37|
  2. 『ミをいれる』 生き方の実行について

『ミを入れる』 生き方の実行について 36

 「ミを入れる」というスベは、本来、何ら、負担になることでは無い。

 今までの精神修養や訓練修行のような特別のものでは無く、また、今までのものを
止めよというのでも無い。

 読者の従来の教養や仕事はそのまま続けながら、それをしている自分自身のアマナに、
日々刻々、無意識的に、何をするにも「ミを入れて」生きていれば良いということである。

 (要するに「ミを入れて」いれば、「人間脳」が出しゃばって邪魔をすることなく、方向性を以て
ハタラクようになるわけである。)

 「ミを入れる」というスベを実行して生きていれば、今までの世界の宗教・道徳的な修養や、
哲学・科学的な勉強では得られぬ、新しい生命力の発生という、大きな天然的な恩恵が
伴うのである。






  1. 2014/11/20(木) 11:38:44|
  2. 『ミをいれる』 生き方の実行について

『ミを入れる』 生き方の実行について 35

 「ミを入れる」というスベは、今までの道徳や精神修養の様々な勉強法・訓練法や、
栄養や保健や運動などの健康法のいずれよりも先行して、人間として生まれた者は、
(日本人も西洋人も誰でも、)物心ついたトキから教えて「ミ」につけさせるべき、動物の
本能にも等しいスベである。

 「ミを入れる」というカタカムナ人のコトバサトシは、「人間脳サヌキ」(現象系)の支配に酷使され、
生物アワ脳」(潜象系)の存在を無視する現代人の生き方のアヤマリに気がついた者が、
人間として最も基本的なアタリマエの生き方(日々刻々の生活態度)にヨミカエル
(気が付く)為の実行のスベを示したものであった、ということが、「ミ」を持って、
わかったのである。






  1. 2014/11/19(水) 11:27:34|
  2. 『ミをいれる』 生き方の実行について

『ミを入れる』 生き方の実行について 34

 「ミを入れる」というスベは、現代文明の「人間脳」の文化の修行・修養・勉強のような
難行苦行の試練とは全く異なるもので、「ミを入れる」ということが潜象カム感受カカワリである
ことさえわかれば、誰でも、動物のように知らぬマに熟練し、無意識的にやれるように
なるものである。

 (「天才」は、教えられなくても、それがやれる能力(波動量アワ)を持つ者であるが、天才ほどで
なくても、かなりうまくやって健康な長寿を保つ者は、昔も今も、結構存在するものである。)






  1. 2014/11/18(火) 11:18:49|
  2. 『ミをいれる』 生き方の実行について

『ミを入れる』 生き方の実行について 33

 動物は、一生、それだけで(何をするにも「ミを入れる」だけで)平常アタリマエに生きていられるのだが、
我々現代人は、いつも「人間脳」が出しゃばるので、それに振り回されて生きているのである。

 「ミを入れる」というのは、その「人間脳」が出しゃばる前に、入れるのである。そしてそれは
出来るのである。なぜなら「ミを入れる」速さは「ヒラメキ」を入れるのと同じ電気速度アマハヤミだからである。

 (「気をつけて」という言葉があり、これは世界共通語で、昔の日本人はあまり使わなかったが、
今は「ミを入れて」の方は忘れ「気をつけて」の方が多く使われている。しかしこれは、「人間脳」
次元の発想コトバであるから、「ミを入れる」の速度アマハヤミよりずっとおそく、人為的な「注意」のレベルである。)

 何をするにも「ミを入れて」かかれば、「人間脳」に支配されてふりまわされて「生物脳」を無視することは
有り得なくなるのである。






  1. 2014/11/17(月) 16:37:13|
  2. 『ミをいれる』 生き方の実行について
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